「アジアのルソー」は本当にラディカルな人だった(天罰論批判とか。) -戸崎哲彦『柳宗元 アジアのルソー』を読む-

 戸崎哲彦『柳宗元 アジアのルソー』を読んだ。

柳宗元: アジアのルソー (世界史リブレット 人)

柳宗元: アジアのルソー (世界史リブレット 人)

 

  内容は紹介文にある通り、「中国唐代の思想家柳宗元は、安史の乱後、動揺する政治を改革しようとした一派のオピニオンリーダーでもあった。改革に失敗し追放されたあとも『生民は国家・君主に優先する』『君主は人民に推戴される』という政治思想を貫いた。その人となり、思想のありようを追う」というもの。

 柳宗元のラディカルさを知るにはオススメの一冊。

 以下、特に面白かったところだけ。

天罰論の誤り

 古代の聖人の御世で一〇年に九回の水害、八年に七回の旱魃があったが、天はことごとく聖人を懲罰したのか、これが柳の弁であった。  (24頁)

 柳宗元は、当時の上司にそのように言い返した。
 "統治"の責任は行政長官たる上司にあって、土地神ではない、と。*1 *2
 どっかの天罰論者に行ってやりたいセリフである。
 天罰論については諸々書きたいこともあるが、それはまたいずれ。*3 *4

中国の「天皇機関説」?

 官僚制は、さまざまな用具・部品が規則に従って機能していく装置である。 (引用者略) 「君」もそのなかの一つであり、最高に位置するが、「官」と同じ、さらには (引用者略) 「器」にすぎないのであって、すでに血統として一個人に付着したカリスマ性によるものでも、一個人の私物でもない。 (78頁)

 柳宗元にとって、君主は天皇機関説の機関みたいな扱いである。*5 *6

諸葛亮

 民にとっては劉も曹もない。したがって諸葛亮は、「劉宗(劉家による漢王朝の再興)を私するに匪らず、唯だ元元を活かさんのみ」で行動すべきであり、ただ臣下として劉家のために尽忠した私的な使用人にすぎず、結果として多くの部下や民とその生活が犠牲となった。唐でも理想的忠臣として廟祀されていた第一級の英霊を冒涜する所以である。 (80頁)

 これは柳宗元ではなく、呂温の意見である。*7
 ここでいう「元元」は人民を指すものであろう。
 諸葛亮は民のために仕事をすべきであったのに、劉家のために尽忠した私的な使用人として働き、けっか多くの民や部下が犠牲となった、と。*8
 厳しい、しかし、間違っていない意見である。

 

(未完)

*1:柳宗元の「天」観は、「天の運行と人事の営みは, まったく別々」とするものであり、

それぞれの功績は自らの実績であり, 禍も自ら招いたもので, 賞罰を天に求めることが大きな間違いであり, 天を呼んで願いが聞き入れられず恨んだり, 天が哀れんでいつくしんでくれることを願うことなどはさらに大きな間違えであると言える

というものである(宮岸雄介「中唐の古文思想にあらわれた儒学の新傾向 : 韓愈と柳宗元の対話の一断面」https://ci.nii.ac.jp/naid/40019300588 )。

*2:なお、笠原祥士郎によると、後漢王允は、「悪政が行われても災害に見舞われないどころか、堯の洪水や湯の旱魃の例から明らかなように「聖君の世」にも時には災害が発生することがあるのだ」と言う考えだったという(「王充における天と人」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006605598 )。ただし、王允の考え方は、

しかし他方で、限定的範囲内で人間が「陰陽の氣」に何らかの影響を及ぼし「氣」の調和や不調和を齎すことは認めていた。その意味では、董仲舒の天人感応思想のうち神格的・人格的天の働きは否定したが、「天の氣」による天人の自然感応は王充も支持したこととなる

とあるように、あくまでもあくまでも人格的な天の否定がメインであった。以上、柳宗元の思想的源流を考えるうえで重要と思ったので、書いた次第である。

*3:ブログ・「ひじる日々」の記事http://naagita.hatenablog.com/entry/20110924/p1 によると、

パーリ仏典の註釈レベルでは、生命にかかわる現象の要因は、気象(自然環境の変化)、種子(生殖・遺伝)、心(心理的働き)、業(善悪の結果をもたらす自覚的行為と結果)、法(無常・苦・無我、因縁により変化し続けるという法)、の五つに分別できる(五決定)とされています。/このうち広義の「震災」(おそらく末木先生が仰っている「震災」に近いと思います)には心と業の問題が関わってくることは確かでしょう。いわゆる「心と行いの問題」ですね。仏教では霊的存在も含む自然界の一切生命との関係を重視しますから、そこで「震災」を受けて、荒れてしまった一切生命との関係を結び直す儀式を行う、というのは仏教的な文脈ではしぜんな流れです。 (引用者中略) 佐藤剛裕さんがサンガジャパン6号で紹介したように、ダライ・ラマ師が震災犠牲者の法要で「大地の主と四大の女神たちへの供養文」を読んだというのも、仏教的にしぜんなプロセスでしょう。

とのことである。「震災」に対する仏教の考え方(パーリ仏典による)は、実際はこのような感じである。仏教と天罰論が必ずしも結びつかないことを知るうえで重要なものと思うので、ここに引用しておく。それにしてもこの考え方、どこか、先の王允の「天」論に近いな。

*4:例えば清水幾太郎は、渋沢栄一のような「天譴」論(≒天罰論)の被害を被ったようだ。

しかし、私は、平静な気持ではなかった。いや、仮に笑われなかったとしても、もし先生の説明を受け容れるならば、このクラスで私だけが天物暴殄の罪を犯して、私だけが天譴を受けたことになるのではないか。

以上、清水幾太郎地震のあとさき」より(ブログ・「鵜の目タカの眼」からの孫引きhttp://takakist.cocolog-nifty.com/otibohiroi/2011/03/post-9d4e.html となる。)。

*5:もちろん、天皇機関説は、国家が法人として統治権を持ち、天皇はその法人の最高「機関」である、という説であって、柳宗元の発想はその点とは関係を持たないのであるが。

*6:國分典子は、美濃部の天皇機関説(というか国家法人説・国家有機体説)について、次のように述べている(「美濃部達吉の「国家法人説」 : その日本的特殊性」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005893794 )。

その時々の多数の心理によって正義の内容が変化するということであって.そこにはなお国家のなかに存在する個、あるいは少数者に対する保障は含まれていない。つまり、個人のために国家権力を制限する絶対的な基準は何ら示されていないのである。ここに美濃部の理論の上杉、穂積らの国家論と親近性、国民精神への信頼がみられる。こうして、日本の有機体論および法人説に内在する保守性は、美濃部においても基本的に踏襲されているのである。

美濃部の天皇機関説がもつ「弱点」であった。

*7:なお、戦前の白河鯉洋(次郎)の『諸葛孔明』(敬文館、1911年)も、呂温の『諸葛武侯廟碑』を高く評価しているようである(294頁)。

*8:著者・戸崎自身の論文によると、以下のとおりである(「最澄と陸淳(下)"邊州"の儒佛交渉と陸淳門下およびその韓愈門下との相反」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006599657 )。

「生人」主義者は天命思想を顛覆させただけでなく、当然、忠臣・臣民の儒教的伝統価値をも倒壊させる。呂温「諸葛武侯廟記」はかの諸葛孔明の英霊をその廟前にて面罵する。 (引用者略) 孔明がその身を挺して仕えて世に称される“忠”などというものは劉氏一家のための“私”による愚行に過ぎず、民を救済し民心を収攬せんとする“公”より発した義挙ではない。

排仏論者だった韓愈が僧侶から「カウンセリング」を受けるに至るくだりとか、実に面白いので、是非ご一読を。