ある意味では、マンスプレイニングを論じた先駆的な本ともいえる。 ―タネン『「愛があるから…」だけでは伝わらない』を読む―

 デボラ・タネン『「愛があるから…」だけでは伝わらない』を読んだ。

 内容は紹介文の通り、

男と女の心のすれちがいはお互いの会話スタイルの違いから来る。その違いを頭に入れ、自分の考えが正確に相手に伝わる頭のいい話し方といい関係を手に入れる方法を紹介。会話の成功と失敗の差がわかる。

というもの。
 原題は、”That's not what I meant!”だったはず。
 よく知られている本ではあるが、改めて読んでみた。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

「マンスプレイニング」の背景

 しかし、それを男がとうとうと語るとき、女の目に「会話」はしばしば「講義」と化す。 (176頁)

 著者によると、女にとって今日の出来事を詳細に話すのは、情報自体が重要だからではなく、それを聞かせあうことが、互いの身辺を気遣う「関与」の証となるからである。
 それを話せるだけで孤独感は癒される。
 だが、男たちに重要なのは、情報そのものだと著者はいう。
 男たちが「有意味」な情報を語るとき、それは講義と化す。
 それが「権力」のメタメッセージになってしまうという。
 「マンスプレイニング」という言葉を想起してもよいだろう。*2

 自分の独演会になりそうなときも要注意。 (212頁)

 もちろんこうした、「独演会」は、男女の間のみならず、同性(女性同士であっても)であっても、年齢の上下、職階の上下、国籍の別、などでも発生しうることである。
 著者は次のように提言している。
 相手がしゃべり終えた、もしくは、話す意図がないと判断する瞬間から、6つ数えて口を開こう、と。

近すぎる関係がトラブルを生む

 単に二人の「関係」が変わった結果である。 (147頁)

 恋愛期間中の場合は、互いに離れた位置から始まって、相手が自分に近づこうとする信号(≒コミュニケーション)を送りあう。
 しかし、長い結婚生活では、互いに近い位置に立って、相手が自分から離れようとする信号を監視する。
 そして、もはや夫婦関係にならなくなれば(離婚すれば)、相手への期待値も低まり、もはや完璧な理解を求める必要もなくなる。
 つまり、お互いの距離が近いほど、相手への期待値が高まるほど、すれ違いが生まれやすくなるのである。*3

 会話スタイルの変更は疎遠な相手にほど通用しやすい (219頁)

 なので、自分流の自然な話し方を意識的に変えるには努力がいる。
 しかし、よく会話をするパートナーや家族に対して、一日中そうでは疲れてしまう。
 ゆえに、会話スタイルの変更は、身近な相手であるほど難易度が上がるのである。*4
 幸福な家庭生活への道は険しい。

批判されたら、「傍観者」の立場をとれ

 批判する側と、される側では、やりとりをちがったレベルでとらえる。 (198頁)

 前者は個々の行為のみに注目する。
 だが、後者は自分の全人格への評価と考えやすい。
 親は子を愛すればこそ苦言を呈するが、聞く方は自分はダメなやつだと受け取る。*5

 不思議にも、批判の受け手ではなく「傍観者」の立場をとったとたん、彼女の気持ちは楽になった。 (206頁)

 もし上記のような事態になったら、どうすればいいか。
 著者は提案する。
 自分が批判されていると思うのではなく、相手に対して傍観することを考えるべし、と。
 「自分と同じ名前(呼称)の別の人」が批判されているのであって、自分はそれを傍らにいてみているだけ、という姿勢である。*6
 批判されているのが自分ではなく別の誰かと考えれば、心へのダメージは軽減する。

 

(未完)

*1:蘇席瑤は、

言語使用の男女差に注目したマルツとボーカー(Maltz and Borker 1982)およびその後のタネン(Tannen 1991)は、男女間での談話スタイルには多くの違いがあるため、誤解が生じやすく、その男女差の起源は、幼児期に同性の友達との間で築いた談話スタイルであるとしている。この考えは文化差異論(difference theory)と呼ばれている。 

と、タネンの仕事について言及している(「台湾における「言語・ジェンダー研究」 : 文献レビューを中心に」https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/68799 )。
 また著者はそのあとに、

しかし、キャメロン(Cameron 1998)が研究者たちに強く呼びかけたように、協力と競争は表裏一体である。研究を行う際に、男性語ならきっとより競争的で、女性語ならきっとより協力的であるという先入観に当てはめて判断するのを避けなければならない。 (引用者中略) 一般社会では男女に対する見方がある程度理解されているために、人々は場面ごとに異なる性別役割を採用しているのである主張する。この考えはポストモダン理論(post-modern theory)またはパフォーマンス理論(performance theory)と呼ばれている。

とも書いている。

*2:「マンスプレイニング」と名付けられる以前に、その現象が既にデボラ・タネンの本(“You Just Don’t Understand”のほう。)に出てくる、という指摘もある(以下の記事を参照https://matteroffactsblog.wordpress.com/2014/07/10/explaining-mansplaining/ )。
 また、タネン自身は、マンスプレイニングに関連して、Zoomでの遠隔会議はマンスプレイニングを悪化させるだろうと指摘している。 ASHLEY LYNN PRIOREの記事“Mansplaining and Interruptions: Online Meetings Exacerbate Gender Inequities in the Workplace”という記事には次のようにある(https://msmagazine.com/2020/04/22/mansplaining-and-interruptions-online-meetings-exacerbate-gender-inequities-in-the-workplace/ )。

Deborah Tannen, a Georgetown University professor of linguistics and the author of eight books on women and men in the workplace, knew that Zoom conferencing and other forms of remote working wouldn’t change the problem and probably make mansplaining and male conversation domination worse./In person, “women often feel that they don’t want to take up more space than necessary so they’ll often be more succinct,” said Tannen./Online platforms allow men to mansplain, interrupt and dominate meetings more?and now more than ever before, women can’t get a word in.

*3:パートナーは、自分の予想したほどには、自分のことを理解してくれてはいない、という事実については、以前ニコラス・エプリー『人の心は読めるか?』へのレビューで言及したことがある。

*4:鬼丸正明は、齋藤純一『公共性』(岩波書店、2000年)を参照して、次のように述べている(「公共圏と親密圏 : スポーツ社会学及び社会学における公共圏論の動向」https://ci.nii.ac.jp/naid/110007628726)。

「親密圏は、「相対的に安全な空間」(……)として、とくにその外部で否認あるいは蔑視の視線に曝されやすい人びとにとっては、自尊あるいは名誉の感情を回復し、抵抗の力を獲得・再獲得するための拠りどころでもありうる。」(前掲書、98 頁)/齋藤は、対話が成立するためには、自分が語る意見に耳が傾けられる、少なくとも自分の存在が無視されないという経験が必要であり、それを可能にするのが親密圏である。そこで得られた自尊あるいは名誉の感情こそが、否認の眼差しをはねのけて、自己主張や異論の提起を可能にするのであるとする。

 家族を含め親密圏は、「自尊あるいは名誉の感情を回復」し、「自分の存在が無視されないという経験」ができる場所である。リラックス(laxはラテン語で「ゆるんだ」の意味)の場である親密圏においては、それゆえに、会話スタイルの変更が難しいのだろうと思われる。

*5:先の註に出たニコラス・エプリー『人の心は読めるか?』(2015年版)によれば、人は、「周りの人からの評価を、実際より厳しく予想」(159頁)するものである。じっさいには、「あなたの失敗はそんなに注目されていない」のだ。ここに、批判する側とされる側とのギャップが生じる。

*6:以前紹介した、YOUメッセージとIメッセージの例でいうなら、相手が言う”YOU”を自分ではないほかの誰かとして、やり過ごしてしまう方法だ、と言える。YOUメッセージとIメッセージについては、以前、橋本紀子編『こんなに違う!世界の性教育』へのレビューで言及したことがある。