確かにこんな哲人王はヒトラーには無理。あと「高貴な嘘」について -斎藤忍随、後藤明生『「対話」はいつ、どこででも』を読む-

 斎藤忍随、後藤明生『「対話」はいつ、どこででも』を読んだ。

 内容は、哲学者(哲学研究者)と小説家の対話、なかでもサブタイトルにもあるように、プラトンに関する話が一番の読みどころ。*1
 以下、特に面白かったところだけ。*2

高貴な嘘

 哲学者のくせに嘘を語るとは何事かと。 (125頁)

 プラトンは英訳すると、tell a noble lieをやっている。
 これが後代批判されることになったが、ギリシャ語のウソにあたる「プセウドス」は、フィクションという意味もある。
 そこら辺を押さえておかないと、プラトンについて、とんだ誤解をしてしまうのである。
 ただ、詳細は、話すと長い。*3 *4

ヒトラーじゃ無理」な哲人王

 第一、ヒットラーのような男が、そんな長期の教育にたえられるものでもありませんしね。 (132頁)

 プラトン全体主義、という主張への論駁である。
 『国家』を読んでいくと、50過ぎの初老の男が静かな研究生活を捨てて、いやいやながら支配者になるという仕組みになっている。*5 *6

 こんな条件では、ヒトラーは無理だろう、と述べられている。

 どちらかというと、仏僧の修業に近い内容である。

なぜ党派があるのかを考えよ

 じゃあ、どうして、主義主張とか信条の違いというものがそもそも存在しているのか、というところまでは考えていない。 (142頁)

 後藤が反核アピール(1981~1982年)に署名しなかった理由についての話である。*7
 主義主張を越えて核に反対、というのは一見人間的に聴こえるが、なぜ党派があるのかという問いには至っていない、という言い分である。
 「小異を捨てて大同につく」ということを考えるときに、これは重要なことではないか。*8

 もちろん、党派が生じる理由を厳しく問うのであれば、連帯は可能ということでもあるのだが。

 

(未完)

*1:のちに出た、後藤明生スケープゴート』には、斎藤との対談の際の話も書いてある。斎藤忍髄は酒豪で、常にグラス片手に対談をしていたという(162頁)。

*2:以下に紹介したもののうち、最初の二つは斎藤、残りの一つは後藤による発言である。言わなくてもわかるとは思うが。

*3:児玉聡氏のウェブページ(http://plaza.umin.ac.jp/~kodama/ethics/wordbook/noble_lie.html )では、

プラトンの『国家』(414-5, 459-60)に出てくる神話で、 人間は土から作られ、統治者になるべくして生まれたものは金が混じっており、 戦士には銀が、農作者と工作者には鉄が混じっている、という話がある。 これは各人が各自の役割に不満を持たずに国家のために生きることができるように、 統治者が人々に信じこませるためのもので、 プラトンはこれを高貴な嘘(ギリシア語でgennaion pseudos)と呼んだ。 royal lie, maginificent mythなどとも訳される。

 いうまでもなく、この解説は必ずしも適切なものとはいいがたい。田中伸司は「高貴な嘘」について次のように述べる(「プラトンの『国家』における友愛と正義」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009552097 以下の引用は、古代ギリシャ語表記を省略して引用していることをお断りしておく。)。

プラトンは市民たちの同族性を、正しいポリスの実現のために用いられる偽りであると認めていた(Rep. III 414b7-c2)。第3巻において市民たちが「自分がいる土地を母や乳母と見なして心を配り、攻め襲ってくる者があれば守らなければならないし、また他の市民たちのことを、みな同じ大地から生まれた兄弟であると考えなければならない」(Rep. III 414e2-5)、「すべてはお互いに同族の間柄」(Rep. III 415a7)であるという言説は正しいポリスを築くための「気高い」(Rep. III 414b8)嘘と呼ばれていた

実際の「高貴な嘘(田中論文では「気高い嘘」)」と呼ばれているものの内実は、以上のとおりである。では実際のところ、この「嘘」は、どの程度の効果があるのか。Perseus Digital Libraryの415dの英訳では

“No, not these themselves,” he said, “but I do, their sons and successors and the rest of mankind who come after.” “Well,” said I, “even that would have a good effect making them more inclined to care for the state and one another. For I think I apprehend your meaning. XXII. And this shall fall out as tradition guides.”

とある(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0168%3Abook%3D3%3Asection%3D415b *註を除いて引用した)。

 つまり、この「嘘」は聴かされた側には鵜呑みにできるようなものではなく、あくまで「たとえ話」のような感じでしか機能しないことがわかる。岩波文庫版『国家』で、この個所では「嘘」ではなくて、作りばなし、作りごと、といった訳され方をするのは、そのためである。なお、「高貴な嘘」という語が使用されるのは、厳密には、『国家』の ”414-5” の箇所のみである。

*4:ついでに、『国家』の ”459-60” の箇所についても述べておく。

 確かにこの個所における「プセウドス」は、「嘘」というニュアンスであることが、文脈から読解可能である。これは、被統治者に対して利益がある場合のみ統治者だけが使うことのできるもの(一方、被統治者には嘘は禁じられている)で、医者における「薬」のようなものだとしている。

 この場合の「プセウドス」が、「薬」にたとえられていることに注意が必要である。なぜなら、ここでいう「薬」は、あの「パルマコン」(ジャック・デリダの議論を想起すべきであろう)である。つまり「薬」であり「毒」であることをも意味する。

 『国家』の ”459-60” の箇所に出現する「嘘」は、「薬/毒」のようなものであり、ゆえに統治者のみが取り扱える、という議論になっている。①「嘘」はあくまでも被統治者に利益がある場合のみ統治者が使用できること、②その「嘘」は「毒」でもある危険なものであること、が重要である。

 プラトンはやはり、一筋縄ではいかない議論をしているのである。この点を踏まえて、議論がなされるべきなのである。

 以上。長かった。

*5:実際のところ、瀬口昌久によると、統治者になるには、次のような訓練を受けなければならない(「古代哲学は現代的問題にどのような意義をもつのか」https://ci.nii.ac.jp/naid/110004670783 )。

『国家』において、哲人統治者となるべき者は、20歳までに数学的予備教育や体育の義務教育を終えて、30歳まで哲学的問答法によって吟味され選抜され、さらに5年間の言論の修練を経て35歳になった時に、洞窟の中に降りて行かねばならない。 (引用者中略) この洞窟での実務の期間は、実に15年間に及ぶ とされている。哲人統治者は、流言飛語やさまざまな利害が衝突する洞窟のなかで、15年間の実務経験を積まねばならないのである。

ストイックな人間でなければ、絶対に不可能である。

*6:斎藤が「いやいやながら」云々と述べているのは『国家』の540bあたりのことだろうと思われる。Perseus Digital Libraryの英訳では以下の通り(http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0168%3Abook%3D7%3Asection%3D540b *註は除いて引用を行った)。

throughout the remainder of their lives, each in his turn, devoting the greater part of their time to the study of philosophy, but when the turn comes for each, toiling in the service of the state and holding office for the city's sake, regarding the task not as a fine thing but a necessity

 not as a fine thing but a necessity とあるので、この場合のnecessityは、必要上やむなく、避けられない理由で、といった、わりと消極的なニュアンスであることがわかる。

*7:「思想信条の相違をこえて」はむしろイデオロギー的だ、とする菅孝行の意見が、いちばん後藤の主張に近いものと思われる。「核戦争の危機を訴える文学者の声」(正式名)の詳細については、花崎育代「「核戦争の危機を訴える文学者の声明」と大岡昇平https://ci.nii.ac.jp/naid/110009885988 等参照。

*8:これはいつかの脱原発運動の時にも、同じことが言えるように思う。