二大カリスマを通して読む黒人社会。そして、キング牧師はどのような盗作を行ったかについて -上坂昇『キング牧師とマルコムX』を読む-

 上坂昇『キング牧師マルコムX』を読んだ。

キング牧師とマルコムX (講談社現代新書)

キング牧師とマルコムX (講談社現代新書)

  • 作者:上坂 昇
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1994/12/16
  • メディア: 新書
 

 内容は、紹介文の通り、

対照的な二大カリスマを通して読む黒人社会。マルコムXブームの意味とは何か? 台頭するブラックナショナリズムとは? 一見相反する二人の代表的指導者の思想と足跡から「黒人運動とアメリカ」を問う。

というもの。
 1990年代の本ではあるが、しかし、今も読まれる価値があるように思う。
 
 以下、特に面白かったところだけ。

すでに戦いは始まっていた

 その運動は実際には二〇世紀の前半からはじまっていた。 (10頁)

 公民権運動について。
 全国黒人地位向上協会はすでに、1909、10年に設立されている。
 1954年には、公立学校での人種分離を禁止したブラウン判決を獲得しているのである。*1

キング牧師の論理

 アガペをもって、なぜ白人を愛さなければいけないか (75頁)

 キング牧師の論理について。*2
 彼がいうには、白人の人格は、人種的隔離によって酷く歪められている。
 だからこそ、ニグロによる愛を必要とする、と述べる。
 批判者たちが言うような、白人に気に入られるため、という論理ではなかった。*3
 (まあ、ニーチェが聴いたら「ルサンチマン」とか言いそうな気もするのだが。)

分離主義者同士の「友誼」

 KKKに友好的に迎えられた。 (110頁)

 ブラックナショナリズムの代表者であるマーカス・ガーベイは、KKKを誠実で正直な白人だと考えた。*4
 黒人嫌悪を正直に出しているからである。
 KKK側も、アフリカに「帰ってくれる」黒人は歓迎した。
 一方、黒人の経済的自立を目指すとともに、黒人の強烈な人種的誇りを刺激したのも、彼のブラックナショナリズムだった事も事実である。

同じ黒人からも迷惑がられた黒人移住者たち

 かれらは、白人社会から締め出されただけでなく、黒人の中産階級からも迷惑がられた。 (116頁)

 戦後も、南部から北部へ黒人の移住は続いた。
 だが、移住した黒人は、同じ黒人の中産階級からも迷惑がられた。
 そうした人々を歓迎したのが、NOI(ネーション・オブ・イスラーム)だったのである。*5

キング牧師セクシャリティ

 キングのセックスにかんする言葉はそうとう汚かったらしく (210頁)

 意外と知られているかもしれないが、あらためて、。
 FBIの盗聴ファイルによると、フーバー長官は、「キングは下劣な性的衝動にとりつかれた"女狂い"だ」と軽蔑していた。
 フーバーは、キングが白人女性を好んでいたことも、許せなかったようである。*6

盗作していたキング牧師

 大学時代からキングが盗作していた (212頁)

 キングは、テキストに書かれていることは、他の人が自由に使っていいものと思っていたようである。*7
 つまり、そもそも盗作の意識を持っていなかったというのである。*8
 キングは特に、18世紀と19世紀初めの説教師のものを利用していた(213頁)。
 地方公演の際は、分厚い説教集を必ずカバンに入れて持ち歩いた。
 キングがモアハウス大学時代に影響を受けたメイズ学長の説教も使っていた。

白人説教師からの盗用

 キングがいちばんよく無断引用したのは、白人のラジオ説教師・ハリー・エマソン・フォスディックだという。 (213頁)

 「無断」で「引用」するのはともかく、キングは出典を明記することを怠った。
 フォスディックは、戦時中に200万人以上のファンがいて、その当時は相当影響力があった。
 真珠湾攻撃の際も非暴力を唱えた人物である。*9 *10
 また、以前から人種偏見から来る社会問題を嘆いてもいた。
 フォスディックはキングの先達であった。

歴史の皮肉

 見方を変えれば、過去の素晴らしい言葉のなかから、キングが自らよいものを選び、それに新しい命を吹き込み、人々に感動を与えたのである (214頁)

 確かに、キングの有名な「私には夢がある」も、おおもとは、面識のある牧師アーティボールド・カレー (Archibald J. Carey Jr.)が1952年に共和党大会で行った演説の一部を、ほとんどそのまま「引用」している。*11
 ただ、著者は述べている。
 白人*12 からの盗作が多かったからこそ、白人もキングの演説に良心の呵責を感じて、公民権運動を支持するようになったことも多かったはずだ、と。
 なかなか皮肉なことではあるが。

 

(未完)

*1:ただし、早瀬勝明は、様々なデータや資料を精査してみると、ブラウン判決は市民的権利運動にさほど大きな影響は与えておらず、間接的にも、黒人市民を戟舞したり、直接に白人政治家や白人市民の良心に訴え考えを変化させるような影響力を有していなかったとしている(「ブラウン判決は本当にアメリカ社会を変えたのか(2・完)」https://ci.nii.ac.jp/naid/110007367662 )。

*2:キングは、ニーバーの平和主義批判(相手が「神の像」(道徳的意識)を完全に損なっている場合、非暴力による抵抗運動は失敗するとの主張 )を最終的に退け、人間に「神の像」が残されている可能性をあくまで信じた。この点、大宮有博「マーティン・ルーサー・キングJr.の愛敵論」の指摘する所である(https://ci.nii.ac.jp/naid/110002556786 23、24頁)。彼の決意は、やはり見事なものであるように思う。

*3:キングは、「バーミングハムの獄中からの手紙」で、

 実に、話し合いこそが直接行動の目的とするところなのです。非暴力直接行動のねらいは、話し合いを絶えず拒んできた地域社会に、どうでも争点と対決せざるをえないような危機感と緊張をつくりだそうとするものです。それは、もはや無視できないように、争点を劇的に盛り上げようというものです。緊張をつくりだすのが非暴力的抵抗者の仕事の一部だといいましたが、これは、かなりショッキングに伝わるかもしれません。しかし、なにを隠しましょう、わたしは、この「緊張(tension)」ということばを怖れるものではないのです。わたしは、これまで暴力的緊張「治癒」としての暴力と非暴力には真剣に反対してきました。しかし、ある種の建設的な非暴力的緊張は、事態の進展に必要とされています

という風に述べている(酒井隆史「『治癒』としての暴力と非暴力」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009486240 からの孫引きに依っていることを、あらかじめお断りしておく。)。
 キングも、非暴力直接行動による「緊張」は、肯定していたのである。

*4:ウィルソン・ジェレマイア・モーゼズによると、

ガーベイは人種は分離すべきだと考え、クー・クラックス・クランをはじめとする白人の人種差別組織の指導者たちと協力しようとした。クランの指導者と会談したガーベイは、それでなくとも彼を敵視していた黒人指導者たちから総攻撃を受けた

とのことである(「マーカス・ガーベイ もうひとつの道」『ついに自由を我らに 米国の公民権運動』(日本語版)https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/3350/ )。

*5: 山下壮起は、次のように説明している(「ルイス・ファラカンの政治的非一貫性 : 1984 年と2008 年のアメリカ大統領選挙から」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005640780 なお、引用符等を削除して引用をしていることを予め断っておく。)。

 UNIA が成功した背景には、リンチなどの激しい人種差別から逃れるために大量の黒人労働者が北部へ移住してきたことが挙げられる。北部では少数の黒人エリート層を中心に、全米黒人地位向上協会や全米都市協会などといった組織が生まれたが、移住してきた労働層の支持を得られず、大きな成果を生み出せなかった。しかし、UNIA の運動は、労働層の意識や要求を反映させたことで、大きな運動を生み出すことができたのである。また、UNIA のような大衆の感情に応える組織が同時期に多く形成され、宗教を背景としたものも多く存在した。そのなかの一つが、NOI の形成に大きな影響を与えたムーア人科学寺院(Moorish Science Temple)であった。その指導者であるノーブル・ドゥルー・アリが 1929 年に亡くなり、その生まれ変わりを名乗る男が出現した。それがNOI創始者であるファラッド・モハメッド(Fard Muhammad)であった。

UNIAとは、先に紹介したマーカス・ガーベイの創設した世界黒人向上協会を指す。

*6:クーリエ・ジャポンの記事「キング牧師と『白人売春婦、クィアゴスペル歌手らの乱交』」(https://courrier.jp/news/archives/170920/?ate_cookie=1580867906 )には、「FBIはキング牧師が訪問中のラスベガスで白人売春婦をひいきにしているという噂を聞きつけた。そして当の売春婦にキングらとの乱交の様子を聞き出している。キングは同時並行で複数の愛人関係も続け (引用者略) 」という文言が見える。

*7:片桐康宏は、

Bearing theCrossの中においてギャローは、キング牧師による複数の女性との関係に若干言及をしているし、また1990年に、同師による博士論文執筆上の盗用、盗作事件が明らかにされたことを契機として、翌1991年には Jour-nal of American Historyが110頁を超えるスペースを割いて、この問題を取りあげている。

と述べている(「アメリカ南部公民権運動は如何に綴られてきたのか:ヒストリオグラフィー Historiography の文脈に観る黒人公民権と将来的研究課題」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005885723 )。

*8:もちろん、本当に盗作の意識を持っていなかったのか、と疑う者もあるが。

*9:英語版wikipediaの項目には、

Fosdick outspokenly opposed racism and injustice. (引用者中略) His 1933 anti-war sermon, "The Unknown Soldier", inspired the British priest Dick Sheppard to write a letter that ultimately led to the founding of the Peace Pledge Union.

とある。以上、一部省略して引用を行った。

*10:なお、キリスト教学校教育同盟編『日本キリスト教教育史 人物編』(創文社、1977年)によると、フォスディック牧師は戦争に絶対的に反対したが、それに対して田川大吉郎は、戦争は議会が決めるもので、それに従わなければ国家は成り立たない、とした(273頁)。田川の国家主義の側面が見える話である。

*11:英語版WikipediaのArchibald J. Carey Jr.の項目を見ると、

The historian Drew D. Hansen notes that some critics suggest that Martin Luther King Jr. plagiarized from this speech in creating his own celebrated "I Have a Dream" speech, while others disagree, noting that many of the motifs and tropes were part of a common language. 

とある。実際、キングもCareyも、サミュエル・フランシス・スミスの「マイ・カントリー・ティズ・オブ・ジー」の歌詞を踏まえている。また、Careyの姪Pattonは次のごとく述べている。両者ともに、聖書と歴史という、同じ修辞的な「井戸」から言葉を汲み上げのであって、叔父は単に先んじてそれをやっただけ、と(原文:”Patton says both Carey and Dr. King drew from the same rhetorical well of scripture and history ? her uncle simply got there first.”)。
 Pattonの言葉は、ウェブアーカイブからだが、「Long lost civil rights speech helped inspire King’s dream」という記事から引用した(https://web.archive.org/web/20140101071457/http://www.wbez.org/news/culture/long-lost-civil-rights-speech-helped-inspire-king%E2%80%99s-dream-108546/ )。

*12:ただし、先のアーティボールド・カレーは、黒人であることに注意。