大原悦子『フードバンクという挑戦』(のオリジナル版のほう)を読んだ。*1
内容は紹介文の通り、
まだ十分安全に食べられるのに、ラベルの印字ミスや規格に合わないなどの理由で生まれる大量の「食品ロス」。その一方で、たくさんの困窮する人々や食べられない子どもたちがいる。両者をつなぎ、「もったいない」を「ありがとう」に変える、フードバンクという挑戦が日本各地で徐々に広まりつつある。携わる人々の思いと活動の実際、これからの課題をわかりやすく示す。
というもの。
月日は流れても、やはり読む価値のある一冊。
以下、特に面白かったところだけ。
貧困が可視化できる社会を
貧困がちゃんと見える社会こそ、成熟した豊かな社会なのではないでしょうか (27頁)
2HJ(セカンドハーベスト・ジャパン)の理事である、日本キリスト教団百人町教会の阿蘇敏文牧師の意見である。*2
貧しい人がひっそりと生きて主張しえない社会が日本である、とも述べている。*3
アメリカではもう作ってる
スーパーにはありませんよ。私たちの活動のためだけにつくられた商品ですから (58頁)
アメリカのフードバンク(アメリカズ・セカンドハーベスト)では、すでに一部の商品を買うようになり、作ってもらうところまで進んでいた。*4
企業が技術改良を重ね、ラベルミスなどが大幅に減った。
その結果、無駄が出なくなったので、マカロニやツナなどの需要が高いのに寄付が出にくいものは買うしかなくなったのである。*5
援助を求めることの「屈辱感」
アメリカで食料の援助を求めることは、ほとんどの人にとって想像しうる最も屈辱的な経験の一つだという。
アメリカのような国でも、やはりそうなのである。*6
ヨーロッパ諸国等でも、おそらくそうなのだろう。*7
(未完)
*1:よって、ページ数は岩波現代文庫版のものではないことを、お断りしておく。
*2:阿蘇敏文牧師は、2010年のNHK教育テレビの番組で、次のように述べている(引用は、以下のウェブページに依拠した。http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-427.htm )。
そこで聞く人間というか、仕える人間というか、下準備をする人間というか、そういうあり方が本当のリーダーなんだ、ということを、そこで学んだような気がするんですよ。ですから百八十度逆転しましたね。みんなの考えを僕が聞いて引き出すというかな。教育の基本というのは引き出すということじゃないですかね。 (引用者中略) そういう質問をすることによって、最初はわぁわぁ手を挙げて答えているのが、だんだんだんだん静かになってきて、ずっと自分の内側を見てきます。で、そのことによって、この絵は何を語ろうとしているのか、という絵と自分とこの絵を通して、何かを語ろうとする絵描きとの出会いが、対話が可能になってくるわけですよね。
リーダーに必要とされる資質、そして、優れた質問法について、語っているように思うので、ここに引用する次第である。
*3:2HJの創設者であるマクジルトン・チャールズは、次のように述べている(「 「日本の貧困対策は、食への危機感が欠けている」 日本初のフードバンク設立者が訴える」 https://www.huffingtonpost.jp/2016/12/29/charles-mcjilton_n_13880462.html )。
もし私たちが企業にお願いをすれば、企業が上の立場になり、私たちや食べ物をもらう人々が下の立場になってしまう。私たちは『余っているものを、希望する人々に渡せば有効に使えます。お互い助かりますよ』というスタンスでやっています。私たちは非営利のNPO法人ですが、普通のビジネスのように運営したい。企業側に報酬はありません。しかし企業は、社会に貢献したという満足感を得られる。私たちも、恵まれない人を助けるという目的だけではなく『フードバンクという、活動そのものが面白い』と思いながら、楽しんで活動しています
このフェアな精神はとても大切なものだと思うので、ここで引用する次第である。
*4:原田佳子によると、
食品ロスで生活困窮者を救済することは、食品ロスがなければ成り立たない活動となり、食品ロス削減の観点から大きな矛盾を抱え、根本である構造的な問題の解決にならない。また、我が国のFBが年間に取り扱っている食品ロスは、全体の0.1%にも満たない
とあり、そもそも「食品ロスで生活困窮者を救済」ということ自体が、矛盾を抱えてしまうものではあるが、日本の場合、まだその矛盾が露呈するほどの領域には達していない(「わが国のフードバンク活動と地域活性」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006622398 2018年)。
日本では2018年時点でもまだ、購入したり作ってもらったり、というような段階ではない。もしかしたら購入はしているかもしれないが、作ってもらったり、というのは寡聞にして知らない。
*5:なお、2018年の報道によると、「アメリカ農務省のデータによると、人口1人当たりのツナ缶の消費量は過去30年間で42%減少した。一方、同時期に鮮魚および冷凍魚の消費量は増加している」とのことである(「ミレニアル世代は「ツナ缶」も消滅させた? 開けるのが面倒?」https://www.businessinsider.jp/post-180684 )。
マカロニは、、、マカロニ・アンド・チーズでも作るのだろうか。。。
*6:その点で、先に紹介したマクジルトン・チャールズは、別のインタビューで次のように応答している(「おなかがすいた日本人の胃袋を支える 元ホームレスの「アメリカ人」」https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20171102-00077252/ )。
チャーリーが出した答えは、ぐるりと回ってシンプルなものになった。隣の席の人がペンを忘れた。「2本あるから、どうぞ」と差し出す。それだ、と。ペンを渡すとき、「これは、この人のためにならないのではないか」とは考えない。「助けてあげる」という大仰さもない。こちらにはあり、あちらにはない。だから渡してあげる。それだけ。ここに食べられる食品がある、あそこに食べ物を必要としている人がいる。「食べられますって。渡しますって。それだけ」。
非常にシンプルで、しかし重要な考え方だと思うので、引用しておく。考え方が、180度ではなく、360度変わる。
*7:参考までに、農林水産省の「海外におけるフードバンク活動の実態及び歴史的・社会的背景等に関する調査」によると、フランスの事例については以下のとおりである(https://www.maff.go.jp/j/shokusan/recycle/syoku_loss/attach/pdf/161227_8-7.pdf )。
現在 79 のフードバンクがフランスにあり、ヨーロッパで一番フードバンクが多い国となっている。また、ヨーロッパで初めてフードバンクが設立されたのもフランスである。ただし、フランス国内では、炊き出し(室内で食事を提供している)を主に行っている団体である「心のレストラン(Restaurants du Coeur)」の方がフードバンクより規模も大きく、知名度も高い。
「心のレストラン」については、以下の記事が紹介している(「フランスの慈善事業、「心のレストラン」30周年」https://furansu-go.com/restos-du-coeur/ )。