柳田国男『故郷七十年』を読んだ。
内容は講談社学術文庫版の紹介文の通り、
昭和三十二年(一九五七)、齢八十をこえて神戸新聞社に回顧談を求められた碩学はこう述べた。「それは単なる郷愁や回顧の物語に終るものでないことをお約束しておきたい」。故郷播州と利根川のほとり、親族や官途のこと、詩文から民俗学へ…。その言葉に違わず、比類ない自己形成の物語が残された。近代日本人の自伝の白眉。
というもの。*1
1875年生まれの播磨に生まれ、幼少期を関東で育った人物がどのような自己形成を経たか、興味深くつづられている。
口述筆記がベースゆえに、戦前の書きものに比べ文体も平易である。
柳田の著作にあまり触れていない人にもお勧めできる。
以下、特に面白かったところだけ。*2
病とお遍路
母の同胞は男女二人、長男の德太郞は働き者で、飾磨の港に出て商ひに携はってゐたが、悪質の花柳病にかかって、そのまま四国順礼に出てしまひ、永久に還って来なかった (31頁)
母方の人物で、梅毒によって四国巡礼に出て、帰ってこなかったようで、これが世間の目を気にする家々の普通の処理法だったという。*3
必ずしも榊でなくてもよい
榊を祭りの木とする、日本の固有信仰が北に及んでいったとは考へられない (85頁)
天然の生枝を祭木とする場合、執筆時当時から最も多く用いられるのは真榊だが、この一種類が多数派となるのは中世のことで、この木の分布は全国的ではない。
実際、 当時の東京あたりでもヒサカキを代用している。
また、さらに北方に行くに従って、極端な場合は、椿や松などを使用している地方の例などもある。*4
題詠の功罪
和歌の伝統からいへば、かうして口を馴らしておいて何時でも必要な時に詠めるやうに訓練しておくのだった。 (214頁)
題詠の歌は実際に起こったことの感情を詠まなくてもいい、想像でもいいわけである。
現在では題詠は軽蔑すべきものとみられているが、その効用は、柔道の乱取りみたいなものだと柳田は言う。
それを何度もしているうちに、いよいよ自分がどうしても詠まねばならない辞世の歌とか、別れの歌とかを作るときに、すらすらと出るようにしておくのが、歌の道のたしなみだ、と。*5
柳田は子供のころ、それを「歌口」といっていたという。
題詠はあくまでも訓練であって、それを本筋の作歌とされては、ということらしい。
米は生で食えるのかどうか
米に一つだけ大変な特徴があるのは、生で食べられるといふ点である。 (410頁)
米が早くから特別の地位が与えられていた理由を柳田はそのように推理する。
じっさい、ある大地主の家では、土蔵の入口に「把み米食ふべからず」などと貼紙がしてあったという。
また、子供のころ、若い教員などが稲穂を揉んでからだけ飛ばして、米粒だけを口の中にほうり込むのをみたという。
しかし、本当に生で食べて消化できていたのかどうか。*6
「分かりません」をためらわない
いちばん簡単な方法は、小学校教育のころから「分りません」といふことをいへる人間をほめてやるやうな教育法をすることだと私は思つてゐる。 (102頁)
国語は本来、口でものをいうことなのに、日本でも(仏国などでも)演説になると文語調になるのはばかげた理屈だ、と柳田は言う。
普通の言葉でものをいうようにしなければ、聴く者はいつも頭の中で一度翻訳してから理解しなければならないからである。
「社会党のだか自民党のだか聞きわけることもできないほどむつかしい言葉を使っている」。
そのためには、小学校教育のころから「分りません」といふことをいえる人間をほめてような教育法が重要だという。
先生が何を言っても生徒は黙って聞いていて、丸覚えをする、そんなケチな気持ちをなくしてしまわなければならない、と。
特に参観者のいるときに「わかりません」を抑圧するような風潮は、教師の中からなくすべきだという。*7
(未完)
*1:この紹介文は、2016年の講談社学術文庫版のものを引用している。
*2:引用箇所は、比較的参照しやすい、『定本柳田国男集 別巻 第3』(筑摩書房、1964年)の「故鄕七十年(改訂版)」を使用している。ただし、引用箇所について、表記を平易なものに改めていることを予め断っておく。
*3:では、実際の遍路のうち、持病を抱えていた人たちの実際の割合はどのようなものだったか。参考として、遍路死者数を見てみる。
「日本近代の愛媛県域で発行された新聞各紙に見る遍路死者数」は、「合計すると1868年から1945年までの約70年間に計745人の遍路死が確認できる」。「『病死』に限定しないすべての遍路死745人中何らかの慢性的疾患あるいは困難な持病を抱えていたと認められる遍路は253名いた。そのうち具体的な病名を知ることができたのは212名である」。
「その中で圧倒的多数を占めたのが「癩」ハンセン病(87人)である」。次いで肺結核(25人)、梅毒(22人)胃腸病(17人)と続くという。もちろん、「これらはあくまで新聞に報じられたのみの人数である。報じられなかった遍路死、報じられたにせよその疾病が閑却された例も少なくないはずである」。
以上、関根隆司「近代の四国遍路と「癩」・病者 : 愛媛県における統計的研究」(https://cir.nii.ac.jp/crid/1390290699578169600 )から、引用を行った (*なお、引用の際、注番号を削除するなど変更を加えている。)。
*4:島野光司は次のように述べている(「信州の自然と神社」https://science.shinshu-u.ac.jp/~shimano/shimano_top.html )。
しかし,西日本,あるいは関東の平野部では一般的な常緑広葉樹も,東北日本や標高の高い地域では一般的ではありません.寒い地域では,常緑針葉樹(スギやヒノキ,あるいはウラジロモミ,シラビソなど)を除けば,落葉広葉樹が多く生育しています. (引用者略) 冬に寒い地域に常緑の葉が生育していると寒さで葉の中の水が凍り,膨張し,葉の細胞を壊してしまいます.冷蔵庫で一度霜に当ててしまったホウレンソウやコマツナなどの菜っ葉が,フニャフニャになってしまうのと一緒です.では,サカキが自生しないような寒い地方では,どんな樹木が代わりに使われているのでしょうか.神社境内に自然の植物が多く残るため,私(島野)もあちこちの神社に訪れることが多いのですが,松本平周辺の神社では,ソヨゴという樹木が使われることが多いです.ソヨゴはモチノキ科モチノキ属の樹木で,常緑なのですが,この松本周辺の山地にも多いのが特徴です.関東ではあまり見られませんが,富士山周辺やこの長野県の標高600-800m,他の常緑樹が生育できないようなところまで分布しているのが特徴です.
*5:題詠の功罪について、柳田以前の人々はどのように考えていたか。
例えば、江戸後期の富士谷御杖(『歌袋』)の場合、題詠は歌を虚偽にすると非難しつつも、一方で、稽古の上では功ありとして必要だとする。「歌の趣を知り、詞をもいひ馴れむに、之よりよきは無し」というのだ(佐佐木信綱『日本歌学史』(1910年、博文館)、409頁)。これは、基本的に柳田国男の見解と大きくは離れていないようだ。
*6:稲垣栄洋は次のように書いている(「草食系?戦国武将はなぜ「玄米と味噌中心の食事」で戦い続けられたのか」https://bizspa.jp/post-606527/2/ )。
イネの種子はこのデンプンを分解し、ブドウ糖にして発芽のエネルギーにする。人間も、米を食べたあとはデンプンを分解してブドウ糖にしなければならない。しかし、生米のままではデンプンの結合が固すぎて、容易に分解することができない。一方、デンプンに水を加えて加熱すると、アミロースやアミロペクチンの結合が崩れる。この現象をデンプンのα化と呼び、α化することによって消化されやすくなるのである。
なお、稲垣は同記事で、
家康は全軍に「雨中であるが生米を食うな」「今よりただちに米を水に浸しておき、戌の刻(午後八時)になってよりそれを食うように」と指示をした。
というエピソードを紹介している。出典はおおそらく、『落穂集』であろう(例えば、成島司直等編ほか『徳川実紀』第壹編(経済雑誌社、1904年)、227頁を参照。)。
*7:藤田明史は大西巨人『神聖喜劇』の有名な「『知りません』禁止、『忘れました』強制」について、次のように書いている(「大西巨人著『神聖喜劇』に見える非暴力抵抗の思想 ―平和学からの考察―」(https://cir.nii.ac.jp/crid/1050001337424621696 ))。
東堂は、「『知りません』禁止、『忘れました』強制」という不文律の成立事情を次のように推理する。まず、刑法学上の「責任阻却」という考え方―「違法行為者も特定事由の下では(その責任が阻却せられて)刑法的非難を加えられることがない」―を利用し、「あの不文法または慣習法を支えているのは、下級者にたいして上級者の責任は必ず常に阻却せられていなければならない、という論理ではないのか」と考える。なぜなら、「もしも上級者が下級者の『知りません』を容認するならば、下級者にたいする上級者の知らしめなかった責任がそこに姿を現わすであろう。しかし、『忘れました』は、ひとえに下級者の非、下級者の責任であって、そこには下級者にたいする上級者の責任(上級者の非)は出て来ない」からである。 (引用者略) 下級者にたいして上級者の責任が必ず常に阻却せられるべきことを根本性格とするこの長大な角錐状階級系統(W からさらに上へむかって V、U、T、S、R、Q、P、……)の絶頂には、『朕は汝等軍人の大元帥なるぞ。』の唯一者天皇が、見出される。」―こうした考えに至って、彼は「ある空漠たる恐怖」に捕らえられる。
『神聖喜劇』における「『知りません』禁止」と、柳田における「分りません」禁止とに共通する点は、下級者にたいする上級者責任を明らかにする点であろう。「分りません」と述べることは、行為遂行的に、相手方の責任を露出させることでもあるのだ。






