サブタイトルは釣り気味ではあるが、しかし、中身は問題ない。 -今拓海『ローリング・ストーンズ』を読む-

 今拓海『ローリング・ストーンズ』を読んだ。(厳密には再読) 

 内容は、紹介文の通り、

「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」の「フラッシュ」の本当の意味は「核爆発」?「アイ・キャント・ゲット・ノー・サティスファクション」のタイトルには、ミック・ジャガーの黒人文化への深いオマージュが込められていた…etc.ストーンズ世界の背後の、「既成概念」「精神風土」「宗教問題」を明らかにする。中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)との特別対談「ストーンズは何と闘ってきたのか?」も収録。

という内容。
 サブタイトルの「『ジャンピン・ジャック・フラッシュ』の聴き方が変わる本」というのは釣り気味ではあるが、しかし、中身は問題なし。

 以下、特に面白かったところだけ。

リヴァプールアメリカ音楽

 そのなかにはジャズやリズム&ブルースのレコードを持ち帰ってくる人も少なくなかった。 (29頁)

 リヴァプールは、米国から多くの輸入物が届いた。
 エレキギターも来た。
 ロンドンではまだ手に入らないモノばかりである。
 こうしてリヴァプールでは、ロックやジャズなど米国文化が多く届き、バンド結成をする人が多く出る。*1
 そして、米兵が駐留するハンブルクのクラブで演奏の仕事を獲得したのが、ビートルズであった。
 まあ、ストーンズに、リヴァプール出身の人はいないが。*2

英国とマリファナ

 ところがなかには移民の際に約束されていた仕事に就けなかった者もいて、彼らがマリファナの密売を始めた (124頁)

 マリファナは、英国ではなかなか手に入らなかった。
 ところが、50年代後半から流入したジャマイカからの移民(多くはロンドンのブリクストンに住んだ) *3 が、マリファナの密売を始めた。*4
 背景は引用部のとおりである。

流れを変えた「タイムス」の記事

 ところが、この裁判結果に保守系の高級紙といわれる「タイムス」紙が、反論の社説を載せた。 (135頁)

 ストーンズの薬物裁判の件である。*5
 タイムズ*6紙は、通常なら執行猶予なのに、はるかに厳しい裁判判決が下されたことに疑問を投げかけた。
 ストーンズだからそんな結果にしたのはおかしいと。
 そうして世論の風向きが変わったのである。*7

英国のMDMA対策

 逆にMDMAに関する情報を次から次へと公開した。 (220頁)

 ストーンズの話題から外れて、90年代の英国のドラッグ事情のお話である。
 あのイギリス人ですらMDMA*8でうっすらとした幸福感と誰でも隣にいる人がいとおしくなる、という驚異の薬である。*9
 これも粗悪品が出回ると死者が出始める。
 そこで英国政府は情報を提供し始めた。
 粗悪品の見分け方、飲んだときは換気をよくすること、激しい運動はしないこと、アルコールと併用しないで、水を多く飲むことなど。
 別に国民全体がMDMA漬けになったわけではない。
 むしろ国が情報を広めたことで、粗悪で事故につながるようなMDMAが売れなくなったという。
 善後策としての政策を、英国政府は目指したのだ、と言える。*10

5弦ギターの秘密

 キースは一番低いDの弦をとってしまった (179頁)

 キースの5弦ギターの理由について。
 ボトルネック奏法では、イレギュラーのチューニングにしないと、コードの音にならない。
 そこで、オープンGのチューニングにする。

 すると、低い弦からDGDGBDになる。

 ただ、これだと、Dの音が目立ってしまう。*11

 そこで、5弦にすると、B一つ、D二つ、G二つ、とバランスが取れるのである。*12

 

(未完)

 

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*1:こうしたについては、楠田真「戦後イギリス若者文化再考―「スウィンギン・ロンドン」とその余波―」でも、言及されている(https://ci.nii.ac.jp/naid/500000915567 )。

*2:もちろん、ミックとキースはイングランドの南部・ケント出身で、他のメンバーもイングランド北部出身の者はいない。イアン・スチュワートはスコットランド出身だし。

*3:木村葉子によると、

ロンドンなどイギリスに黒人が一挙に増えるのは,第二次世界大戦後である。空軍で活躍した西インド諸島出身者が,イギリスに定住したことがきっかけであったとも言われる

とのことである(「『移民』か『イギリス国民』か : アレクサンダー・D・グレートのカリプソから読み解く『ウエスト・インディアン』の歴史」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005274010 )。面白い論文なので、ぜひご一読を。

*4:かつては、ジャマイカでもマリファナは違法であり、「1978年9月、ピーター・トッシュ(Peter Tosh)はマリファナ喫煙で逮捕、また警官に暴行を加え、逮捕を拒否し下品な言葉遣いをしたとして容疑をかけられた」(「ダブストアインク」の記事より。https://www.worldreggaenews.com/article.php?category_id=2&article_id=2527 )。

 ジャマイカ大麻の所持・栽培が法改正により、非犯罪化されたのは2015年である。ただし、「この法改正ではアメリカ合衆国のいくつかの州のような完全な合法化ではなく、2オンス(56g)までの所持が5ドルの罰金刑という微罪処分へと変更され、逮捕されることも前科がつくこともなくな」っただけである(「ジャマイカガンジャ大麻)が非犯罪化、ザイオンに一歩近づく」https://buzzap.jp/news/20150416-jamaica-legalize-it/ )。
 ジャマイカマリファナの質は高いことが知られているが、丸山ゴンザレスの取材によると、

しかも、合法になってしまえば堂々と販売できるんだ。これほど歓迎するべき状態があるか?ドラッグってのはアメリカに入ると金と同じような価値がつくんだ。品質とグラム単位で金額が決まる。いまのところ高値なのは希少性があるからさ。マリファナも安い、高いじゃなくて品質で選ぶ時代が来ると思うね

とジャマイカの商売人はコメントしているようだ(「世界で進む「大麻合法化」。裏社会の住人にその実態とホンネを聞いた~丸山ゴンザレス・中南米突撃ルポ!」https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48531?page=5 )。恐らく質は今も変わっていないのだろう。

*5:キースは、裁判での自身の発言を次のように振り返っている(「キース・リチャーズ、1967年のドラッグ検挙事件の裁判について語る」https://rockinon.com/news/detail/132215 )。

こういう発言をすると、ろくなことにならないっていうのはわかってたんだけどね。だけど、こういう局面ではね、『うーん、どうしようかな、全部認めて、判事様、申し訳ありませんでした云々って言おうかな』とか、いろいろ考えが巡ってるもんなんだけど、全然悪いことをしたとは思ってなかったから、思ってることを言おうと決めて、『おまえらの矮小な道徳観なんてどうでもいいから』となっちゃったんだよね

すげえな。

*6:日本では「タイムズ」という呼称のほうが一般的である。

*7:英語版Wikipediaの、キース・リチャーズの項目によると、ビル・ワイマンの Rolling With the Stonesに、その記述がある模様である。

 その邦訳によると、タイムズ紙のウィリアム・リーズ=モグの記事には、世論の大きなうねりとなる見解が書かれていた、という(『ローリング・ウィズ・ザ・ストーンズ』(小学館、2003年、286頁) )。なお、該当するのは、1967年7月1日付のタイムズの記事であるようだ。

*8:俗称「エクスタシー」のアレである。

*9:あるウェブニュースによると、

規制薬物とされてきた「エクスタシー」(MDMA)だが、心的外傷後ストレス障害PTSD)患者向けの小規模臨床試験の結果が良好で、大規模臨床試験が行われることになった。

とのことである(「「エクスタシー」が米国で大規模臨床試験へ:5年後には処方薬となる可能性も?」https://wired.jp/2016/12/05/late-stage-clinical/ )。ただし、その一方で、記事内でも指摘されているように、MDMAの規制を外そうとする動きに批判的な声も存在している。

*10: 山本奈生は、

イギリスのドラッグ政策は,米国や日本における「ゼロ寛容(zerotolerance)」政策とは異なり,いわゆる「ハームリダクション(harm reduction)」政策に近しい

としている(「イギリスにおけるドラッグ政策と「世論」--カンナビスの分類を巡る政治」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009556689 )。もちろん山本は、各国で「ハームリダクション」政策の様相・程度は異なるとも述べているが。ともあれ、「ドラッグ使用者に対する刑罰の緩和と,医療・福祉制度の拡充が重視される傾向」というのは、本書(今拓海著)の記述に通ずるように思われる。

*11:キース本人は、

いや、だから当時は、このまま6弦の普通のギターをやっててもこれまでやってきたことの繰り返しばかりになりそうで、5弦の開放弦チューニングを知ったら、まったく新しい楽器の弾き方を習得してるような感じになったんだよ。これだとさ……弦は5本あって、音は3つ……あと必要なのは手が2本と馬鹿な奴ひとつだと(笑)

と語っている(「キース・リチャーズ、ガスじいさんの思い出や開放弦奏法の開眼当時について振り返る」https://rockinon.com/news/detail/133058 )。本人は、ライ・クーダーからパクったと述べている。

*12:ウォーキング・ベースをやる場合、オープンGだと六弦がキー音ではないからやりにくいので、六弦を取ったのではないか、という指摘も存在する(鮎川誠&山川健一ローリング・ストーンズが大好きな僕たち』(八曜社、1992年)、36頁)。

この本があれば、下手な自己啓発本はいらないんじゃね、ってなる -ワイズマン『その科学が成功を決める』を読む-

 リチャード・ワイズマン『その科学が成功を決める』(2010年版)を読んだ。

その科学が成功を決める (文春文庫)

その科学が成功を決める (文春文庫)

 

 内容は、

成功する自分をイメージする方法はむしろ逆効果!?子供の知能や才能をほめて育てると、とんでもない結果を招く!?集団での意思決定はリスクの高い決断になる!?巷に溢れる自己啓発法を科学的調査から徹底検証。その真偽を明らかにした上で、すぐに実践できて効果のある自己啓発法を紹介する。これまでの常識を覆す衝撃の一冊

というもの。
 某密林の評では、「 広く浅い雑学集」と、みもふたもない書かれ方をしていたが、まあ、エビデンス付きなので、まあ許されてよいように思う。

 以下、特に面白かったところだけ。

ほかの人のために金を使うほうが幸せ

 自分よりほかの人のためにお金を使うほうがしあわせになれる (34頁)

 科学的にはそうだと、著者は言う。*1
 小さなプレゼントでもよい。
 ほかの人のために使う数ドルは、最高に効果のある投資である。
 現金がないなら、親切な行為を1日に5つ実行すればよい。

トルストイの「名言」

 私たちが人を好きになるのは、相手からしてもらったことのためではなく、自分が相手にしてあげたことのためである (53頁)

 トルストイの言葉であるらしい。*2

 育児等が比較的わかりやすい例であろう。

視点を変えよ

 視点を変えてみることも、新たな解決法を見つけるのに役立つ。 (116頁)

 たとえば「この仕事に大勢の目を向けさせるのは大道芸人が通行人の足を止めさせるようなものだ」と。
 そのようにして、自分の仕事を相対化することが、新たな発見につながる。*3

感謝の効果

 人生の中で自分が感謝することを三つ書き出す (193頁)

 すると、ひと月ほどの間は幸福感が高まるという。
 ただ、追試の結果は芳しくなさそうではあるが。*4

 

(未完)

*1:この手の話題では、大体の場合、Elizabeth Dunnの研究を根拠とすることが多い。その例として、以下も参照。https://www.afpbb.com/articles/-/2369188https://psychmuseum.jp/show_room/for_others/https://psychmuseum.jp/show_room/for_others/

*2: この言葉の出典は、トルストイ戦争と平和』である。プロジェクト・グーテンベルクにある英訳版(http://www.gutenberg.org/ebooks/2600 )だと、

As Sterne says: ‘We don't love people so much for the good they have done us, as for the good we have done them.’

となっている(BOOK ONE: 1805 CHAPTER XXVIII)。マリヤが、セリフの中で、スターンの言葉として紹介している。このスターンとは、英国の作家のローレンス・スターンのこと。『トリストラム・シャンディ』の作者である。

 川端香男里は、

トルストイは、例えばロマン派の文学を不自然と感じとり、その代わりすでに「過去」のものとされていた18世紀のルソー、ヴォルテール、スウィフト、スターンなどに親しみをもったのです。

と解説している(「「人はいかに生きるべきか」の探求」https://www.nhk.or.jp/meicho/famousbook/23_w_and_p/guestcolumn.html )。なお、この言葉に戦前の日本人にも着目した人があったようで、その点は、奥野久美子「恒藤恭、芥川龍之介日露戦争 : トルストイの読書体験とあわせて」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110009842479 )を参照。

 なお、スターンのどの文献が元ネタなのかは、現時点では未詳である。もしかしたら、そんな元ネタ自体が存在しない可能性もある。ここら辺は、岩波文庫版『戦争と平和』を読んでも書いてなかったので、どなたかご存じないだろうか。

*3: 「この仕事に大勢の目を向けさせるのは大道芸人が通行人の足を止めさせるようなものだ」というのは、「わざ言語」に近いものといえるかもしれない。ブログ・「Thinking Laboratory」は、わざ言語について、

わざ言語は目の前の課題をクリアするためのものでなく、長期的な観点で見た目標達成のためのものだとすれば、その本質は何か。それを一言で言えば、「気づきを得るための媒介」になる

としている(以下のURLを参照。
https://ubukatamasaya.hatenadiary.org/entry/20110717/1310912471  )。

*4: 日本での研究論文によると、

現代においても、感謝を感じることは当人の心理的適応や幸福感と密接に結びついていることが指摘されている。Emmons & McCullough(2003)は、過去 1 週間あるいは毎日、その週(日)に起こった感謝を感じさせた出来事を 5 つ記録させるという介入手続きにより、ポジティブ・ムードや人生に対する肯定的な評価が高められることを報告している。

その一方、「相川・矢田・吉野(2012)は日本の大学生で同様の手続きで追試を行ったが、感謝を記録することの効果を得ていない」(以上、伊藤忠弘「感謝を感じる経験と感謝される経験における感情」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005695265 )。
 また、

セリグマンらの研究では、毎晩寝る前に良いことを3つ書くことを1週間継続するだけで、その後半年間にわたって、幸福度が向上し、抑うつ度が低下する(うつの症状が減る)という結果が出た。

 が、日本での研究では、「エクササイズの結果、TGT 群の肯定的感情の得点がエクササイズ期間の終了直後に上昇したものの、その1ヶ月後には低下し、効果は持続しなかった」(以上、 関沢洋一・吉武尚美「良いことを毎日3つ書くと幸せになれるか?」https://www.rieti.go.jp/jp/publications/nts/13j073.html )。
 正直、追試の結果は芳しくない。少なくとも、日本での追試では。

多声音楽は共和制、和声音楽は君主制。(あとそれから、その出典について) -芥川也寸志『音楽の基礎』を読む-

 芥川也寸志『音楽の基礎』を読んだ。 

音楽の基礎 (岩波新書)

音楽の基礎 (岩波新書)

 

 内容は、紹介文の通り、

さらに深く音楽の世界へわけ入るには、音楽の基礎的な規則を知る必要がある。本書は、作曲家としての豊かな体験にもとづいて音楽の基礎を一般向けに解説したユニークな音楽入門。静寂と音との関係から、調性・和声・対位法までを現代音楽や民族音楽を視野に入れつつ詳述する。

というもの。
 古典ではあるが、やはり不朽の名著。
 以下、特に面白かったところだけ。

ピアノの音域は広い

 実際にはオーケストラの全音域よりも、ピアノのもつ音域のほうが広い (7頁)

 みんな逆だと思っているが、実はそうである。*1

音色と倍音(部分音)

 低次の部分音が強い音は、豊かで幅のある音色となり、その反対に高次の部分音がより強い音は、固く鋭い感じの音色となる。奇数番の部分音のみが響き、偶数番が弱いか、ほとんど存在しないときは、少しうつろな感じの音色となる (14頁) 

 この三つの場合を、管楽器で代表させると、それぞれ、ホルン(豊かな音)、オーボエ(ブオーと固い音)、クラリネット(アンニュイな音)の音色に代表されるようだ。*2

インド音楽のリズム

 インドにはターラtalaと呼ばれる複雑なリズム理論がある。 (90頁)

 ラグー、その倍のグル、三倍のブルタ。*3
 それらの組み合わせや細分法で120種類のターラが作られる。
 インドはリズムの天国である。

弦楽四重奏コントラバスがいない理由

 楽器の性能という点でも、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロに比していちじるしく落ち、独立した声部として対等に主張することはむずかしい。 (162頁)

 木管セクションでも、フルート属、オーボエ属、クラリネット属、ファゴット属の四声部で成り立つ。
 金管セレクションでも、トランペット、ホルン、トロンボーン、チューバから成る。(ホルンパートも、ほとんど4本で構成される。)
 だが弦楽四重奏の場合は、コントラバスはいない。
 著者は、性能の問題等を理由に挙げている。*4

共和制と多声音楽

 多声音楽は共和制体にたとえられよう (180頁)

 多声音楽は、どの声部にも同じ権利があり、均整がとれている。
 和声音楽だと、調性を支配する低音の絶対的権威の上に、旋律という第二番目の権威者がいて、ほかの声部は、それらにつき従う。
 低音という君主と旋律という王妃の君臨する立憲君主制体となる。
 まあ、その場合、和声音楽の憲法は何になるのか、という話ではあるが。*5

バッハは最高の練習曲

 指のための最高の練習曲はバッハといわれるのはこのため (185頁)

 フーガの演奏は、常に新しい旋律の登場を示さないといけない。
 特にピアノの場合、右手、左手それぞれに二つか三つの声部を弾かねばならない。*6
 そして、新しい主題の登場をはっきりさせるために、強く弾く指、弱く弾く指の統御が完全でないといけない。
 そういった意味において、バッハは最高の練習曲である。*7

 

(未完)

*1:比較的近年に出た、岩宮眞一郎『図解入門よくわかる最新音響の基本と応用』(秀和システム、2011年)も、コントラバスの低音域からピッコロの高音域まで、ピアノはカバーできることを述べている(当該書67頁)。

 

*2:ブログ・「クラリネットの調べ物」によると、「B♭クラリネットの最低音の周波数毎の音量を解析」すると、「一番左の147Hzのピークが最低音の基音ですが、普通に2倍の294Hzも4倍の588Hzも出ています。まあ、偶数倍音も普通に出ているけどちょっと弱めって感じ」であるらしい(http://ascl.seesaa.net/article/462364501.html )。

*3:カルナータカ音楽(南インド古典音楽)の場合、拍数は、ラグーが4、グルが8、ブルタが12となっている。以上、ブログ・「旋律腺 Raag Gland 北印度古典声楽的世界」http://raaggland.com/?page_id=830 の記事を参照した。

*4:聖光学院管弦楽団」のコラムによると、元々「チェロとコントラバスは同じパートを演奏していた」のだが、「各パート1人の室内楽ではコントラバスはあぶれて(?!)しま」い、結果、コントラバス弦楽四重奏ではお役御免になったようである(「(138) 弦楽四重奏:不公平な編成はなぜ?
http://seiko-phil.org/2013/06/19/201322/ )。なお、「弦楽四重奏の主要な先駆形態」は、「ヴァイオリン2つとチェロ、チェンバロ」であるが、のちに、「チェンバロ(の右手)に代わって、旋律と低音の間を埋めるために使われるようになったのが、ヴィオラ (引用者中略) でも、ヴィオラ1つで和音充填するのはかなり難しい。そのため、ヴァイオリン1は旋律、2はヴィオラとともに伴奏という分業が普通に」なったようである。

*5:小学館版の『昭和文学全集 第9巻』に収録された河上徹太郎「私の詩と真実」によると、次のようになる(415頁)。すなわち、パウル・ベッカーによれば、多音音楽は共和政体であり、一般低音による和声音楽は専制君主政体。やがて一般低音の権威が失われて、二つの中音がソプラノやバスと同じような重要性を帯びてくると、それは立憲君主制になる、と。なので、元ネタはパウル・ベッカーであり、憲法云々は考えなくてもよさそうである。

 なお、大元のパウル・ベッカー(河上徹太郎訳)『西洋音楽史』(河出書房新社、2011年、106,107頁)では、王国(和声音楽)と共和国(多声音楽)は相容れないものであり、和声が対位法的形式を借りたものは立憲王国ではあるが、結局やはり唯一の王である和声が君臨している、と指摘されている。この二つは相いれないもの、というのが、ベッカーの強調する所である。
 それにしても、ベッカーと河上は、政治学者や法学者が怒りそうな(雑な)比喩を使ってるんだな。

*6:ブログ・「”音楽で生きる”ための情報ブログ」は、バッハの音楽について、「そしてこれは「メロディと和音による伴奏」という捉え方で楽することに慣れて飼いならされたブタのような頭からは極めて遠い、野性的というか、本来の音楽なのです!」と評している(https://ameblo.jp/lifeisasong4you/entry-11560156482.html )。つまりバッハは野生の猪なのだろう。

*7:ちなみに、松藤弘之は次のように述べている(「ショパンのピアノ技法から見たショパン・練習曲集(3)」https://ci.nii.ac.jp/naid/110008514406 )。

ショパンの作曲技法の基礎を形作っていたのは,J.S.バッハであったことを見逃してはならない。ショパンに最初の音楽教育を施したヴォイチェフ・ジヴヌィ(1756~1842)は,当時としては例外的なバッハの崇拝者だったので,ショパンは対位法と和声が織り成すバランス感覚や,古典的規律を身につけることができた。レンツによれば,ショパンは演奏会前の2週間は自作を弾かず,もっぱらバッハだけを弾いて演奏の準備としていた。

バッハのピアノはショパンにも強い影響を与えていたのである。

貧困がちゃんと見える社会こそ、成熟した豊かな社会。その通りだ。 -大原悦子『フードバンクという挑戦』を読む-

 大原悦子『フードバンクという挑戦』(のオリジナル版のほう)を読んだ。*1 

フードバンクという挑戦――貧困と飽食のあいだで (岩波現代文庫)

フードバンクという挑戦――貧困と飽食のあいだで (岩波現代文庫)

 

  内容は紹介文の通り、

まだ十分安全に食べられるのに、ラベルの印字ミスや規格に合わないなどの理由で生まれる大量の「食品ロス」。その一方で、たくさんの困窮する人々や食べられない子どもたちがいる。両者をつなぎ、「もったいない」を「ありがとう」に変える、フードバンクという挑戦が日本各地で徐々に広まりつつある。携わる人々の思いと活動の実際、これからの課題をわかりやすく示す。

というもの。
 月日は流れても、やはり読む価値のある一冊。
 以下、特に面白かったところだけ。

貧困が可視化できる社会を

 貧困がちゃんと見える社会こそ、成熟した豊かな社会なのではないでしょうか (27頁)

 2HJ(セカンドハーベスト・ジャパン)の理事である、日本キリスト教団百人町教会の阿蘇敏文牧師の意見である。*2
 貧しい人がひっそりと生きて主張しえない社会が日本である、とも述べている。*3

アメリカではもう作ってる

 スーパーにはありませんよ。私たちの活動のためだけにつくられた商品ですから (58頁)

 アメリカのフードバンク(アメリカズ・セカンドハーベスト)では、すでに一部の商品を買うようになり、作ってもらうところまで進んでいた。*4
 企業が技術改良を重ね、ラベルミスなどが大幅に減った。
 その結果、無駄が出なくなったので、マカロニやツナなどの需要が高いのに寄付が出にくいものは買うしかなくなったのである。*5

援助を求めることの「屈辱感」

 フードバンクの歴史が四〇年以上あるアメリカで、そして、権利意識が高いと思われるアメリカ人にしてこうである (147頁)

 アメリカで食料の援助を求めることは、ほとんどの人にとって想像しうる最も屈辱的な経験の一つだという。
 アメリカのような国でも、やはりそうなのである。*6
 ヨーロッパ諸国等でも、おそらくそうなのだろう。*7

 

(未完)

*1:よって、ページ数は岩波現代文庫版のものではないことを、お断りしておく。

*2:阿蘇敏文牧師は、2010年のNHK教育テレビの番組で、次のように述べている(引用は、以下のウェブページに依拠した。http://h-kishi.sakura.ne.jp/kokoro-427.htm )。

そこで聞く人間というか、仕える人間というか、下準備をする人間というか、そういうあり方が本当のリーダーなんだ、ということを、そこで学んだような気がするんですよ。ですから百八十度逆転しましたね。みんなの考えを僕が聞いて引き出すというかな。教育の基本というのは引き出すということじゃないですかね。  (引用者中略) そういう質問をすることによって、最初はわぁわぁ手を挙げて答えているのが、だんだんだんだん静かになってきて、ずっと自分の内側を見てきます。で、そのことによって、この絵は何を語ろうとしているのか、という絵と自分とこの絵を通して、何かを語ろうとする絵描きとの出会いが、対話が可能になってくるわけですよね。

リーダーに必要とされる資質、そして、優れた質問法について、語っているように思うので、ここに引用する次第である。

*3:2HJの創設者であるマクジルトン・チャールズは、次のように述べている(「 「日本の貧困対策は、食への危機感が欠けている」 日本初のフードバンク設立者が訴える」 https://www.huffingtonpost.jp/2016/12/29/charles-mcjilton_n_13880462.html )。

もし私たちが企業にお願いをすれば、企業が上の立場になり、私たちや食べ物をもらう人々が下の立場になってしまう。私たちは『余っているものを、希望する人々に渡せば有効に使えます。お互い助かりますよ』というスタンスでやっています。私たちは非営利のNPO法人ですが、普通のビジネスのように運営したい。企業側に報酬はありません。しかし企業は、社会に貢献したという満足感を得られる。私たちも、恵まれない人を助けるという目的だけではなく『フードバンクという、活動そのものが面白い』と思いながら、楽しんで活動しています

このフェアな精神はとても大切なものだと思うので、ここで引用する次第である。

*4:原田佳子によると、

食品ロスで生活困窮者を救済することは、食品ロスがなければ成り立たない活動となり、食品ロス削減の観点から大きな矛盾を抱え、根本である構造的な問題の解決にならない。また、我が国のFBが年間に取り扱っている食品ロスは、全体の0.1%にも満たない

とあり、そもそも「食品ロスで生活困窮者を救済」ということ自体が、矛盾を抱えてしまうものではあるが、日本の場合、まだその矛盾が露呈するほどの領域には達していない(「わが国のフードバンク活動と地域活性」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006622398 2018年)。

 日本では2018年時点でもまだ、購入したり作ってもらったり、というような段階ではない。もしかしたら購入はしているかもしれないが、作ってもらったり、というのは寡聞にして知らない。

*5:なお、2018年の報道によると、「アメリカ農務省のデータによると、人口1人当たりのツナ缶の消費量は過去30年間で42%減少した。一方、同時期に鮮魚および冷凍魚の消費量は増加している」とのことである(「ミレニアル世代は「ツナ缶」も消滅させた? 開けるのが面倒?」https://www.businessinsider.jp/post-180684 )。
 マカロニは、、、マカロニ・アンド・チーズでも作るのだろうか。。。

*6:その点で、先に紹介したマクジルトン・チャールズは、別のインタビューで次のように応答している(「おなかがすいた日本人の胃袋を支える 元ホームレスの「アメリカ人」」https://news.yahoo.co.jp/byline/yuasamakoto/20171102-00077252/ )。

チャーリーが出した答えは、ぐるりと回ってシンプルなものになった。隣の席の人がペンを忘れた。「2本あるから、どうぞ」と差し出す。それだ、と。ペンを渡すとき、「これは、この人のためにならないのではないか」とは考えない。「助けてあげる」という大仰さもない。こちらにはあり、あちらにはない。だから渡してあげる。それだけ。ここに食べられる食品がある、あそこに食べ物を必要としている人がいる。「食べられますって。渡しますって。それだけ」。

非常にシンプルで、しかし重要な考え方だと思うので、引用しておく。考え方が、180度ではなく、360度変わる。

*7:参考までに、農林水産省の「海外におけるフードバンク活動の実態及び歴史的・社会的背景等に関する調査」によると、フランスの事例については以下のとおりである(https://www.maff.go.jp/j/shokusan/recycle/syoku_loss/attach/pdf/161227_8-7.pdf )。

現在 79 のフードバンクがフランスにあり、ヨーロッパで一番フードバンクが多い国となっている。また、ヨーロッパで初めてフードバンクが設立されたのもフランスである。ただし、フランス国内では、炊き出し(室内で食事を提供している)を主に行っている団体である「心のレストラン(Restaurants du Coeur)」の方がフードバンクより規模も大きく、知名度も高い。

「心のレストラン」については、以下の記事が紹介している(「フランスの慈善事業、「心のレストラン」30周年」https://furansu-go.com/restos-du-coeur/ )。

斎藤晴彦における、ブレヒト劇とエノケンからの影響について -斎藤晴彦『〈音楽〉術・モーツァルトの冗談』を読む-

 斎藤晴彦斎藤晴彦〈音楽〉術・モーツァルトの冗談』を読んだ。 

斎藤晴彦〈音楽〉術・モーツァルトの冗談 (シリーズ日常術 6)

斎藤晴彦〈音楽〉術・モーツァルトの冗談 (シリーズ日常術 6)

 

  内容は、俳優であり、クラシックの替え歌で著名な著者の、音楽エッセイめいたものである。
 個人的には、某番組でやったジャズの替え歌が好みではある。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

モダンジャズに食傷

 「おれが、おれが」といってるようにしか聞こえなくなってきて、それに食傷しちゃったんだね。 (40頁)

 筆者がモダンジャズに飽きてしまった理由である。
 まあ、身もふたもないが、わからないではない。*2

ブレヒトの影響

 おれがクラシックのメロディに言葉をつけてうたうやり方は、すくなからず『三文オペラ』とか『阿部定の犬』の影響をうけている (48頁)

 オペラだと、メロディ第一主義で、言葉はいい声の引き立て役となる。
 ブレヒトとワイルの場合、役者が歌いやすいように、言葉がわかるように、どんどん音楽を変えている。*3

エノケンの音楽の才能

 かれはメロディを絶対にのばさない (63頁)

 筆者(斎藤)は、エノケンの歌い方を意識しているという。
 歌い上げず、こぶしを聞かせることもしない。
 早めに切ってしまう。
 でも伴奏は続くから、聴衆は、その間言葉が残像になって残る。
 そういう方法である。*4

 エノケンの歌を聴くとかならずある種のジャズ・ボーカルを思いうかべる。 (65頁)

 エラもサッチモも、メロディーはきれいだけど、それではすまないものがある。
 聴衆はそれを楽しみながら感動する。
 そしてこの系譜には、悪声が多い。
 そのおかげで、自分の声にのめりこまずに客観的な、「作曲家なんかと近い位置」に身を置くことができる。
 エノケン評として覚えておくべきものである。*5

風刺をやりたかった

 マス・メディアというのは、じつはあの手のやつがいちばん好きなんだ。ただし、風刺はだめ。パロディまで。 (82頁)

 自分は話芸では客を感動させられない、と思った筆者(斎藤)。
 そこで「軍隊ポロネーズ」を「ワレサノーベル賞受賞」をテーマに風刺で歌った。*6
 斎藤は本当は風刺をやりたかったらしい。

 

(未完)

 

*1:とりあえず、ようつべのリンクを貼っておこう。https://www.youtube.com/watch?v=ZzCEk98SmFQ 

*2:ブログ・「心に残った音楽♪」の記事には、次のような言葉が載っている(「『THE GIL EVANS ORCHESTRA / OUT OF THE COOL』」http://cdcollector.blog.fc2.com/blog-entry-79.html )。

ではモダンジャズの個人技的なアドリブプレイが最高かというと、そちらに走れば走るほど、音楽のうちの曲という素晴らしさというものが消えて行ってしまう。派手で華麗なプレイを追っていくと、どんどんフリージャズ方面に行ってしまうのですが、そうなるとフォルムが消えてしまう。

フリージャズが苦手なジャズ好きなら、斎藤の気持ちはわかるかもしれない。自分はフリージャズも悪くないと思うが。

*3:なお、『安倍定の犬』というのは黒テントの代表作で、『三文オペラ』のクルト・ワイルの音楽が転用されている。斎藤は黒テントの創立メンバーである。

ブレヒトの劇中歌(ソング)と言えば、黒色テントの佐藤信・林光コンビの日本版ソングには、素敵な作品がたくさんあります。有名なクルト・ヴァイル作曲の『三文オペラ』の「マック・ザ・ナイフ」だって、二人の手にかかれば阿部定事件の「包丁お定のモリタート」になってしまうんだから。 (ぱんこさん「CDのうらおもて 第19回 宮沢賢治からブレヒトへ」http://www.fukushi-hiroba.com/magazine/book/essay/cd/040521_cd.html

*4:井崎博之は、服部正の証言を紹介している。それによると、浅草オペラのコーラスボーイ時代に、エノケンは本格的なオペラ唱法を身につけたのだという(『エノケンと呼ばれた男』(講談社、1985年)、41頁。)。エノケンは、歌に関しても才能のある人物だったのである。

*5:エノケン評として、故・相倉久人のものも、紹介しておく。https://twitter.com/gosan5553/status/799769462635233280 

*6:この歌詞についてはhttp://suigyu.com/2014/12#post-3295 を参照。

「靖国化」していた摩文仁の丘と、それから、沖縄料理が不味いと言われた時代について -多田治『沖縄イメージを旅する』を読む-

 多田治『沖縄イメージを旅する』を読んだ。

 内容は、紹介文の通り、

青い海、白い砂浜、穏やかな三線の音。「基地の現実」を一手に引き受けてきた島で、こうした南の楽園像は誰によって、いかにしてつくられたのか。数々の風景を通じて、沖縄のいまを探る

というもの。
 沖縄の現在抱かれるイメージと、過去の実像との間にある断層を、いくつも見つけることができる。

 以下、特に面白かったところだけ。

靖国化」と沖縄戦の語り

 五〇年代後半から六〇年代前半にかけて、沖縄戦の語りは軍隊中心の戦史が主流になった。 (97頁)

 実際この時期に、軍を顕彰する慰霊塔が林立するようになる。*1
 五〇年代後半の沖縄の「靖国化」には、遺族年金給付開始が、影響している。

 米軍統治下の沖縄にも適応させるため、いかに献身的に軍に協力したかを、より強調する必要があったのである(98頁)。*2

結局「日本国民」の物語

 興味深いのは、戦前の軍国主義と戦後の反戦平和という、相矛盾する日本国民の物語に、ひめゆりはともに奉仕する役割を与えられていたことだ。 (99頁)

 今井正監督の『ひめゆりの塔』(1953年)の話である。
 沖縄処分以来、「日本人になる」ため苦心してきた沖縄の固有性が、すっかり忘れ去られてしまっているのである。*3
 結局、日本国民(そこに沖縄の歴史的な固有性はない)の物語に奉仕していることになる。

 靖国神社と同様、国に殉じた「戦没者」という抽象化された存在が、崇め奉られる場所になっていった。つまり、慰められるのはいつも、訪れる「日本人」の方なのだ (105頁)

 結果起こったのは、ひめゆりの塔の「国民主義」化だった。

沖縄料理が「不味い」と言われた時代

 九〇年代のヘルシー志向に「長寿」や「健康」というキーワードが結びついたことで、沖縄料理は脚光を浴び始めた。 (172頁)

 沖縄料理は、それ以前は、「グロテスク」な存在だった。*4

「沖縄の心」とモンパチ

 だがその一方で、モンパチが沖縄で認められたのは、全国で売れたからではないのか、という鋭い指摘もある。 (222頁)

 売れる前は「こんな奴らに沖縄の心なんてわかってるはずないだろ」などと言われていたようだ。
 それが、2018年には、モンパチフェスに知名定男が出演するほどである。*5

 時代は変わる。

 

(未完)

*1:北村毅は、次のように述べている(「沖縄の「摩文仁の丘」にみる戦死者表象のポリティクス 刻銘碑「平和の礎(いしじ)」を巡る言説と実践の分析」https://ci.nii.ac.jp/naid/110007501170 )。

1960年代、丘の上に立て続けに各県の慰霊塔が建立きれ、それぞれのお国自慢を競い合う様は、「慰霊塔コンクール」と嫌誇されたほどであった。後述するように、これら慰霊塔の碑文は、いずれも、「殉国者」や「愛国者」を奉賛する調子に貫かれていたため、1970年代に入ると、この摩文仁の丘の変化は、「靖国化」と呼ばれるようになる。

*2:当時の観光ルートについて、吉田竹也は次のように解説している(「地上の煉獄と楽園のはざま―沖縄本島南部の慰霊観光をめぐって―」http://rci.nanzan-u.ac.jp/jinruiken/publication/ronshu.html)。

1960 年代当時の観光のモデルルートは、次のようなものであった。まず、初日に南部の戦跡をめぐる。ひめゆりの塔摩文仁の丘がそのメインスポットである。 (引用者中略) 最終日は、舶来品ショッピングで物欲を満たす。そして、これら昼間の観光に加えて、夜は沖縄の料亭で食事し、琉球舞踊を鑑賞し、歓楽街に繰り出すのである。とりわけ、かつて遊郭があった那覇の辻地域は、夜のメインスポットであった。日本では、1957 年に売春防止法が施行されたが、沖縄においてそれが適用されるのは日本復帰を待ってからであり、米軍関係者を相手として定着した売春宿は、当時沖縄を訪れる本土の日本人観光客にとって、いわば合法的な性産業であった。男性観光客や商用や視察など仕事で訪れる人々の中には、昼はひめゆりの塔で殉国した無垢で純潔な少女の姿に落涙し、夜は売春街を訪れるという者がいたことになる。

非常に重要なことであると思うので、長いが引用しておく。
 そして、菅野聡美

ひめゆり学徒と売春婦、両者は対照的なようで酷似している。どちらも過酷な運命にたいして懸命に対処するが、自らに課せられた困難の理不尽きと根源を問うことはなく (引用者中略) 声高な批判や責任追及をしない存在であるがゆえに、本土側が安心して受け入れることができた。彼女らの悲劇、彼女らを「そうさせた」主体・原因は不問にしたまま、同情や共感をよせることができるのである。

と、論じている(「戦後沖縄イメージの探究」 http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/listitem.php?index_id=69495 )。この点も重要なので、やはり引用する。

*3:佐藤忠雄は、1982年版の「ひめゆりの塔」(同じく今井正監督作)について、1953年版以後に新しく出てきた、沖縄と本土の関係などの問題が描かれないままであることを指摘しているという(仲程昌徳「「ひめゆり」の読まれ方 映画「ひめゆりの塔」四本をめぐって」https://ci.nii.ac.jp/naid/120001372359 14頁)。また、櫻澤誠は、映画「ひめゆりの塔」について、次のように述べている(「沖縄戦」の戦後史--「軍隊の論理」と「住民の論理」のはざま」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006551910 *以下引用符を削除して引用を行った。)。

映画「ひめゆりの塔」は、沖縄戦ひめゆりの悲劇というイメージを定着させていく。御国のために純真無垢に尽くした。崇高なイメージ。学徒出陣した学生や、特攻隊に対するイメージに通じるものとして理解されたといえる。まさに「ひめゆり学徒隊のアイドル化」が生じるのである。また、この映画には、米軍そのものが具体的に登場しない。

*4:吉村昭は、沖縄県は食べ物がまずい、という話は半ば定式化しており、自分もそうした考えを抱いていたが、実際には沖縄の家庭料理がうまいことを知ったという(『味を訪ねて』河出書房新社、2010年、94頁)

 この文章の初出は、1982年7月である。

 また、『聞き書沖縄の食事』(農山漁村文化協会、1988年)の月報において、永六輔は沖縄は料理がまずいと述べる本土の人間を批判し、沖縄の家庭料理は実はうまいと指摘している(月報・11頁)。

 両者ともに、沖縄の料理がまずいと言われた原因について、本土の人間は沖縄でよそゆきの料理ばかりを出されていたからではないか、つまり、おいしい家庭料理を食べられなかったからではないか、としている点で共通している。

*5:「【速レポ】モンパチフェス<WWW!! 18>、知名定男「彼たちは、実は私を受け継いでいるんです」」https://www.barks.jp/news/?id=1000176124 

連綿と受け継がれてきた、『源氏物語』へのおっさんたちの愛(ラブ) -島内景二『源氏物語ものがたり』を読む-

 島内景二『源氏物語ものがたり』を読んだ。

源氏物語ものがたり (新潮新書)

源氏物語ものがたり (新潮新書)

  • 作者:島内 景二
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2008/10/01
  • メディア: 新書
 

  内容は、紹介文の通り、

なぜ源氏物語は千年もの長きにわたって、読者を惹きつけてきたのか?本文を確定した藤原定家、モデルを突き止めた四辻善成、戦乱の時代に平和を願った宗祇、大衆化に成功した北村季吟、「もののあはれ」を発見した本居宣長…。源氏物語に取り憑かれて、その謎解きに挑んだ九人の男たちの「ものがたり」

という内容。
 源氏狂いのおっさんたちの物語、読み応えがある。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

世界最古(?)の長編物語

 確かに源氏物語は長編だが、もっと長い作品は世界各国にある (17頁)

 源氏は世界最古の長編物語、ではない。
 例えば、『うつほ物語』は分量は源氏の3/5だが、源氏より20、30年は古い。*2 *3

帝王学としての『源氏』

 なぜなら、そこには理想の政治家の条件が書かれているからである (118頁)

 いつかきっと、平和をもたらしてくれる理想の政治家が出現する。
 そう信じて、宗祇は『源氏』等の研究に励んだ。*4
 「和」の精神を体現した政治家に導かれ、民も自分の居場所を与えられ喜びにあふれ、家族でも楽しい夫婦関係や親子関係が営める、そうした社会を願ったのである。

平和を希求する『古典』

 宗祇が、古今伝授の系譜の中で重要な位置を占めるのは、彼ほど平和を渇望した文学者がいなかったからである (119頁)

 「古今伝授」は、世の平和を呼ぶために為政者に必要な心がけを『古今』や『源氏』などの古典から学ぶことを目的とする。*5
 平和を待望する古今伝授の儀式は、戦乱の世の間も続いた *6

心のさびを落とすための『源氏』

 だから、源氏物語を読むべきだ、と宣長は言う (187頁) 

 平和になった江戸期。
 しかし、身分社会で、自分の置かれた状況がこれ以上好転することもない。
 どう生きていったらいいか。
 人生は苦しく、努力してもうまくいかない。
 北村季吟のような成功者は少数でしかない。
 また、人は日々の暮らしに埋没して、喜びや悲しみや怒りに鈍感になって、感情が錆びついている。
 そこで源氏物語である。
 これを読めば心の錆を落とせる。
 そう、宣長は考えた。*7
 帝王ではない者のための『源氏』を見出したのである。

 「もののあはれ」もまた、人生論読み、あるいは教訓読みの一種だったのだ。 (190頁) 

 宣長自身は、しいて言うなら「もののあはれを知れと教える」教訓が源氏だと述べている。

すでに先を越されていた

 宣長が自分だけの正解と思いこんだ中には、とっくの昔に「箋」が指摘していることが、ままある。 (136頁)

 三条西実隆の孫である実枝も源氏の解釈を行った。それが中院通勝『岷江入楚』に「箋」という書名で取り込まれている。

 宣長は、『玉の小櫛』において、過去の解釈は誤りであり、自分だけが正しい解釈に到達したのだ、というふうに宣言していた。*8

 しかし宣長は、自分の解釈が、すでに先人によってなされていたことを知らなかったようなのである。
 宣長は結果的に、車輪の再発明を行うこととなった。

居場所はどこだ

 世の中はいづれかさして我がならむ行きとまるをぞ宿と定むる (198頁)

 『源氏物語』(の「夕顔」)に出てくる、古今和歌集の一首である。*9 *10 
 広い世の中のどこかに自分の本当の居場所があると思うな、たまたま寝れる場所があるのなら、そこがあなたの居場所だ、と。

 

(未完)

*1:本書に出てくるのは、紫式部を除けば、ほぼ男性である。もちろん、著者・島内景二も男性である。

*2:ちなみに、著者によると、やはり『源氏』の文体は『うつほ』よりも文体的に難しいらしい(「森鴎外と『源氏物語』--近代文学の始発を見届ける」https://ci.nii.ac.jp/naid/110000491082 173頁)。やはりそうなのか。

*3:なお、『うつほ』こそ世界最古の長編文学というのは、須永朝彦編『日本幻想文学全景』(1998年)も述べるところである(18頁、当該箇所の執筆も須永による。)。

*4:宗祇の講義内容とはどのようなものだったのか。その例について、著者(島内)の講演をもとに、伊藤無迅は次のように書いている(「島内景二先生 近世の源氏文化と詩歌(その2)」http://www.basho.jp/ronbun/gijiroku_6th/6th_3.html )。

これは宗祇が、源氏学で最も重要視したと言われている帚木巻の「雨夜の品定め」を踏まえた一節です。「雨夜の品定め」が、重要視されたのは、この中で女性の優劣を競っていることでは決してありません。それは人間を見る眼というものを、光源氏や頭中将に左馬頭(ひだりのうまのかみ)が教えているからです。つまり政治家として、なくてはならない「人間を見る眼」を、教えていることが重要なのである。このように宗祇以来力説して来ているわけです。つまり「和」の思想です。宗祇は、人間関係を上手に成立させるには何が大切か、ということを考え「雨夜の品定め」を重要視したのです。

今の読者には無茶な解釈に読めるだろうが、当時の『源氏』は「和」に寄与する「実学」として、用いられる必要があったのである。

*5:こうした見方は人口に膾炙しているようで、三島市の「歴史の小箱」第157号にも、

なべて世の 風を治めよ 神の春 戦乱の嵐が吹きすさぶ室町時代三嶋大社の社前で、神の力によりその嵐を治め、平和の春の到来を願う気持ちが込められた句。

と書かれている(以下のURLを参照。https://www.city.mishima.shizuoka.jp/ipn000076.html )。

*6:なお、こうした宗祇のような解釈の源流はおそらく中国に存在する。釜谷武志陶淵明 〈距離〉の発見』には、次のようにある。

しかし、『詩経』所収の詩三〇五篇すべてのはじめに付けられた「小序」とよばれる解説文では、詩制作のいきさつを説明する際に、男女間の関係を君主と臣下の関係に置き換えて解釈しようとする。 (17頁)

詩経』の国風に含まれる詩は、普通に読めば男女の恋愛感情を歌っている。それを引用部のように君臣関係のように解釈したのである。この小序は漢代に今の形になったのだろう、と著者の釜谷武志は述べている。

*7:具体的には、どんな形で心のさびを落とせると考えたのだろうか。大久保紀子は次のように述べている(「歌を詠むことによって「心がはれる」とはどのようなことか : 本居宣長の『源氏物語玉の小櫛』を手がかりに」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005606264 )。

現実の世界ではゆるされない、歌によって作り出された虚構の世界でこそのたわむれなのである。 (引用者中略) そうしたたわむれを歌は可能にし、二人は現実を離れた虚構の世界を楽しみ尽くして、心をはらすのである。 (引用者中略) おもしろいのは、このように解釈することによて、歌のたわむれの世界から、舞台がくるりとまわるように一転して、現実の世界にひきもどされている点である。 

大久保の論の重心は歌にあるが、これは虚構全般についても比較的似たことが言えるだろう。『源氏』を読むことで、虚構の世界を楽しみつくし、一転して、現実の世界に引き戻される事を経験する。現実逃避のためでなく、現実に向き合うために虚構が必要とされるのである。

*8:ちなみに、宣長源氏物語講釈の「聞書」(聴講者が書き残した記録)には、「過去にでた注釈に出てきた注は誤り」というたぐいの文言が、刊行された『玉の小櫛』に比べて明らかに多かったという(山崎芙紗子「聞書と注釈書の間 本居宣長源氏物語講釈」
https://ci.nii.ac.jp/naid/110007807879 、
170頁)。やはり自分の解釈にはかなり自信があったのだな、宣長は。

*9:この一文について、明らかな書き間違いがあったので、2021/3/17に訂正を行った。

*10:粗末な住居を見た光源氏が、しかし、古今和歌集の一首を連想して、この粗末な住居も立派な御殿も、けっきょく仮の宿にすぎない点では同じことだ、と思う場面である。なお、この歌がネタ元であるというのは、はるか昔の『源氏釈』が指摘したところであるという(http://obaco.web.fc2.com/long/GENJI/GENJI_1/comment/c04-01.html )。