口紅と戦争との関係の話から、国王が排便しながら接見希望者に対面する話まで -中野香織『着るものがない』を読む-

 中野香織『着るものがない』を読んだ。

着るものがない!

着るものがない!

  • 作者:中野 香織
  • 発売日: 2006/10/24
  • メディア: 単行本
 

 内容は紹介文の通り、

ファッションを切り口に、大人の男女の心の機微を描くヒューマン・エッセイ集。

である。
 某密林のレビューに、「感覚論に陥りがちなファッションの世界を文献等から博識に解き明かしていく」とあるが、まさにそうである。
 ファッションに興味のない人でも、楽しめるのではないか、と思う。

 以下、特に面白かったところだけ。

スティック型口紅の近代

 戦勝国になったこの国では、口紅が戦時の疲労を隠し、士気を高めるための最も有効な「女性の秘密の武器」たる必需品として奨励され (17頁) 

 1915年以降にスティック型の口紅が本格的に普及する。*1
 その普及には、戦争もまた、かかわっていたのである。
 第二次大戦期のアメリカでも、「勝利のレッド」や「愛国のレッド」という名前の口紅が売られた。*2

 一方、第二次大戦時のドイツでは、口紅は禁止、戦前に口紅のカートリッジを作っていた機械は、弾薬筒製造マシンに転用された。*3
 また、ユーゴ内戦で難民生活を強いられたボスニア女性たちが要望した品が、食料などの生活必需品ではなく口紅やスカーフだったという話も、著者は書いている。*4

オートクチュールの存在意義

 同じ服を着た女に遭遇したときの不快さ (25頁)

 世界で一着だけしかないことを保証するオートクチュールがなぜ廃れないか。*5
 その理由がこれである。

排便しながら接見する国王

 十七世紀に目が点になるような前例がある。 (91頁)

 当時、国王や貴族が朝起きて穴開き椅子に座り、そこで排便の儀式を行いながら、接見希望者に応接した。

 絶対王政時代、国王や貴族が圧倒的に接見相手より高位であることを示す行為であったという。*6

マナーの意義

 礼状を書くとき、形式どおりに書けば、たちまち文面が埋まって便利 (110頁)

 マナーは本来、合理的なものだと著者はいう。*7
 これさえ守れば、あまり考えなくてもよいのだから。
 これは、例えば礼状の場合であれば、出す側受ける側双方にとって、思考の節約である。
 なんだか、複雑性の縮減という言葉も、想起されないではない。*8

 

(未完)

 

*1:口紅は、モーリス・レヴィが1915年に金属製の口紅容器を発明した後、広く普及したとされる。
 だが、ウェブサイト・「Collecting Vintage Compacts」は、それに異を唱えている(参照:http://collectingvintagecompacts.blogspot.com/2015/12/maurice-levy-man-who-never-invented.html )。

But I hope that this expose will convince those who read it that recorded history in this instance is wrong and that Maurice Levy neither designed nor invented the first American lipstick case. His involvement was simply to place an order with Scovill for lipstick tubes and eyebrow pencil tubes that he planned to fill with products he intended to manufacture with his newly formed French Cosmetic Manufacturing Company. The containers in question had been recently designed and manufactured by Scovill for other clients but the records concerning who designed them and when do not now exist. My belief is that it was probably William Kendall who was responsible for the lipstick design and that his 1917 patent reflects the original design in question.

米国初の口紅容器を発明したのはモーリス・レヴィではない、というのである。そして、実際に発明したのは、William Kendallという人物だという。その後1917年に、Kendallは口紅容器の特許を得ているようだ。

*2:これの復刻版めいたものも、存在するようである。https://besamecosmetics.com/blogs/blog/110328966-introducing-1941-victory-red-classic-color-lipstick 

*3:HISTORY TODAY」の記事・「ファッションと第三帝国」(https://www.historytoday.com/fashion-and-third-reich )によると、

Hitler was an unlikely fashionista - despite overseeing the uniform for the Bund Deutsche Madel, his approach to feminine adornment was generally negative. He hated make-up - often remarking that lipstick was composed of animal waste - and disapproved of hair dye. Perfume disgusted him, though he bowed to Eva Braun’s enthusiasm for it, and smoking was revolting. Trousers were out, too, as unfeminine, and fur was horrific because it involved killing animals.

とのことで、そもそも、ヒトラーは口紅が嫌いだったようである。

*4:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(講談社、2000年)という本に言及して、そう述べられている。実際に、この本の52頁に該当する箇所があるが、具体的に誰の経験であったのかは、書かれていない。

 「TED RADIO HOUR」において、ZAINAB SALBI は、次のように述べている(https://www.npr.org/transcripts/466044738 )。

And honestly, it was from the women that I thought I was helping who taught me how to enjoy beauty and celebrate it. It was women in Bosnia, for example, during the days of Sarajevo. It was longest besieged city. And I went in the besiege. And I went - I was like OK - what do you want me to bring you next time I'm here? And the woman said lipstick. I'm, like, lipstick? (引用者中略) And they said because it's the smallest thing we put on every day and we feel we are beautiful, and that's how we are resisting. They want us to feel that we are dead. They want us to feel that we are ugly. And one woman, she said, I put the lipstick every time I leave because I want that sniper, before he shoots me, to know he is killing a beautiful woman.

参照した元ネタは、たぶんこれであろうと思われる。

 スナイパーに、お前が殺そうとしているのは美しい女なのだと知らしめたい、という言葉が重く響く。

*5:デザイナーのGalia Lahav(ガリア・ラハヴ)は、オートクチュールについて、次のように述べている。

生地や技術の質はファッション業界にとって重要で、維持していく必要があるものなのです (引用者中略) これらはファッションの土台であり、ルーツです。上質の生地や刺繍、縫製といったものを無視することはその土台を失うことであり、他の人と同じになってしまいます

オートクチュールの存在は、着る側だけでなく、作る側にとっても特別である。同じ物が嫌なのは、着る側だけでなく、作る側にとっても同様の心理である。以上、引用部は、「ハーパーズ バザー」の記事(https://www.harpersbazaar.com/jp/fashion/fashion-column/a87481/fwh-why-couture-fashion-is-important-170202/ )からのものである。

*6:青木英夫は、次のように書いている(「風俗史からみた17世紀ヨーロッパ?主としてナプキンについて?」http://www.jafs.org/bulletin.html )。

ルイ14世を中心とするフランス宮廷生活は厳格な宮中席次を持つ臣下達によって、すべて儀式としてとりおこなわれた。フランスの宮中席次は52あるが、1680年に制定されたものである。この宮中席次は各国にとり入れられ、戦前の日本もフランスの席次にならったものである。ルイ14世の時代では、起床、いのり、謁見、食事、散歩、就寝、排便等には夫々臣下が参列した。たとえ一杯の水でも、それを王にさし上げるのは 4 人の定められた人々によったし、ハンカチやナプキンを呈する人物さえ定まっていた

 ただし、大森弘喜は、16世紀末の仏国の王侯貴族について、「自然の生理現象と排泄行為を恥ずべきものとして隠そうとしたので,トイレとその行為は隠喩的な表現でしめされた」のであり、

王侯貴族らがこの排泄行為を秘匿しようとしたのに対し,ガスコーニュ出身の軍人でもあった哲学者モンテーニュは,「この下品な話題を」隠すことなく,「その行為のために,場所と座席に特別の快適さを配慮しつつ」,決まった時間に排便したという

と、とある本の書評に於いてまとめている(「書評 なぜパリジャンはかくも長いあいだ悪臭に耐え,汚物と共存したのか アルフレッド・フランクラン著/高橋清徳訳『排出する都市パリ--泥・ごみ・汚臭と疫病の時代』」https://ci.nii.ac.jp/naid/110007335530 )。

 大森(と書評した当該書)の述べるところが正しいとすると、排便を王が見せるようになったのは、モンテーニュの時代よりもあと、17世紀以降の話ということになる。

*7:より正確には、「日本マナー・プロトコール協会」の理事・明石伸子の主張である。

*8: プラユキ・ナラテボーは『自由に生きる』(サンガ、2016年)において、(広義の)マナーの合理性(理に適っていること)について説明している。
 例えば、日本の学生がタイの村でホームステイをしたこと。そのとき、学生は穴の開いたズボンにTシャツといういでたちで、村人は侮辱されたと感じた。その後、打ち解けてきたが、そのときにはもう帰国の時期だったという。そして、「もし早く村人と仲良くなりたいのであれば、まず身なりを整えるってことも大事なこと」(当該書188頁)と述べる。

 相手に予断を持たせないためである。(まさに、相手に精神的負担をかけないという「マナー」のメリットは、中野著でも述べられている事柄である。)

 また、仏教の戒律(*これもマナーである)についても、その意義が説明される

 それは、「細かい規定があればあるほど、心の動きに気づける」機会が増える(当該書182頁)ためである。戒律を持たなければ、欲望から行動までストレートになる。一方、戒律を設ければ、自主的に戒律を守り、行動をいったん止められる。そして気持ちと行動の間に摩擦が生まれて、食欲などの体の感覚や心の動きが自然に見えてくる。ゆえに戒律は細かく規定されている、と説明している。あえて、欲望に柵を設けて、感知しやすくするのである。
 そして、行動における実践も心へ影響を及ぼすと仏教では考えるので、言葉や行動を具体的に整えるという戒律遵守の実践が心の変化を自然に促すと考えるのだという(当該書201頁)。

 以上、(広義の)マナーというのは、諸々役に立つこと、存在意義はあることを長々と説明した。
 まあ、上記当該書のレビューをする機会がなかったので、ここに書いただけではあるのだが。