ストリート・アートと美術館やギャラリーのアート作品とを分けるものは何か ―毛利嘉孝『バンクシー』を読む―

 毛利嘉孝バンクシー アート・テロリスト』を読んだ。

 内容は紹介文の通り、

正体不明の匿名アーティスト、全体像に迫る入門書の決定版

というもの。
 およその全体像が本当にわかるので、最初に読むには実にオススメ。

 以下、特におもろしかったところだけ。

皮肉たっぷりのスタント

 あいかわらず、皮肉たっぷりのスタントだった (144頁)

 2018年、バンクシーが、英ロイヤル・アカデミーの「サマーエキシビション」に、あるポスターを展示する。
 それは、「vote Leave」(離脱に投票)というポスターの「ea」をバンクシーのトレードマークの赤い風船を使って「o」にして、「Vote to love」に描き替えたものだった。
 じつは当初、バンクシーペンネームを使って一般公募枠で応募して、落選していた。
 その後、その事実を知ったロイヤル・アカデミーから出品依頼があったので同じ作品を送り、正式に展示することになったわけである。*1

法よりも「良心」が優先された

 けれども裁判は、歴史的な判決を下します (174頁)

 バンクシーがつくった番組の中で取り上げられた話。*2
 ある時、女性たちが夜中に忍び込んでハンマーで戦闘機などを破壊して、武器輸出を食い止めた。
 彼女たちは、インドネシアに輸出され、東ティモール(当時はまだインドネシア領)でのジェノサイドに使用される可能性があったためである。
 女性たちは逮捕されたが、裁判の結果、「道徳的に正当化される」とリバプール刑事法院は判断した。

 この女性たちの団体・「シーズ・オブ・ホープ」の行為は、裁判で市民的不服従として認められた。*3

 法よりも「良心」が優先されたのである。

シチュアシオニストとしてのマルコム・マクラーレン

 ビジネスを始める前にはイギリスのシチュアシオニストアナキストのグループ、キング・モブのメンバーとして活動していました。 (228頁)

 バンクシーの話題とは離れるが。
 マルコム・マクラーレンは、もともとシチュアシオニストだった。*4
 パリ五月革命のときには、結局パリにたどり着けず、友人とともに、自分たちが通うクロイドン美術学校の占拠に参加する。*5
 その後アメリカにわたり、ニューヨーク・ドールズのマネージャーを務め、イギリスに戻る。
 そこで、セックス・ピストルズを売り出すこととなる。

都市の景観は誰のものか

 都市空間が公的なものだからこそ、グラフィティが登場する余地があった (295頁)

 西欧において、都市の景観は、土地所有者や建物の所有者が勝手に決められないからこそ、景観が守られている。
 それ対して、グラフィティは、公的な空間から排除されている人々が自分たちの空間を取り戻す試みである。
 都市における文化的な市民権を獲得する運動でもある。
 ここでいう「公的」とは、個人にも行政にも属さない、人びとが集まって討議ができるような開かれた空間である。
 周縁化されている人々が尊重される空間が、目指されているのである。
 日本の事情とはやはり異なる(日本の都市景観は、土地所有者や建物所有者が好き勝手をやっている)が、しかし、ここでいう「公的」な空間から排除されている人々がいる点は、やはり共通している。*6

ストリート・アートと美術館のアートとを分けるもの

 ストリート・アートが、美術館やギャラリーのアート作品と決定的に異なるのは、 (中略) 最終的に価値を判断するのが市民だということです。  (299頁)

 ストリート・アートにおいて、ある表現の良しあしは、公的な議論を形成する市民の手にゆだねられる。
 これは、アートの民主化ともいえる。*7

 逆に市民の支持が得られなければ、バンクシーの作品であれ、消去され撤去されることになる。
 そういう意味では、市民の感性こそが問われるタイプのアートではあるのだ。

 

(未完)

*1:ちなみに、そのペンネームは、

「Banksy anagram(バンクシーアナグラム)」のアナグラムである「Bryan S Gaakman」という偽名

だったらしい(鈴木沓子「バンクシーは、なぜ作品を切り刻まなければならなかったのか?」https://bijutsutecho.com/magazine/insight/18818 )。

*2:原題は、”Antics Roadshow”。邦題は、「バンクシーの世界お騒がせ人間図鑑」である。すげえタイトルだな。

*3: 実際のところ、女性たちは、刑務所に送られるのだろうと覚悟していた。じっさい、過去において、英国及びそれ以外の場所で行われた「活動」の例では、数週間から10年以上、刑務所送りになっていたからである。

 ただ、弁護側は、 the Criminal Law Act 1967 (1967年刑法)と国際法をもって、彼女たちの行動の正当性を訴えた。「犯罪が起きているのを見れば、それを防ぐために行動する責任もある」のだと。

 その結果、陪審員たちは彼女たちの行動は正当なものと判断した。

 以上、Paul Hainsworth の The Hammer Blow: How Ten Women Disarmed a Warplane という記事に依拠して書いた(参照:https://www.developmenteducationreview.com/issue/issue-26/hammer-blow-how-ten-women-disarmed-warplane )。

*4:著者自身の説明によると、

シチュアシオニストとは、フランスの思想家・映画作家ギー・ドゥボールが50年代末に始めた、文化を通じた政治運動だ。現代社会をメディアと資本主義が支配する「スペクタクルの社会」ととらえるこの運動は、落書きやビラなど自律的なメディアを利用しながら白分たちの生活を再デザインし、メディアに奪われた都市生活を自らの手に奪還することを主張した。68年のパリ五月革命にも影響を与えたことで知られる。

とのことである(「マルコム・マクラーレンを悼む」http://bijutsu-gakka.blogspot.com/2010/05/422asahi.html )。

*5:荏開津広によると、

クロイドン美術学校の学生だったマルコム・マクラーレンは親友のジェイミー・リード、そしてロビン・スコット(のちに「Pop Muzik」を大ヒットさせるM)と共に、別館での座り込み抗議を計画組織し実行に移した。マニフェストが撒かれ、部屋はロックアウトされた。しかし、教師に対しての些事でしかない文句以外に、マクラーレンもリードも言うことはなかったとされ、運動はしりつぼみになって幕を閉じた。

というのが、実情だったようである(「荏開津広『東京/ブロンクスHIPHOP』第7回:M・マクラーレンを魅了した、“スペクタクル社会”という概念」https://realsound.jp/2017/10/post-116743.html )。

*6:日本の場合、まず、景観に対する対策として、

土地所有権者以外の多様な主体の参加や所有者以外の利用の促進も考えられている。すなわち「新しい公共」である地域組織によるエリアマネジメントの活動に期待することになる。その際、我が国に根強くある所有権の絶対性が、処分を難しくさせている。土地の持つ多面的な公共性とこれまでの私有権の絶対性の関係を再考することが必要である。

と、日本における土地所有権の強さに対する対策が、よく言われる(日本学術会議 土木工学・建築学委員会 景観と文化分科会「報告 我が国の都市・建築の景観・文化力の向上をめざして」http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-h133-9.pdf )。

*7:以下、富田与「バンクシーを巡る「仮面性」、「公共性」、「市場性」、そして「共犯者」」(https://ci.nii.ac.jp/naid/130007844841 )より引用する(原典は、バンクシー『Wall and Piece【日本語版】』(パルコ、2011年) )。

僕らが見るアートは、選ばれたひと握りの人々によって作られる。わずかな人々が創造し、推進し、購入し、展示し、そしてアートの成否を決める。世界で、ほんの数百人の人間だけがリアルな発言権を持っている。美術館に出かけていく君は、大金持ちのトロフィー棚を眺めている旅人にすぎないのだ

バンクシーも、「アートの民主化」の方向性を肯定している。
 また、

街をマジに汚しているのは、バスやビルに巨大なスローガンをなぐり書きして、僕らにそこの製品を買わない限りダメ人間だと思い込ませようとする企業のほうだ。やつらは、ところかまわず平気で僕らにメッセージを浴びせるくせに、僕らが反論することは決して許さない。やつらがケンカを売ってきたから、反撃の武器に壁を選んだのさ

という言い分も面白い(前掲富田「バンクシーを巡る「仮面性」、「公共性」、「市場性」、そして「共犯者」」)。都市景観を汚しているのはまず資本側だという。

 そのとおりだ。