バリはいかにして「創られた」のかを解き明かす、古典的名著 -永渕康之『バリ島』を読む-

 永渕康之『バリ島』を読んだ。 

バリ島 (講談社現代新書)

バリ島 (講談社現代新書)

 

 内容は、紹介文にもあるように、

「神々の島」「芸術の島」は、いかにして生まれたのか。バリ、バリ、ニューヨークを結んで織りなされた植民地時代の物語をたどり、その魅力の深層に迫る

という、バリはいかにして「創られた」のかを解き明かす内容。
 すでに古典に近い本だが、やはり面白い。*1 *2

 以下、特に興味深かったところだけ。

植民化とカースト

 バリをヒンドゥー的社会ととらえて統治を開始した地方政府は、カーストこそバリ文化に根ざす社会体制の基盤であるとみなし、現地人官吏に貴族階層の人々を独占的に指名した。 (56頁)

 実際には、植民地時代が始まる以前には称号を持たない人々も政治的な役職に多数ついていたにもかかわらず、である。
 オランダの現地地方政府は上記のような政策をとった。
 現地の貴族階層の人々はそうした植民地政府の立場を擁護したのである。*3
 植民地政府の意向をかさに着て伝統の名で自らの特権的立場を正当化した貴族階層、といったところであろうか。

「黄金文化」と植民地統治の正当化

 植民地政府は、古典ジャワ文化を「黄金文化」とみなすことで自らの支配を正当化した (146頁)

 黄金文化の「退廃」した結果が現在のイスラム的世界であり、現地人は「堕落」した人間である、とする論理を、植民地政府はとった。
 ゆえに、黄金文化を復興しうる学識を持つオランダ人が責任を以て統治しないといけない、と理屈づけたのである。*4

コバルビアスの二面性

 この矛盾は『バリ島』の記述に大きな問題を投げかけている。 (192頁)

 マンハッタンでイラストレーターとして活躍していたメキシコ人ミゲル・コバルビアスの話である。
 彼は、1930年代にバリを幾度も訪れた経験をもとに、『バリ島』を出版する。
 そして、ニューヨークにバリ島ブームを起こし、その後のバリ島イメージの形成に寄与した。
 コバルビアスは、バリにおける観光などの商業主義の拡大を、著作の中では文明の侵略と攻撃している。
 だが、その一方、マンハッタンに帰るとバリのイメージを用いた商品を自ら積極的に売り出してもいたのである。
 そこにミゲル・コバルビアスという人物の魅力と矛盾があったのである。*5 *6

 

(未完)

*1:その他、バリ島関連の論文で特に面白かったのは、梅田英春の論文「バリ島西部ププアン村に伝承される大正琴を起源とする楽器マンドリン」(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006596244 )で、どうやら華人商人たちによって広まったようである。

*2:ところで、お気づきになったであろうか。先の紹介文、本当は「バリ、パリ、ニューヨーク」という風に表記せねばならなかったはずであることを!!! 

*3:井口由布と近藤まりは、本書を参照しつつ、

永渕によれば,バリにおけるカースト制度は古くからの伝統というよりは植民地時代に再構成されたものであるという.オランダの植民地支配以前,バリのカースト制度は地域によってまちまちでたいへん複雑であった.オランダ植民地政府はその支配に都合の良いようにカースト制度を統合して単純化した.

とまとめている(「劇場ホテルにおける観光文化の形成 : インドネシアにおけるリゾートホテルの調査をとおして」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009500425 )。そして自身の研究を

フロント・オフィス・マネージャーの例からわかるのは,植民地制度によって再構成されたカースト制度が,グローバリゼーション時代の近代的な組織の中でまた新たに意味を与えられて改変されていることである.

と規定している。なかなか興味深い論文なのでぜひ。

*4:菅原由美は、

当時のオランダ領東インド(現在のインドネシア)の統治も、最も人口が多いジャワが中心であった。ジャワ語文献研究は、オランダ人エリート植民地官僚の必修科目であった。しかし、彼らの興味の対象は、イスラーム化する以前の、ヒンドゥー・仏教王国時代のジャワ語文献であった。オランダ人はイスラームをジャワ文化の表層としてしかとらえず、イスラーム文献研究にはほとんど手がつけられなかった。イスラーム流入以前のジャワを、「真」のジャワとする考え方は、オランダ人研究者からインドネシア人研究者にも引き継がれ、戦後も長い間この研究傾向は続いた

と述べている(「インドネシア写本研究最前線」(『生産と技術』Vol.69, No.1、2017年)http://seisan.server-shared.com/69-1-pdf.html )。ジャワの黄金文化、という言説は、植民地統治の方便というだけではなく、半ば本気で信じられていたのかもしれない。

*5:著者は別に寄稿した記事で、次のように述べている(「ジャズあるいはジャンゲールの挑発──統治者を模倣するバリ人」http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/909/)。

コバルビアスにしても最終的にはジャンゲールの狂気をあたらし物好きのバリ人を語る事例として解決してしまっている。つまり、新奇なものを「同化」して自らの伝統的形式に取り入れ、「文化のバリらしさをけっして失わない」バリ人たちの芸術への態度を物語っているのがジャンゲールだというのである。伝統と呼ばれる象徴体系に勝利を与え、未開の文化に文明の失った精神性の可能性を求める当時勃興期にあった民族誌というジャンルに参入したコバルビアスにとって、この最後の解決はやむをえなかったのかもしれない。

著者の当該記事は、この引用部以降も面白いので是非ご一読をどうぞ。

*6:コバルビアスは、軍国主義時代の日本に関して、次のようなイラストも描いている。
https://yajifun.tumblr.com/post/7196209980/printsandthings-the-japanese-single-1942