シュルレアリスム、そして、ダリがシュルレアリスム陣営から追放される思想的要因について -酒井健『シュルレアリスム』を読む-

 酒井健シュルレアリスム』を読んだ。

シュルレアリスム 終わりなき革命 (中公新書)
 

 内容は紹介文の通り、

シュルレアリスム(超現実主義)は、第一次世界大戦後のパリで生まれ、世界に広まった文化運動である。若い詩人、文筆家、画家が導いた。戦争、共産主義ファシズム、無意識、エロス、死、狂気などアクチュアルなテーマに取り組んで、近代文明の刷新をもくろむ。個人の壁、国境の壁を超えて多様な生の共存をめざしたその革命精神は、情報と物に充足する利己的な現代人に、いまだ厳しい批判を突きつけて、生き続けている。

という内容。
 バタイユの専門家によるシュールレアリスム論である。

 以下、特に面白かったところだけ。

バタイユにおける「神」と自己愛

 個人の自己愛が、全体主義の出発点であり、基盤なのだ。 (123頁)

 バタイユは『有罪者』のなかで、「神を信仰するということは自己を信仰するということなのである」と書いている。
 神は自我に与えられた保障にすぎない、とフォイエルバッハみたいなことを書いている。*1 *2

ベルクソンと戦争

 ベルクソン (引用者中略) も、大戦中は愛国主義的な発言と政治活動を繰り返して、影響力を示した。 (33頁)

 彼は第一次大戦期、フランスを文明、ドイツを野蛮(*機械文明に毒されているという意味)と位置づけて、国威発揚に専念した。*3
 参戦要請の外交使節としてアメリカに渡って交渉したベルクソンは、アメリカの高度な軍事力に助けを求めた。
 結果、彼は野蛮に頼ったことになる。

ダリとファシズム

 一九三四年突如ヒトラー支持を表明し、三六年のスペイン内乱に際してはフランコ将軍のファシズム側を支持するに及んで、シュルレアリスムから「除名」される。 (245頁)

 誰のことかと言えば、ダリの話である。
 ダリは、超越的な存在に発する妄想があった。
 その存在とは、母、故郷、キリスト精神、妻のガラ、独裁者、などである。
 この超越的な存在に発する妄想にそぐわないような欲望は、否定されてしまう。*4
 これは、複数の現実、複数の欲望を肯定するシュルレアリスムと根本的に異なるものだった。
 ダリが、シュルレアリスム陣営から追放される思想的要因である。

 

(未完)

*1:著者は別の論文で次のように書いている(「ジョルジュ・バタイユと哲学 : 『ドキュマン』の時代へ向けて」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005550201 )。

1920年代前半にキリスト教信仰を捨ててしまう。その理由はいくつもあろうが,「未知なるもの」がもはや「神」という概念ですら説明できない不可知の闇として,いや闇とも光ともつかぬ不分明な果てしなき広がりとして,初めも終わりも定かでない広大な流れとして体感されるようになったことが大きい。知によって捉えられるものがまったくない「未知なるもの」の深奥へバタイユは入っていった。神の奥へ,神がいなくなるほど奥の世界へ,彼は入っていった

バタイユは神では満足できなかったのである。神という自己の範囲の「外」に、行きたかったのである。

*2:近年出た中で圧倒的にタイトル勝ちしたと思うのは、古永真一「ジョルジュ・バタイユとマーシャル・プラン」であろう(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006503318 )。内容は、

事実上共産主義の脅威がマーシャル・プランを誕生せしめ、その緊迫した関係が「ダイナミックな平和」をとりあえず可能にしたとバタイユは捉え、その精神の覚醒の意味について記そうとした

というもの。

*3:実際ベルクソンは、第一次世界大戦当時の言動について、ロマン・ロランによって大衆の扇動だと批判されている(松葉祥一「戦争・文明・哲学」https://ci.nii.ac.jp/naid/40001112190、284頁)。なお、参照されているのは、ロマン・ロランの「闘いを超えて」。

*4: ダリの思想とカトリックとは、おそらく切り離せないものである。ダリは戦後、カタルーニャに戻り、フランコ政権を支持してカトリックを再び信仰したが、戦前の彼には、シュルレアリスム陣営から追放されるまでの間に、次のような出来事が起きている。以下、松岡茂雄「シュルレアリストたちの反カトリシズムと、ダリの《聖心》」(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006488527 )より引用する。

初のパリ個展に、カトリックのマリア信仰に冷や水をかける《聖心》を加えたのは、ブルトンがダリの《陰惨な遊戯》を見て疑念を懐いたと知ったダリが、ブルトンの反宗教的態度に迎合し、その心を掴むための「決め球」にしたからだった。シュルレアリストとしての成功を夢見るダリの行為が、「家族との断絶」という意図せざる不幸な出来事を招いたと見ることができる

大変興味深いので、引用した次第である。