阪神タイガース、あるいは、「野次も、関西弁なので何となく迫力がない」と書かれた時代 -井上章一『阪神タイガースの正体』を読む-

 井上章一阪神タイガースの正体』を再読。(読んだのは2001年の太田出版のもの。*1 ) 

阪神タイガースの正体 (朝日文庫)

阪神タイガースの正体 (朝日文庫)

 

  内容は紹介文のとおり

阪神への幻想はいつどのようにしてつくられてきたのか。気鋭の批評家であり熱烈な阪神ファンでもある著者が、その正体を歴史的につきとめようとし、独自の視点から浮かびあがらせた愛すべき関西球団の知られざる真実と伝説。知的興奮にみちた野球文化史の好著。

というもの。
 
 以下、特に面白かったところだけ。

戦前の後楽園球場

 「あの後楽園が札止めになる」なんて、信じられない (221頁)

 戦前の後楽園は、プロ野球は不人気で、閑古鳥が鳴いていた。*2 *3
 千人か二千人の観客だったと。
 ところが戦後、カード次第では満員になる可能性が出てきた。
 1948年のある雑誌記事によると、「気狂い沙汰」だと。

GHQが後押しした戦後のプロ野球

 戦後のメディア状況は、プロ野球へ有利に作用した。 (232頁)

 1949年からは、本格的にプロ野球放送が増え、人気も上昇する。
 また、ラジオは空白をなくすことが占領軍から要請されてもいた。
 プロ野球はその穴を埋めるのにぴったりだった。
 こういうメディア的背景も存在するのである。*4

「虎ブル」の起源

 阪神がはじめからそういう球団だったのかというと、そうでもない。 (283頁)

 1956年以後、阪神はスキャンダルメーカーとなる(1956年に、藤村監督排斥事件が起きている。*5 )。
 それ以前はそうではない。
 しかし、スポーツ新聞はそれを助長して煽っていくようになったのである。

 関西人に反中央意識がたくされる球団も、南海から阪神へうつっていく。 (277頁)

 1959年、南海は巨人を下す(日本シリーズ)。
 同じ年に、阪神は巨人に天覧試合で敗北する。
 転機は、1959年年だったのではないか、と著者はいう。

六甲おろし」が知られるようになったのは

 「なんですか、それ」 (324頁)

 「六甲おろし」について聞かれた、元阪神ファン(~1972年)の水島慎二先生のコメントである。
 つまり、「六甲おろし」が知れ渡るのは、1970年代の出来事である。*6

「野次も、関西弁なので何となく迫力がない」

 「野次も、関西弁なので何となく迫力がない」 (342頁)

 甲子園が騒々しくなったのも、1970年代である。
 上記引用は、「週刊平凡」の1959年9月9日号である。*7
 甲子園は他の球場より大人しいのだ、と他のチームの応援団と比べられて、そう述べられた。*8
 隔世の感あり。

大洋ホエールズと川崎

 市民の半数以上から、反対署名をもらえるまでに、ファンを拡大していた (353頁)

 大洋ホエールズの話である。
 下関、大阪、川崎と転々とし、最終的に横浜に行ってしまった。
 川崎市にも根付いていたが、出て行ってしまったのである。(その後ヴェルディ川崎にも逃げられた。) *9
 実は、1970年代に、セリーグプロ野球球団は地域へ溶け込みだしていたのだという。

 

(未完)

*1:そのため、以下の頁番号も太田出版に依拠している。

*2:ただし、村上万純によると、

すでに 1939(昭和 14)年には後楽園球場がはじめて満員を記録していたが、「戦前観衆が一番多かったのは昭和十五年(1940 年)」

だという(「プロ野球女性ファン文化の変遷 -「ミーハー」ファンから「オタク」ファンの時代- 」http://www.waseda.jp/sports/supoken/research/2012_2/5011A075.pdf )。
 必ずしも戦前に満員がなかったというのではないようだ。

*3:井上の『「あと一球っ!」の精神史』(太田出版、2003年)によると、1962年の優勝の決まる10月30日に甲子園球場(対戦相手は広島)はガラガラで、満員5万以上の球場において入ったのは2万人程度、外野席はガラガラだったという。「優勝決定戦でさえ球場に客を呼べないチームだった」(39頁)。ただ、読売戦だけは5万入る時代だったという。

 戦後の阪神も、ある時期まではそんな感じである。以上念のため。

*4:山口=内田雅克は、次のようにまとめている(「ジェンダー史研究 ー第二次世界大戦後の「野球」と日本人男性の「男性性」一」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006649406 。以下、引用の注番号を削除して引用していることを、あらかじめ断っておく。)。

1945年の11月6日には日本野球連盟復活宣言、18日にはオール早慶戦、23日にはプロ野球東西対抗戦野球と、次々と復活は具体化されていった。占領下、この復活を後押ししたのはGHQであった。スクリーン・セックス・スポーツという3S政策があり、そして自身が陸軍士官学校時代にはベースボールに興じていたマッカーサーアメリカ生まれのスポーツを民主化の象徴とした。チーム全員が協力し、精神主義ではなく、技術や駆け引きによって勝利を得るというプラグマティックな思考への教育が野球を通してなされるとされた。こうして野球と民主主義を結びつける言説が登場する。そしてGHQは敗戦後の民主安定政策として、プロを含めた野球を奨励し、接収下にあった後楽園をはじめとする野球場を開放し、ラジオ中継も許可する

*5:当事者の一人である吉田義男も、『牛若丸の履歴書』(日本経済新聞出版社、2009年)で、藤村排斥事件によって、阪神はもめごとの多い球団という烙印を押されたと述べている(当該書123頁)。

*6:和田省一(朝日放送 代表取締役副社長(2014年当時)。)によると、

中村(引用者注:中村鋭一のこと。)さんがあるときから「阪神タイガースの歌」があるはずだと、当時レコード室を探したら、若山彰さんが歌っている「阪神タイガースの歌」というのがありまして、コロンビアから出ていて廃盤になっていたんですが、古関裕而さんの作曲でした。これをかける。そのうち巨人戦に勝ったら生で歌う。巨人戦に勝つと3コーラス歌うと、段々、エスカレートしていくわけです。それで曲名も、正式タイトルは「阪神タイガースの歌」なんですが、歌いだしの文句が「六甲おろし」なので、中村さんは「六甲おろし」と言う。

中村鋭一が「六甲おろし」を流行らせたことを語っている(「メディアウオッチング例会(8月)」『関西民放クラブ』http://kansai-minpo.com/2014/10/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E4%BE%8B%E4%BC%9A%EF%BC%88%EF%BC%98%E6%9C%88%EF%BC%89/ )。本書(井上著)も、中村鋭一が「六甲おろし」を流行らせた説を述べている。

*7:1959年に初演され、翌年映画化された『がめつい奴』について、著者(井上)は、次のように述べている(https://www.sankei.com/west/news/180422/wst1804220006-n1.html のち、『大阪的』(幻冬舎、2018年)に収録。)。

もちろん、セリフはみな釜ケ崎あたりの大阪弁になっている。銭ゲバと言っていい登場人物が、大阪弁でやりとりをする芝居である。その興行的な成功も、「がめつい」を大阪人の属性とすることに、一役買ったろう。/一九五〇年代以後、より大きな富をもとめた経済人たちは、東京へ進出していった。計算高い彼らの大阪口調も、「がめつい」という大阪像を、首都で補強したかもしれない。やはり、あいつらは「がめつい」、と。

この頃が、関西弁イメージの一つの転機となるのだろう。

*8:永井良和によると、

これはテレビができた頃だと思うので、1950年代中盤だと思います。要するに、みなさん大人しい、仕事帰りの普通の恰好してるということがわかっていただければと思います。 (引用者中略) こういうプロ野球の状況に大きな変化を与えたのは、アマチュア野球の流れでした。特に、東京六大学の早稲田のコンバットマーチ早稲田実業が甲子園(高校野球)に持ち込み、全国中継されたことで、野球の応援スタイルが大きく変わっていきます。社会人野球でこの頃、チアリーディングが始まり、また社会人野球ではアンプを入れてもよかったので、大音響で音楽を流す応援のスタイルが広がりました。このようにアマチュア野球の変化がプロにも影響を与えたのです。

とのことである(「応援の風俗」(『ポピュラーカルチャー研究』Vol.1 No.3 http://www.kyoto-seika.ac.jp/researchlab/?post_type=report&p=140 )) 。そもそも、野次以前に、プロ野球における球場は静かだったのである。
 なお、同誌(*同号)には、「野球場はやや鳴り物があったと思いますが、僕が甲子園球場を知ってる範囲で申し上げると、あんなふうになったのは70年代半ばぐらいからですね。それ以前はごくごく静かな球場だったと思います。」という井上章一自身のコメントも掲載されている。

*9:ウェブサイト・『はまれぽ』の「川崎球場時代からのファンも!? オールドファン&熱狂的なファンに突撃!」という記事には、大洋ホエールズ川崎球場を本拠地にしていたころからのファンも登場している(https://hamarepo.com/story.php?story_id=6304&form=topPage54 )。