朝廷の官人としての陰陽師ではなく、民衆に接する民間の陰陽師の実態がよくわかる一冊。 -沖浦和光『陰陽師の原像』を読む-

 沖浦和光陰陽師の原像』を読んだ(再読)。

陰陽師の原像―民衆文化の辺界を歩く

陰陽師の原像―民衆文化の辺界を歩く

  • 作者:沖浦 和光
  • 発売日: 2004/10/15
  • メディア: 単行本
 

 内容は紹介文のとおり、

陰陽師とは何か? 歴史にうずもれた足跡を辿り、その実像を明らかにする。

というもの。
 やや古い本になるだろうが、読んでいて面白い。
 朝廷の官人ではなく、民衆に接する民間の陰陽師の実態がよくわかる。*1 

 以下、特に面白かったところだけ。

呪詛はやらなかった官人陰陽師

 そもそも律令の「賊盗律」では、呪詛そのものが禁じられていた (引用者中略) したがって朝廷で重用されている官人陰陽師が、成文法によって犯罪とされている呪詛を進んで行うことはありえない。 (49頁)

 平安の陰陽師は実態はこのような感じである。*2

「万歳」と陰陽師

 大坂万歳も、その源流をたどれば尾張万歳に行き着く。(略)その多くが土御門家の支配下陰陽師系 (71頁)

「東国に於て院内と称する一種の陰陽師」も、万歳に進出したと指摘する。三河万歳や尾張万歳もみなその系統であって、「土御門家より免許状を受け居る低級の陰陽師で、常は卜筮祈祷を以て業とし……」と述べている。 (105頁)

 後者は柳田国男の研究(「柳田国男「毛坊主考」」)の言葉である。
 「万歳」と陰陽師の関係は深い。*3

陰陽師と被差別民

 各地の (引用者中略) 「弾左衛門由緒書」などの河原巻物では、「舞々」「猿楽」「陰陽師」「猿引」「鉢叩」「傀儡子」「獅子舞」などの遊芸民や遊行者は、ほとんどすべてが「弾左衛門支配」下とされていた (162頁)

 陰陽師と被差別とは、近しい関係にあったのである。*4

陰陽師と能・狂言

 『大乗院寺社雑事記』で声聞道として挙げられていたのは、「陰陽師、金口、暦星宮、久世舞、盆・彼岸経、毘沙門経等芸能」であった。そして、声聞師たちの自専できる「七道者」として、「猿楽、アルキ白拍子、アルキ御子、金タタキ、鉢タタキ、アルキ横行、猿飼」の七つの職種が挙げられていた。 (195頁)

 声聞を媒介に、民間陰陽師と猿楽が結び付いていた。*5
 陰陽師は、猿楽を媒介にして、能や狂言ともつながっている。

 

(未完)

*1:平瀬直樹は次のように述べている(「日本中世の聖地に生きる人々:僧、ヒジリ、陰陽師、神人を訪ねて」https://ci.nii.ac.jp/naid/120000806450 )。

身分の高いお坊さんは民衆に対するものをカバーできないわけです。そのためにいろいろ下級の宗教者が活躍するのですが、半ば芸能者の性格を持つ者も多いのです。たとえば琵琶法師がそうであり、琵琶を弾くことによってカミや亡霊を鎮めます。猿楽師も元はそういうもので、翁の舞を舞うことによって、神様と一体化して村人の平和を祈ったりします。また、陰陽師については、朝廷の官人としての陰陽師はごく少数であり、正式な陰陽師のお世話になれる階層が限られます。民衆にとって一般的な陰陽師というものは、お坊さんが陰陽師をやっている法師陰陽師⑦のように、ヒジリに近い性格の宗教者でした。民衆が求めたまじないというのは要するに医療行為であり、山伏や陰陽師のまじないは非科学的とばかり言えず、薬草の知識や健康術をともなうものでした。

*2:中島和歌子は、呪詛が「上代から行われており、律令には処罰の規定も見られる」として、「賊盗律」の厭魅条を例として挙げ、

基本的に官人の陰陽師は関与せず、. 多くは法師陰陽師など民間の陰陽師が担った

と述べている(「陰陽道式神の成立と変遷再論 : 文学作品の呪詛にもふれつつ」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006368539 )。

*3:木場明志は次のように書いている(「地方陰陽師の性格と活動」https://ci.nii.ac.jp/naid/130004023214 )。

物部村の例では、病人に対しては祈濤し悪疫鎮送儀礼をし簡単な咒言・咒符を与える程度だが、山口県美称市伊佐町の徳定地区の「陰陽」と称された人々は実際の施薬をやり、それが発展して産業化して売薬業を行っていた。修験行場をもつ背後の桜山に往古栄えた南原寺に所属した陰陽師の末であろうが、『元来万歳二而御座候』(邑沢文書)とあり、万歳も陰陽師系統であるをみても陰陽道中の典薬がここでは産業化したとみられる。

先の註でも述べたが、こうした薬も陰陽師は扱う場合があったのである。

*4:弾左衛門の祖先が、頼朝より頂戴したという御判物」には、「猿楽」や「壁ぬり」や「弦師」、「鋳物師」などに並んで、「陰陽師」の名前が出てくる(荒井貢次郎「江戸時代における賤民支配の一考察―身分法上の穢多の地位―」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005751277 )。史実性はともかくも、そのように主張がなされていたのである。

*5:吉田栄治郎は、「声聞師は自ら陰陽師以下の『芸能』と 猿楽以下の七種の職 ( 七道 ) に携わったのである」と述べている(「中近世大和の被賤視民の歴史的諸相--横行の場合」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005857699 )。声聞師とは、「中世において種々の呪術的な職掌や芸能に携わった陰陽師(おんみようじ)系の芸能者」を指す(「世界大百科事典 第2版」の解説より。https://kotobank.jp/word/%E5%A3%B0%E8%81%9E%E5%B8%AB-533499 )。