なぜ日本の賃金体系はこんなにも複雑なのか、日本型の雇用や査定制度はどのようにしてできたのか(*中級者以上向け) -金子良事『日本の賃金を歴史から考える』を読む-

 金子良事『日本の賃金を歴史から考える』を読んだ(再読)。

日本の賃金を歴史から考える

日本の賃金を歴史から考える

  • 作者:金子良事
  • 発売日: 2013/11/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 内容は紹介文の通り、

なぜわたしたちの賃金体系はこんなにも複雑なのか。日本型の雇用や査定制度はどのようにしてできたのか。そもそも賃金とはなにか、どうあるべきか。賃金についての考え方の変遷をその時代的背景とともに明らかにし賃金の重要性を問い直す。

 今からだとやや古い本になるが、しかし、今読んでもためになる本である。

 ただ、他の書評*1でも言及されているように、初心者には見通しがあまりよくはなく、しかし専門家にとってはもっと註を入れてほしい、という読者を選ぶ本でもあるように思う。

 以下、特に面白かったところだけ。

口入れ屋もつらいよ

 保証人には、労働者が逃げだしたら、捕まえて引き戻すか代わりの人を提供するかによって労働力を保証する義務があった。 (18頁)

 日本の一部企業に残っている身元保証人制度の原型である。*2
 これが明治に入ると、徐々に判例が積み重ねられて、雇用関係は現代では常識的と考えられているような、純粋な雇われるものと雇うものとの関係になっていったわけである。

科学的管理法のメリット

 むしろ、時間・動作研究の強みは、従来からおこなわれていた作業を可視化させることで、入職レベルでの訓練を容易にする点 (63頁)

 科学的管理法の功績を挙げるとすればこれであるという。*3
 ただし、実際の業務だと、内容が進歩してしまう(脱ルーティン化)ので、科学的管理法の真価(ルーティン作業の可視化)を生かせなかったという。

 そうした性質ゆえに、三年以内に大多数が辞める(そして女性が多い)紡績業において、入職レベルでの訓練を容易にする科学的管理法は、効果を発揮した。

 ただし実のところ、「紡績業でさえ、もっとも高度な技能は解析することができなかった」(120頁)。

戦前の日本の賃金は安くなかった?

 一九六〇年代以降の海外の研究では日本の賃金がイギリスと比べて、必ずしも相対的に安くなかった (71頁)

 著者は、1968年の山崎広明「日本綿業構造論序説」*4に依って、そのように述べている。
 近年の繊維産業史研究に携わる者にとって、戦前の日本の賃金は英国と比べても安くはなかったというのは、常識だという。*5
 低賃金というイメージは、山田盛太郎や『女工哀史』とかの影響だという。

電算型賃金と査定

 戦時期の工員月給制度の提唱にしても、戦後の労働運動において生活賃金を主張したことで大きな影響力をもった電産型賃金にしても、純粋に生活ベースの賃金ではなく、査定がついていた。 (101頁)

 電産型の場合、賃金の約七割は生活保障給だったはずである。*6 *7 *8

職務給の由来

 本体はコスト管理であって、その意味で標準原価の設定こそが画期というべき (107、108頁)

 職務給の話である。
 ところが、職務給を語る時、問題がモチベーションや労務管理の処遇などの問題に落とし込まれてしまった。
 職務給はむしろ、上記引用部のような、賃金切り下げを目的としていたのである。*9

メンバーシップの二類型

 日本と欧米を理念型化した場合、両者の違いは企業へのメンバーシップか、トレードへのメンバーシップかということなのである。 (121頁)

 なお、日本の大企業のメンバーシップが作られたのは、早くて、明治30年代から大正初期以降である。
 一方、ヨーロッパのトレード(職業・職種)は、産業革命以前の伝統を継承している。*10

トレードユニオンの歴史

 実際にはその連続性を示す決定的な証拠はない。 (122頁)

 ギルドとトレードユニオン*11の連続性についての話である。

 トレード・ユニオンの起源は、実際は18世紀末の産業革命ごろだという。
 19世紀の100年間をかけて、トレード・ユニオンはその意味を大きく変えていったのが実情である。*12
 元々、トレードユニオンは、労組的機能を有すると同時に、同業組合(仕事のプロジェクトを融通し合う)としての性格も持っていたのであり、時代を経て、前者の役割を重点的に担っていくのである。
 ただ、トレードユニオンは、同業組合的でもあった時代からすでに、仲間の共済機能だけでなく、賃上げや労働条件交渉(ストやピケを伴う場合も)を行っていた。
 また、熟練工の訓練プロセスを含め、熟練工の労働供給を掌握してもいた。

徒弟制度とその空洞化

 実際に、徒弟制度の空洞化というのは一九世紀どころかそれ以前から指摘されており、完全な労働供給の独占はおこなわれていなかった。 (124頁)

 徒弟制度の空洞化は昔から問題になっていた。*13
 そこで、不熟練労働者や女性など新しい労働者に対する処遇が問題となるが、この時、労組はそうした労働者を組織化して、労働者全体の労働条件を向上させる道を選んだ。
 今現在の話ではなく、19世紀末から20世紀初頭のイギリスでの出来事である。

生産性と労働強化

 一つ目の考え方は、増えた分の富が労働者に還元されるならば、それは良いことだと考える。じつはテイラーの科学的管理法の発想も同じである。これにたいして二つ目の考え方は、たとえ国民所得が増えそれが自分たちに還元されるとしても、それはかならず労働強化をもとなうものであり、それならば現状維持がよいと考える。これが技術革新にたいして反対する理由である。 (158頁)

 生産性向上運動に対して、右派の同盟や全労会議系は賛成、左派の総評は反対の立場をとった。
 生産性の向上とは、企業レベルでは効率よく利益を出すことであり、国家レベルでは効率よく国民所得を増やすことだった。
 19世紀以来の欧米のトレードユニオン的労働組合は、伝統的に後者の立場をとっており、左派が右派の強調的労使関係を批判してきた根拠もここにある。*14

生産性基準原理

 生産性基準原理はデフレ経済のもとでは影を失い、経営側に残されたロジックは企業レベルの支払い能力になっている。ただし、そうなっていくと、生産性がナショナル・レベルのテーマであったことが忘れ去られ、支払い能力、すなわち企業レベルでの問題にされてしまい、二〇〇〇年代以降の生産性の議論が付加価値性生産性になったことを考えると、本来目的とされた物価安定の意味がわからなくなってしまう。 (169頁)

 結果、合成の誤謬のようなことが起こり、デフレは脱却できないという仕組みなわけである。*15
 そもそも、ベースアップが行われたのは、ハイパーインフレがあったという歴史的背景があった。
 名目賃金を上げないと、実質賃金が低下するからである。
 インフレはすべての人に等しく影響するので、賃金表全体の数値を書き換える必要がある。
 インフレが労働運動を生んだ側面はあるのだと著者はいう。

ボランティアと報酬

 こうした輩こそボランティア精神ではなくエゴのかたまりである。しばしば自分の弱さを直視できないがゆえに、報酬を受け取らないという形式にこだわる。 (192頁)

 他者が報酬を受け取ることを批判し、報酬を受け取る者に対して罪悪感を与える者たち。
 そうした連中に対する批判である。*16
 高額の報酬を要求して、それを全額寄付すればよいではないか、という。*17

 

(未完)

*1:例えば仁田道夫によるものhttps://ci.nii.ac.jp/naid/110010050851 や、後述する赤堀正成によるもの。 

*2:中島寧綱『職業安定行政史』には次のように書かれている(http://shokugyo-kyokai.or.jp/shiryou/gyouseishi/01-1.html )。

番組人宿での申し合わせに、例えばこんなものがあった。/奉公人の身元をよく調べて、出所不明の者は紹介しないこと 利得に迷って、不正な紹介をしないこと 奉公人が逃亡したときは、人宿に代わりの者を差し出させ、同業者間でよく連絡をとり早急に尋ね出すこと (引用者中略) 奉公人には、奉公先の心得を守らせ、風儀をよくさせること

*3:中村茂弘「F.W.テーラーの科学的管理法に学ぶ」(https://qcd.jp/pdf/Kaizen-Base/TR-IE-09-Y20-4-19.pdf )には次のようにある。

実証実験に当たり、テーラー氏は当時の鉄鋼業で盛んに行われていたズク作業を選びました。その理由は、「ズク作業は、つらいが単純な作業であり、科学的管理法の成果が誰にでも明確にとらえることが出来る」と考えたためです。 (引用者略) 個人に分けると、優秀な者と遅い工員に分かれる。そこで、教師がつき、遅い者には、作業方法を指導する方式を進めた。

こうした言葉を読むと、著者の言わんとするところはよく理解できる。

*4:https://ci.nii.ac.jp/naid/40000833241 

*5:じっさい、後世の研究、たとえば、牛島利明・阿部武司「賃金」(西川俊作ほか編著『日本経済の200年』(日本評論社、1996年))は、山崎の意見に賛同している(当該著245、246頁)。

*6:工員月給制の実態について、著者は別の論文で、次の一文を引用している(「戦時賃金統制における賃金制度」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005255232 )。

「昇給にはたとへ同一年令とはいへ本人の勤怠,技能等により等差がつくのは産業正義からみても当然である」(渡部旭「賃金制より視たる月給制」,1940年,41頁)。

工員月給制度の提唱者とされる人物の言葉である。

*7:笹島芳雄は「電産型賃金」について次のように書いている(「生活給--生活給の源流と発展」https://ci.nii.ac.jp/naid/40018796729 )。

「電産型賃金体系」では,年齢で決まる本人給が44%,勤続年数で決まる勤続給が 4%に加えて,家族数で決まる家族給は 19%を占めている。当時の男性従業員の場合には,家族数は年齢と密接に関係していたから,賃金の 67%が年齢および家族状況で決まるという生活費を重視した生活保障型の賃金であった。

一方、能力給は約25%あり、査定自体はついているのである。

*8:遠藤公嗣は電算型の「能力給」の問題に言及している(『これからの賃金』旬報社、2014年。97頁)。具体的には、労組が能力給の査定基準を経営側に委ねてしまっていた点である。

*9:百科事典マイペディアによる「職務給」解説には、

技術革新の進行に伴い能率給が労務管理機能を果たせなくなったこと,労働組合がその生活給的側面を強調して維持しようとする年功序列型賃金による賃金上昇を抑え,労働力不足に対処するための賃金原資を確保する必要があること等を理由に,第2次大戦後米国から導入。

とある(https://kotobank.jp/word/%E8%81%B7%E5%8B%99%E7%B5%A6-80268 )。

*10:日本銀行調査統計局「北欧にみる成長補完型セーフティネット」(https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2010/ron1007a.htm/ )は、

スウェーデンフィンランドでは、失業保険制度が国家ではなく労働組合によって運営されている。北欧諸国の労働組合は産業別に組織されているため、失業しても労働組合のメンバーシップはなくならず、社会との繋がりを保ちやすい(社会から排除されにくい)と考えられる。

と述べている。

*11:職能別組合と訳されるであろう。後述するように、かなり歴史的変遷のある言葉なので、注意する必要があるのだが。

*12:『〝学習通信〟060501』は次のような文を転載している(http://kyoto-gakusyuu.jp/tusin06/060501.htm 出典は、「浜林正夫『パブと労働組合新日本出版社 p22-27 」である)。

一八三〇年代にイングランド北部の炭鉱主たちが組織をつくったことがあるが、このときに北部最大の炭鉱主で労働組合弾圧の急先鋒であったロンドンデリ侯がこの組織に加わったのを、ある労働者階級の新聞が「ロンドンデリ侯がトレード・ユニオンのメンバーになった」と冷やかしたことがあった。これなどはトレード・ユニオンが労働組合と業者団体との両方を意味することにひっかけたジョークであろう。 (引用者中略) 問題はトレード・クラブやトレード・ユニオンがどのようにして労働組合になっていったのかということである。仕立て職人の場合、先に述べたようにこのトレード・クラブはジャーニーマンテーラーのクラブであるから親方のギルドとは性格を異にする。むしろギルドの内部の組織であるヨーマン・ギルドのようなものであろう。しかし、もはやギルド内部で親方になることを求めているのではなく、あきらかに労働組合的な要求と運動を展開している。このことは、このクラブの活動のために損害をうけているとして雇用主側が一七二〇年に議会へ提出した請願書から知ることができる。

*13:オーグルヴィとエプスタインの論争において、オーグルヴィは、

徒弟制度と職人制度は技術の世代間継承に必須の条件とはいえない。ヴュルテンベルクのウステッド工業の事例では,徒弟に職業訓練を提供しない親方が処分されていなかったり,欠陥のある親方作品を制作した職人が親方資格を得ていたり,ギルドで公式の職業訓練を受けたことのない寡婦が合法的に営業していた。また,ギルドにおいて職業訓練を受けることを否定されている未婚の女性やユダヤ人などは,何らかの方法でスキルを修得していた。

と述べており、徒弟制度の有効性を疑っている(唐澤達之「ヨーロッパ・ギルド史研究の一動向--オーグルヴィとエプスタインの論争を中心に」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009435978 )。

*14:島西智輝「高度経済成長期における日本生産性本部の活動」には、

ここでの労働強化とは,単に仕事量や負荷が高まることではない。総評は,「職場が明朗化され,われわれの職場における自由,組合活動と闘争の自由が確保されること」を求めており,その上に生産性向上が成り立つと主張した。協力から反対までに共通する反応は,強弱の違いはあるが,「協力の代償」をめぐる不信感の表明である。この不信感は,職場の実感に支えられているがゆえに協力派にも共通していると言えよう

とある(https://ci.nii.ac.jp/naid/40019394053 )。

*15:馬小麗は、次のように書いている(「中国の最低賃金制度の状況と発展の新たな動向」https://www.jil.go.jp/foreign/report/2015/2015_0220.html )。

日経連は 1970 年からインフレ回避のために名目賃金上昇率を実質付加価値生産性の伸び率の範囲内とすることで、賃上げ分の価格転嫁によるインフレを起こさない「生産性基準原理」を提唱し、企業に徹底を求めてきた。これに対して労働側は、「実質賃金上昇率を実質付加価値生産性の伸び率に合わせる」(物価上昇分を賃上げに反映する)という「逆生産性基準原理」を主張し、反論してきた。なお、旧日経連の担当者の証言によると 1985 年のプラザ合意以降、急激に進んだ円高によって、為替減価で生産性をいくらあげても利益に結びつかなくなり、生産性基準原理による賃金決定が機能しなくなったことから、各企業の「支払い能力論」を新たな原理として打ち出したとしている(連合総研・調査報告書「日本の賃金―歴史と展望」2012 年)

*16:このボランティア論について、赤堀正成は本書書評において、

これは著者のボランティア経験があって初めて書かれた言葉だろう。このように「あえて価値観に踏み込ん」だ,強い情動を伴う主張は本書の中では例外的な部分である。

と述べている(「書評と紹介 金子良事著『日本の賃金を歴史から考える』」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005550188 )。

*17:卑近な例だと、いつぞやの新型コロナウィルス対策の特別定額給付金の時のことを思い出す。政治家も受け取らないのではなくて、貰って寄付をすればよかったわけである。