「結婚と家族のこれから」を考えるための良書。あるいは「やっぱり夫が家事をしていない日本」 -筒井淳也『結婚と家族のこれから』を読む-

 筒井淳也『結婚と家族のこれから』を読んだ。

 内容は紹介文の通り、

共働き社会では、結婚しない(できない)人の増加、子どもを作る人の減少といった、「家族からの撤退」をも生じさせた。結婚と家族はこれからどうなっていくのか―。本書では、男性中心の家制度、近代化と家の衰退、ジェンダー家族―男女ペアの家族―の誕生など、「家」の成立過程と歩みを振り返りながら、経済、雇用、家事・育児、人口の高齢化、世帯所得格差といった現代の諸問題を社会学の視点で分析し、“結婚と家族のみらいのかたち”について考察する。

というもの。
 結婚と家族、そして「共働き社会」といった問題を考えるうえで、良い頭の整理ができる良書である。
 
 以下、特に面白かったところだけ。
 

父系の直系家族の歴史的位置

 家父長制的な家族、父系の直系家族は、日本では10世紀くらいから徐々に浸透していった制度 (17頁)

 それ以前は、共同体や家族(母系)との結びつきの方が強固だった。
 だが、そうした制度も徐々に変わっていった。*1 *2 

 生産力の論理を離れ、政治原理が幅を利かす階層ほど、女性が抑圧されている (39頁)

 前近代においては、社会階層が上になるほど、家父長制が厳しかった。*3 
 また、日本の古代社会でも、中央政界や大領地経営で生計を立てる一族は男性優位の結婚(夫型居住など)が行われていた。*4

みんな結婚する社会の方こそ特殊。

「皆婚社会」 (引用者中略) こそが特殊なのです。 (87頁) 

 歴史人口学的に見れば1960~70年代のほとんどの人が結婚していた社会の方が特殊である。
 家制度が経済基盤を失い、雇用された男性と家事をする女性が結婚するようになって初めて実現したもの、それが「皆婚社会」である。*5

やっぱり夫が家事をしていない日本

 日本の夫婦は、夫婦がほぼ同じ条件で働いて、同じくらい稼いでも、妻のほうが週あたり10時間も多く家事をしている (104頁)

 先進国の多くの国でも同じことが言えるが日本はかなり高い。*6

中流階級でも裁縫にかなり時間をかけていた戦前

 女性が家庭での裁縫から解放されたのはそれほど古い時代ではありません。 (120頁)

 都市化が進んだ後でも女性たちは、裁縫にかなりの時間をかけた。
 調査によると、1930年代、東京の中流家庭でも妻は家事の時間の4割以上をお裁縫に費やした。*7

 もちろん、今現在はグローバル化などの影響で服は安くなっている。

北欧の社会の課題

 北欧の民間企業の世界はアメリカに比べればまだ男性的な世界 (135頁)

 じっさい、管理職において女性が占める割合ではアメリカに比べると、スウェーデンはかなり低い。
 また、共働きとはいえ、北欧における女性はケア労働を中心としている。*8
 相手は、他の家の子どもや高齢者である(保育・介護等)。
 こうした、性別によって職の分離が見られる事態を、「性別職域分離」という。*9

 

(未完)

*1:著者は、男性官職の世襲と家父長制との結託が、平安期の貴族層に見られ始めたのだと、久留島典子らの研究を参照して述べている。

*2:義江明子は次のように述べている(「「刀自」からみた日本古代社会のジェンダー--村と宮廷における婚姻・経営・政治的地位」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005945781 )。

一九九〇年代以降、「家」成立の過程はさらに精密に探求された。高橋秀樹氏は、政治的地位の継承が「家」形成の基盤であること、家業(公的職務)・政治的地位・家産を父子継承する「家」は、一一世紀から一四世紀にかけて、貴族社会に次第に広まっていくことを、詳細に論証した

ここでは高橋『日本中世の家と家族』が参照されている。

*3:ウェブサイト「nippon.com」の記事「シリーズ・現代ニッポンの結婚事情:(4)性差を超えてゆけ ポスト平成の日本の結婚」(https://www.nippon.com/ja/features/c05604/ )でも取り上げられている本書のフレーズであるが、

家父長制はその意味では、社会全体の支配階層の男性、あるいは家族のなかでの男性が、生産力の伸びを抑えこんででも、自らの既得権を維持するためにねじ込んだ不自然な仕組みだと私は考えています

なかなかパンチが効いている。

*4:著者は、関口裕子の説を参照して、そのように述べている。経済的原理を、政治的・軍事的権力がねじ伏せた格好、といえようか。

*5:縄田康光が述べているように、

戦後日本の空前の経済成長と第一次人口転換が、「夫婦と子ども2人」という戦後における標準的な家族を生んだのであった。現在我々はこれを当然視しがちであるが、歴史的にみれば「皆婚、生涯生む子どもは2人」というのはむしろ特殊な時代

である(「歴史的に見た日本の人口と家族」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1003948 )。
 ただし、鬼頭宏は次のようにも述べている(「人生40年の世界:江戸時代の出生と死亡」http://minato.sip21c.org/humeco/anthro2000/kito.pdf )。

江戸時代には前半には多くの男女が結婚するのは当たり前という「皆婚化」が進み,江戸時代中期には皆婚傾向の高い社会が成立したと見られる.それを前提にして晩婚化が進んだ.

「皆婚化」というフレーズではあるが、いちおうその傾向自体は江戸時代に見られている。もちろんこれは、先程の縄田も是認するところはあるのだが。

*6:著者は2014年の論文で、

共働き夫婦において最も夫婦の家事時間の差が小さいのがデンマークフィンランドで,2 時間強となっている。これに対して日本では週あたり 10 時間以上も妻の方が多く家事に時間を費やしている。日本では,労働時間や収入等の各種条件をかなり均等な条件にそろえてみても男性と女性のあいだに大きな家事負担の格差があることが分かる。この意味では「日本の夫は長時間労働に従事しているし,また妻よりも多く稼いでいる夫婦が多いから,家事をあまりしないのだ」という見解は成立しないことがわかる。

と述べている(「女性の労働参加と性別分業 : 持続する『稼ぎ手』モデル」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10180375 )。使用したデータは、

International Social SurveyProgramme の 2012 年 の デ ー タ(Family andGender Roles)である。対象国は OECD 加盟国に台湾を加えたもの

とのこと。

 なお、著者自身が本書で参照した自身の論文は、2016年のhttps://ci.nii.ac.jp/naid/40020715098 のほうである。念のため

*7:永藤清子によると、

女中を置かず、子どもが在り、貯金を持たない「下流」家庭の内職従業者の多くでは、生計費補助を目的として内職をしている姿が浮かび上がるが、一方で、女中を置いている「中流の下」家庭で、子女の教育費のために内職をしている家庭も存在することが推測できる。

とのことである(「明治大正期の副業と上流・中流家庭の家庭内職の検討」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009752628 )。
 参照されているのは、1920年の東京市社会局の発行する『内職に関する調査』である。

 1920年代でも、おおよそこんな感じである。

 なお本書では、家政学者の大森和子の論文を参照して、引用部の通り述べられている。

*8:たとえば、中澤智惠は次のように述べている(「スウェーデンの生涯教育システムとジェンダー事情」
https://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/pdf/journal/14/cs2008_13.pdf )。

同一労働同一賃金の原則を徹底することは重視されるが、性別職域分離は水平的・垂直的両面であまり解消されてこなかった。例として教員の性別比をみると、Forskola のスタッフは女性が 97%、学童保育指導員は 83%、基礎学校では 74%を占めている。

文中にある Forskola とは、「1歳から5歳までを対象とした就学前教育プリスクール」を指す。

*9:熊倉瑞恵は、デンマークにおける性別職域分立について、次のように述べている(「デンマークにおける女性の就業と家族生活に関する現状と課題」https://ci.nii.ac.jp/naid/110008916029 )。

デンマークでは男性よりも女性がより多く公共部門で働いており,男性は民間部門で働いている割合が高い.こうした傾向は北欧諸国全体にみられ,女性の就業率が高いとされる国に共通している. (引用者中略) 移行された労働市場では性別役割分業の関係が依然として残されており,男女間賃金格差へとつながっている.こうしたことは,上述したような最大限の労働力の確保を目的とする政策の有効性にも影響を与えるとともに高福祉国家を維持するための基盤にかかわる重要な問題となる