「年に1日だけでもいい、全てのミュージシャンは自分の楽器を置いてデューク・エリントンに感謝を捧げるべきだ」 ―柴田浩一 『デューク・エリントン』を読む―

 柴田浩一 『デューク・エリントン』を読んだ。 

デューク・エリントン

デューク・エリントン

  • 作者:柴田浩一
  • 発売日: 2015/12/21
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
 

  内容は紹介文の通り、

日本で初のエリントン、その音楽を解く鍵はここにある。ジャズと横浜を愛する男が、エリントンに魅せられて50年。執筆から10年を費やした力作が完成。

というもの。

 エリントンほどの人物でも、日本人の手になる研究書は、この本が出るまではなかったのである。
 マイルス・デイヴィスの「年に1日だけでもいい、全てのミュージシャンは自分の楽器を置いてデューク・エリントンに感謝を捧げるべきだ」という言葉も思い出されるところ。*1
 以下、特に面白かったところだけ。

エリントンの音楽を変えた男

 エリントンも例外ではなくバンド創成期は当時誰もがやっていたスヰートな音楽をやっていた (144頁)

 では、デュークエリントンがスタイルを変えたのは、なんだったか。
 それは、トランぺッターであるバッバー・マイリーの参加がきっかけだという。
 彼のブランジャー・ミュートのプレイは、荒々しく厚っぽく唸るグロウル・プレイというスタイルを確立した。*2
 たいていのトランぺッターは、当時のサッチモのような輝くような音色と突き抜ける高音、耳新しいフレージングの影響を受けていた。
 マイリーは、そんなサッチモの影響を退けることが出来たのである。

エリントンと印象派

 エリントンのピアノ・スタイルが古いと思われるのは、ラグタイムの影響を色濃く残すストライド奏法に基がある。 (170頁)

 ストライド奏法とは、かんたんにいえば、左手がリズムを刻み、右手でメロディを弾く奏法である。
 かなり強力な左手が必要になる。
 ちなみに、速いテンポだとストライドが出るエリントンだが、ゆったりしたテンポだと、フランス印象派のピアノの影響が出るという。*3

ご存知、ハリー・カーネイ

 エリントンの全楽歴に近い48年間連続勤務という偉業 (303頁)

 ご存知、ハリー・カーネイである。*4
 エリントン楽団の最低部を担った人物。
 バリトン・サックスの閾を超えた、最高音から最低音まで出せるテクニックを持つ。
 循環呼吸も可能だった。

 

(未完)

*1:とあるサイト(https://www.washingtonpost.com/wp-srv/style/music/features/ellington/legacy.htm )には、

Washington Post Staff Writer/Saturday, April 11, 1999; Page B1/"All musicians should get down on their knees one day to thank Duke Ellington."/That's what Miles Davis said in 1974, when Duke Ellington passed away at age 75.

とある。ようは、マイルスが1974年に言った言葉なのだ、という。

 しかし、さらに古いバージョンだと、

I think all musicians should get together one certain day and get down on their knees and thank Duke Ellington

というのがあるようだ。この言葉の出典は、Edward Green 編の" The Cambridge Companion to Duke Ellington "によると、1955年の「ダウンビート」誌(9月21日)まで遡るようである。

*2:『20世紀西洋人名事典』には以下の通りある(https://kotobank.jp/word/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%90%E3%83%BC%20%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%BC-1632598 )。

初期デューク・エリントン楽団のジャングル・スタイルの基調となったワー・ワー・トランペット奏法を創始したプレイヤーとしてジャズ史上に残る。

*3:ケイ赤城は、ビリー・ストレイホーンとデューク・エリントンがピアノ2台で演奏している曲があるが、これがよく聴くと、本当に「フランスの音楽」だ、という(菊地成孔大谷能生『M/D マイルス・デューイ・デイヴィス3世研究』(エスクァイアマガジンジャパン、2008年)、672頁 )。ここでいう「フランスの音楽」とは、赤城が前段で述べている、ドビュッシーラヴェルなど「フランス印象主義の作曲家」の作風を指す。
 赤城が述べているものは、アルバム・『Great Times!』に入った曲なのだろう。

*4:ブログ・「続・公爵備忘録」は次のように書いている(「Harry Carneyをハリー・カーネイと書くのはおかしくないか」https://ameblo.jp/cottonclubyears/entry-12480697809.html )。

Harry Carneyのメインの楽器はバリトンサックス。でも入団時はクラリネットの担当で、のちにアルトクラリネットバスクラも吹いた。楽団の初期にはソプラノサックスもアルトもテナーも吹いた。キーが違っている楽器を複数演奏するなんて超人的だ。

 ところで、「実際の発音は“カーニー”に近いのに、どうしてカーネイなんだろう?」という疑問が提出されているが、推察されるとおり、「ハリー・カーニー」登場よりも、「ハリー・カーネイ」の登場の方が、早い可能性が高い。例えば、唐端勝ほか『軽音楽とそのレコード』(三省堂、1938年)には、「ハリー・カーネイ」で登場する。執筆は野川香文であり、彼の影響は大きかったものと思われる。