日本イエズス会による軍事計画の実現性は、皆無に等しく、文字通り”絵に描いた餅”だった ―高橋裕史 『イエズス会の世界戦略』を読む―

 高橋裕史イエズス会の世界戦略』を読んだ。

イエズス会の世界戦略 (講談社選書メチエ)

イエズス会の世界戦略 (講談社選書メチエ)

  • 作者:高橋 裕史
  • 発売日: 2006/10/11
  • メディア: 単行本
 

 内容は紹介文の通り、

イエズス会はなぜ非ヨーロッパ世界の布教に成功したのか? 彼らが日本やインドなどで採用した適応主義政策とは? 布教活動のために貿易や不動産経営で生計をたてる宣教師たち。信者と資産保護のための軍事活動。「神の意志」実現のために世界を巡った「イエスの同志」の聖と俗に迫る。

というもの。

 当時のイエズス会ってあの時代の日本で何をしてたんだ、というのがわかる本。*1
 その経済的基盤などの話も載っている。*2

 以下、特に面白かったところだけ。

形式美好き(?)の日本人

 日本人は外面的な事柄や礼拝の儀礼、立派に整えられた儀式に非常に心を揺り動かされる。 (123頁)

 ヴァリニャーノの意見である。*3
 彼によると、彼らはそういった要素に過失があると、教化されずに憤るのだ、という。
 日本人は形式美を尊重するのだ、と彼は悟ったのである。*4

 我々の聖なる法に関する諸事を正しく理解し、東洋全域の中で最良のキリスト教徒となるには、最適な国民なのである (94頁)

 ヴァリニャーノは、日本のキリスト教徒としての将来性に期待を寄せていた。*5

 日本イエズス会が財政難や日本人に対する蔑視観から、日本人聖職者の養成を次第に否定してゆき、日本人のイエズス会入会を厳しく制限した (135頁)

 しかし、日本人を「最良のキリスト教徒」(byヴァリニャーノ)と認識していたイエズス会も、徐々に、日本人の入会を厳しく制限していったのである。*6

イエズス会(ヴァリニャーノ)における「人種差別」

 イエズス会への入会志願者としてはもとより、将来の司祭としても「不適格者」である、と排除された (38頁)

 インドにおけるイエズス会(ヴァリニャーノ)の排他性に関する話である。
 現地住民の血が濃ければ濃いほど、会から排除された。
 また、改宗を強制された在インドのユダヤ人たちも、イエズス会に入会させることをヴァリニャーノは、拒絶している。
 インドの現地住民は劣悪な存在だという排他的な人種選別があったようだ。*7 *8
 もちろん、こうした差別は、イエズス会のみに限った話ではないわけだが。

イエズス会武装の正当化と「軍事計画」

 スコラ正当戦争理論を踏まえた指示であると解してよい。 (224頁)

 イエズス会は、そうした、理論的方針をとった。
 トマス・アクィナスが完成させたスコラ戦争理論では、「自衛戦争」は認められた。*9
 イエズス会会員の生命と試算が大きな危険にさらされているのなら、自衛は自然法でも容認される、と。
 そんなわけで、長崎を武器や弾薬で要塞化し、長崎住民に武器を持たせることは、正当化されたのである。
 そして、イエズス会の日本における軍事活動は、イベリア国家との軍事的つながりの強化とともに、徐々にその度合いを強めていく。
 (当初からそうであったのではない、というのが著者の主張である。)*10

 日本イエズス会による軍事計画の実現性は皆無に等しく、文字通り”絵に描いた餅”にすぎなかった (245頁)

 イエズス会が日本に本格的な軍事力の導入と行使を検討し始めた頃、すでにポルトガルは国力を失い、フェリペ二世に併合される事態に陥っていた。
 にもかかわらず、日本イエズス会では少なからぬ宣教師が武力行使を主張した。
 結果的に、托鉢修道会との確執が目立ったこともあって、日本から追放されるに至った。
 軍事行為も托鉢修道会との抗争も、どれもイエズス会が自身を守るために取った自己防衛策が発端であった。
 しかし、それが益々イエズス会を追い込んでいったのである。

 イエズス会は日本のみならず、インドにおいても軍事活動に携わっていた (237頁)

 イエズス会はインドにおける戦争遂行や和平の調停に関与していた。

 ただし、これもまた彼らからすれば、およそ「自衛」のためであったことになるだろう。

 

(未完)

 

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*1:イエズス会関係で最近読んで面白かったのは、櫻井美幸「初期のイエズス会と「イエズス会女」 : なぜロヨラは女性会員を禁止するに至ったか」だ(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006473149 )。本稿の内容とは直接関係はしないが、しかし、おすすめである。ぜひ。

*2:ただし、今回のレビューでは一切この点について触れないが。

*3:ただし、本書(高橋著)にも書いてあるように、ヴァリニャーノは、日本人は、偽善的でうわべを取り繕う国民である、なぜなら、日本人は幼いころから本心をあらわにしないことを分別あることとしているからだ、とも述べている(258頁)。

*4:ただし、ヴァリニャーノは、日本の諸宗教が普遍的原理に乏しいのは、日本人が諸事物に共通する本質的な属性を抽象化する能力を欠くからだ、と述べてもいる(高瀬弘一郎「『キリシタン思想史研究序説--日本人のキリスト教受容』井手勝美」https://ci.nii.ac.jp/naid/110007410772、126頁。井手『キリシタン思想史研究序説』(ぺりかん社、1995年)の20頁も参照。)。
 ヴァリニャーノは、日本の神仏への信仰が普遍的原理に乏しいことを、日本人の抽象的能力の不足が原因とした。そう主張することで、これまで日本でそうした信仰が存在していたことを、「正当化」したわけである。(なお、フロイスも『日本史』で、禅宗の徒も一切の哲学的議論や思弁的理屈を好まず、手に捉えられる具体的見証を要求したと述べているという(前掲井手著、45頁)。)
 彼の日本人の外的な形式美に対する指摘は、日本人に上記のような内面的能力が不足しているという主張と、どこか対応しているように思える。

 ことによったら、ヴァリニャーノはそうした日本人観を信じ込むことで、これまで日本においてキリスト教が信仰されていなかったことをうまく説明しようとしたのかもしれない。そして、それを埋め合わせるようにして、外的な形式美云々に着目したのかもしれない。
 まあ、これは想像に過ぎないのだが。

*5:ただし、ヴァリニャーノも、第二次日本巡察時には、イエズス会内の日本人イルマン(助修士)の聖職者としての資質に、強い疑問と不満を表明している(本書258頁)。参照されているのは、上掲井手『キリシタン思想史序説』である。

*6:ただし、入会制限の原因は、協会側に起因する問題のほかに、同宿(聖職者に仕え、各種の聖務や雑務にあたる日本人の信徒を指す)たちの側にも見過ごせない問題があったことを著者は指摘している(135、136頁)。

*7:ヴァリニャーノは、ポルトガル領インドの住民のうち、「純粋」のインド人はイエズス会に入会させるにふさわしくないとした、と井手勝美も指摘している(前掲井手著、97頁)。

*8:浜林正夫は、本書書評において、次のようにまとめている(https://ci.nii.ac.jp/naid/110007043909 )。

インド人に対する評価は低く,イエズス会へ入会させてはならないとされる.これに対して,ヴァリニャーノは,日本人は白色人種のひとつであり,洗練されていて礼儀正しく,「最良のキリスト教徒」と見ているという.つまり,インドは布教の対象ではなく,貿易の拠点であり,日本こそ布教の主な対象であったということになる

実際には、ユダヤ人を強制改宗させている(あるいは、過去にさせた)のであるから、「インドは布教の対象ではなく」云々は、厳密にいうのであれば言い過ぎだと思われる。あくまで、イエズス会からの排除、というのが重要である。

*9:著者自身は、2017年の論文で次のように述べている(「フランシスコ会士によるローマ教皇の「軍事行使権」論について : Fray Martin de la Ascencionの『Relacion』の分析」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006329888 )。

特にアウグスティヌスの正戦論は、後の時代の正戦論の骨格を提示し、トマス・アクィナスの正戦論にも大きな影響を及ぼすことになったことは、周知のところであろう

*10:平井上総は、本書書評で次のように、本書の内容をまとめている(https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/46713 )。

日本に対するイエズス会ポルトガル・スペインとの軍事的つながりは、当初は薄かったものが、同会が自衛のため「他力本願」から「自力本願」へと方針を転換することにより「段階的にその度合いを深め」ていったのであり、「イベリア国家の海外征服事業の一翼」に一元化すべきではない、と著者は指摘している。

 もちろん著者自身も、「ポルトガルの国家利害の『代弁者』ですらある」(80頁)と、ヴァリニャーノ(*1582年書簡に依拠)がまるでポルトガル国王の能吏のように働いたとしており、イエズス会ポルトガルは相互の利害が一致していたため協力し合ったと述べている。が、軍事的なつながり自体は、そこまでではなかったのである。