民主主義を単なる多数決と混同しないためにも、ぜひ読んでおくべき本。 -坂井豊貴『多数決を疑う』を読む-

 坂井豊貴『多数決を疑う』を読んだ。

 内容は紹介文のとおり、

選挙制度の欠陥と綻びが露呈する現在の日本。多数決は本当に国民の意思を適切に反映しているのか?本書では社会的選択理論の視点から、人びとの意思をよりよく集約できる選び方について考える。多数決に代わるルールは、果たしてあるのだろうか。

という内容。
 民主主義を単なる多数決と混同しないためにも、ぜひ読んでおくべき本。

 以下、面白かったところだけ。

ボルダルールのメリット

 有権者に理解してもらいやすいのはボルダルールであろう。 (55頁)

 コンドルセ・ヤングの最尤法はしくみが込み入っているからである。
 それに対して、ボルダルールは、著者いわく、「多くの人から少しづつ加点を積み重ねないと勝利しにくい。だからそのような政策、つまり広範の人々から支持を受ける政策を探し当てるインセンティブが政治家に働く」。*1
 コンドルセ・ヤングの最尤法とボルダルールの詳細については本書をあられたい。

「誰も他者を買うことができず、誰も自分を売らないですむ」

 財産の再分配は、 (引用者中略) 社会の紐帯を維持する強力な手段でもある (引用者中略) ではどの程度の再分配が必要かというと、ルソーは「誰も他者を買うことができず、誰も自分を売らないですむ」程度と表現している (87頁)

 過度の財産的不平等は、人格的にも対等な関係を壊し、高慢や追従が蔓延る状態へ社会を導いてしまう。*2 *3
 相互尊重は難しくなり、一般意志に基づく社会の維持は見込めない。
 社会は分断され、立法は一般意志に由来できなくなる。

オストロゴルスキーのパラドックス

代表制と直接制が正反対の結果を生み出しうることを、オストロゴルスキーのパラドックスという。 (92頁)

 「代表制(選挙で候補者を選ぶなど)と直接制(個々の政策を直接選ぶ)が正反対の結果を生み出すこと」を指す。*4
 選挙に勝ったからといって、そのすべての政策が支持されたとは限らないのである。*5

2/3の正当性

 そもそも多数決は、人間が判断を間違わなくとも、暴走しなくとも、サイクルという構造的難点を抱えており、その解消には三分の二に近い値の64%が必要 (135頁)

 また、小選挙区の下では、半数にも満たない有権者が、衆参両院に三分の二以上の議員を送り込むことさえできる。
 国民投票における改憲可決ラインは、64%程度まで高めるべきだ、と著者はいう。*6

「文句があるなら選挙に出ろ」という暴論

 わざわざ政治家にならねば文句を言えないルールのゲームは、あまりにプレイの費用が高いもので、それは事実上「黙っていろ」というようなもの (150頁)

 「政治に文句があるなら、自分が選挙で立候補して勝て」といった愚かな物言いに対する著者の反論である。
 これは、某ホリエモンが某茂木氏に使った論法なのだが、シングルイシューに対して「選挙に出ろ」は、無茶というか、どう考えてもコストに合わない方法である。*7

小平における住民投票問題

 都道328号線問題は、 (略) 問題の性質上、多くの人にとっては自分の生活と直接的な関連が弱い (152頁)

 関連が強いはずの市長選で、投票率が37%だったことを考えれば、35パーセントは実は高い。*8 *9
 また、例えば有権者を都民にしていたら、投票率はさらに下がっただろう。
 逆に、328号線の近隣住民だけに有権者を絞れば、あるいは、その道路の利用者だけに有権者を絞れば、投票率は大きく上がったはずである。
 そうした、関連性の問題も考慮されねばならない。*10

 

(未完)

*1:ボルダルールが単純な多数決と比べて、死票対策としても有効である点は、同志社大学 伊多波研究会 行政分科会「多数決の限界」(http://www.isfj.net/article_search.html?cx=002857797681967918554%3Ajdjjiqctkra&ie=Shift_JIS&q=%E5%A4%9A%E6%95%B0%E6%B1%BA%E3%81%AE%E9%99%90%E7%95%8C )も指摘する所である。なお、この論では、当書『多数決を疑う』も参照されている。

*2:ルソーの『政治経済論』には

政治において最も必要な、そして恐らく最も困難な事柄は、すべての人間に公平であり、とくに貧乏人を金持ちの圧制から保護するための厳格な潔白性ということにある。 (引用者中略) したがって、政府の最も重要な事業のひとつは、財産の極端な不平等を防止することにある。それは財宝を所有者から取り上げることによってではなく、それを蓄積するすべての手段を取除くことによって、また貧乏人のための救貧院を建てることによってではなく、市民が貧しくならないようにすることによってである。

とある。以上は、畑安次「ルソーの「一般意志」論」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110006980770 )からの二次的な引用であり、河野健二訳『政治経済論』(岩波文庫)の35頁が該当箇所であるという。

*3: 

平等については,この言葉を,権力と富の程度の絶対的同一と理解してはならない。つまり,権力については,それが,暴力の程度にまでには決して高まらず,またつねに地位と法とにもとづいてのみ行使されるということを,ならびに,富については,いかなる市民も,それで他の市民を買えるほど豊かではなく,また,いかなる人も身売りを余儀なくされるほど貧しくはないということを,意味するものと理解せねばならない。

 以上は、岸川富士夫「自由と平等へ向かって : ロック,ルソー,そしてハーバーマス」(https://ci.nii.ac.jp/naid/40020436399 PDFあり。)からの二次引用であり、原典は、桑原武夫・前川貞次郎訳『社会契約論』(岩波文庫、1972年)の77頁という。

*4:「Listening<そこが聞きたい>多数決の結果は民意の反映か 坂井豊貴氏」https://mainichi.jp/articles/20160616/org/00m/070/007000c 。このネット記事に、そのわかりやすい説明が載っている。

*5:なお、オストロゴルスキーは、1902年の「デモクラシーと政党組織」で、「政治組織や大衆デモクラシーに内包される危険性にいちほやく着目した」。
 また、「1905年の第一次ロシア革命ののちに創設された国会(ドゥーマ)の議員」となっている。「オストロゴルスキーほ立憲民主党(カデット)に所属したと考えられてきたが,国会には無所属議員として登録されている.ただし立憲民主党とは,自由な立場で連携を保持して」いたようだ。
 以上、成田博之「M.Я.オストロゴルスキ-の政治思想」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110005858222 )より、参照・引用を行った。

*6:石田良は、米国連邦議会でも憲法修正条項の追加については両議院の三分の二が必要と認めることが条件とされており、「この特別多数の『三分の二』について、コンドルセ・サイクルが存在しないための絶対多数」が「63~64%」であることから理論的に裏付けを与えようとする見解を紹介している(「投票理論の概要~意志集約方法の理論分析(1):財務総研リサーチ・ペーパー」http://www3.keizaireport.com/report.php/RID/418407/ )。
 それは、 「 Caplin, Andrew & Barry Nalebuff, 1988, “On 64%-Majority Rule.” Econometrica 56(4), 787-814.  」 とだという。

*7:衆院選小選挙区)の場合、供託金だけで300万円かかる。どう考えても高い。
 緑の党のホームページにある、供託金違憲訴訟弁護団OECD 加盟国の選挙供託金制度について」(2017年。http://greens.gr.jp/uploads/2017/10/170726OECD.pdf )によると、海外で選挙供託金制度のある国のうち、日本以外で高いのは、韓国(小選挙区比例区)の145万5千円ぐらいであろう。やはり、日本が圧倒的に高いとみてよい。

*8:福地健治によると、ドイツでの住民投票の要件は次のとおりである(「小平市における都道3・2・8号線の住民投票に関する研究―住民意識調査から「投票率50%の成立要件」の意味を考える―」http://www.uzukilab.com/?page_id=395 )。

住民投票の成立要件に関し、住民投票の先進国であるドイツの例を挙げれば、「投票率50%の成立要件」が初めて採用されたのは 1955 年のバーデン=ヴュルテンベルク州で行われた住民投票であるとされる。制度の目的は、住民投票の濫用を防止し、議会制民主主義の形骸化を防ぐためであった。この制度は約 20 年間維持されたが、多数の投票ボイコットが逆に住民投票制度を形骸化したため、1975 年に「全有権者の 30%の絶対得票率」に変更された。さらに現在のドイツでは得票率による成立要件が多くの州で緩和され、バーデン=ヴュルテンベルク州の 30%はもはや高い条件となっている。

*9:kamihoo氏ブログ「小平から世界へ」は、「小平市住民投票以後も、国内の住民投票の事例を追いかけておりますが、50%成立要件の事例は後世に悪影響を与えています」と述べて、その例を挙げている(「小平市長 小林正則氏の著作「住民投票」を読む」https://runkodaira.com/kodaira/kobayashi-jumintohyo/ )。

*10:北野収は、次のように指摘している(「私の視点:小平市住民投票 足かせになった50%要件」http://daijiminade.cocolog-nifty.com/blog/files/asahi130603_kodaira.pdf )。

受苦圏と市域がズレた点。受苦圏という概念は住民が享受していた便益が、開発で消失する地理的広がりを指し、通常、住民の生活圏に重なる。道路建設玉川上水という史跡の一部と里地の断片(雑木林)が失われれば、地域の人たちの便益が失われるのは明らかだ。一方、住民投票の単位は自治体で、受苦圏とは必ずしも一致しない。同市の北部地域の住民より、むしろ隣接する国分寺市立川市のほうが道路建設で失われる玉川上水の緑地の受益者は多いのが実情だ。

著者に共通する問題意識を「受苦圏」という面からとらえた重要な指摘である。