個人的には、この小池和男批判が一番面白かったような気がする。(*日本女性の労働を歴史的にみる良書) ―濱口桂一郎『働く女子の運命』を読む―

 濱口桂一郎『働く女子の運命』を読んだ。(再読)

働く女子の運命 (文春新書)

働く女子の運命 (文春新書)

 

 内容は、紹介文の通り、

失われた20年以降、総合職というコースが用意された代わりに、“転勤も労働時間も無制限"に働けという。 さらには「少子化対策と女性の活躍」を両立させる、ですって――!? いったい女性にどうしろと言うのでしょう。 本書では富岡製糸場から戦争時、職業婦人、ビジネス・ガールといった働く女子の歴史を追いながら、男性中心に成功してきた日本型雇用の問題点を探っていきます。

というもの。
 2015年の本だが、内容は古びていない。
 日本の女性の労働を歴史的に見る良書である。
 以下、特に面白かったところだけ。

渋沢栄一と工場法の賛否

 有名な渋沢栄一氏も (引用者中略) 反対意見を主張しています。 (37頁)

 戦前の工場法についての話である。
 この法律は、何度も法案を作成しては業界の猛反対でつぶされた。
 渋沢栄一も、一方的な道理によって欧州のコピーのようなものを設けるのは反対、と主張していた。
 なお、著者も自身のブログで言及していたように、後年渋沢栄一は賛成に回るわけであるが、しかしながら、相変わらず企業家たちは反対したのである。*1

近江絹糸の人権争議

 戦後日本の労働争議で労働側が勝った事例自体がないに等しい (49頁)

 女性中心の労働運動が勝利を収めた数少ない争議、それが1954年の近江絹糸の人権争議である。
 労働組合側が全面勝利を収めたほぼ唯一の事例でもあるという。*2

結婚退職慣行の確立

 一九五七年には結婚退職慣行が確立します。 (53頁)

 トヨタの例である。
 一九五〇年の葬儀の時にかなりの女子を「排出」(追い出し)している。
 そして、入社時に結婚退職誓約書を提出させ、退職特別餞別金制度を設けた。
 結果、以降は事務系女子の平均年齢は20歳前後と若年短期型になった。
 辻勝次『トヨタ人事方式の戦後史』を参照して、そのように述べられている。*3

小池和男の知的熟練理論に対する批判

 実際に実行できたのは大企業だけであって、中小零細企業になればなるほどそんな高い給料は払えないから中年になると賃金カーブが平たくなるしかない (127頁)

 小池和男の知的熟練理論は、中小零細企業には当てはまらない、という指摘である。
 まあ、考えてみればその通りである。
 大企業正社員の中年社員と、中小企業の中年社員とで、賃金カーブに大きく差がつくほどの、それが正当化できるほどの熟練度なんて、普通に考えればあるわけもないのだ。
 そんなに熟練しているはずの中年社員を、不景気になったとたんにリストラ対象にするのは、おかしいはずなのだから。*4 *5
 個人的には、この小池和男批判が一番面白かったような気がする。

男女同一労働同一賃金原則が生まれた現実的背景

 できれば男の職場に女を入れたくないという気持ちに基づいた主張だった (146頁)

 ジョブ型社会で男女同一労働同一賃金が主張された背景である。
 いってしまえば、女の賃金が安いと、そっちが雇われてしまうから、賃上げしてしまおう、という発想である。
 それは欧州でも米国でも同様だという。*6

 日本型以外のジョブ型社会の男女平等政策 (157頁)

 そんなわけで日本以外での男女平等政策では、男女同一労働同一賃金はあまりにも当然である。
 だが、それだけではいかんともしがたい。
 そこで、同一価値労働同一賃金*7ポジティブ・アクション*8などの「いささか問題を孕んだ政策」を進めているのが現状だとしている。

残業代関係なく、働かせてはいけない時間

 ヨーロッパの週四八時間はそこで残業が終わる時間です。 (232頁)

 週48時間まで、残業時間もふくめて、仕事をさせることが可能になるのであって、それ以上は原則不可である。

 かつ、毎日必ず11時間仕事から離れて過ごす時間を、確保しなければならない。*9
 日本とはえらい違いである。
 これは、以前の著者の著書でも述べられていたはずの事柄だったと思うが、とても大事なことなので、念のため書いておく。

 

(未完)

 

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*1:http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2019/04/post-9402.htmlにおいて、著者は渋沢栄一の工場法賛成について言及している。なお、その後の経過については、谷敷正光によると次のとおりである(論文「「工場法」制定と綿糸紡績女工の余暇--工場内学校との関連で」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006610530 )。

綿糸紡績連合会は深夜業禁止規定(同法実施 10 年後に深夜業を禁止する)に猛烈に反対し,法案通過の見込みがたたず,政府は明治 43 年2月「調査修正」を名目に同法案を撤回している。

深夜業の扱いがネックとなった。結果、「『工場法』公布にもかかわらず,紡績業にとって 20 数年間何ら影響を受けることなく,劣悪な労働条件は存続した」と谷敷は書いている。

*2: ところで、本書にも出てくる話題であるが、この人権争議の労働側の要求項目には、仏教の強制絶対反対というのが存在している。会社が押し付けたのは、浄土真宗西本願寺派の教義であった。

 ただし、実態としては、

近江絹糸の企業力が拡大強化されていく中で地域の宗教者に対して社長の経営方針が色濃く反映されるようになり、教育方針に注文がつくようになり、宗派の教義に忠実で熱心な宗教者と社長との間に対立が生まれ、だんだんと離れていくことになったものだった。会社としては、社の経営方針を受け入れる者に限定するようになっていった。

という具合だったようだ(朝倉克己「人権争議はなぜ起きたか」https://uazensen.jp/sinior/history/ )。

 なお、九内悠水子によると、近江絹糸の経営者である夏川自身が、熱心な浄土真宗の信徒であり、郡是(グンゼ)製糸の工場においてキリスト教によって教育をしていたのを見て、自社では仏教で実践しようとしたきっかけのようである(「三島由紀夫『絹と明察』論 : 駒沢とコミュニティの関わりについて」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005367849、134頁)。

*3:遠藤公嗣による、当該書書評https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2012/toc/index.htmlによると、

女性社員の定年到達者が非常に少ないことである。1957 ~ 74 年合計の女性採用者数は 5246人であったが,その定年到達者数は 52 人であって,到達率は 0. 98%であった(305 頁)。

また遠藤は、「大企業における女性社員の定年到達者数と到達率が研究文献で明示されたのは,これが最初であろう」とも述べ、本書を基本的に高く評価している。

*4:著者は、次のように述べている(「日本型雇用と女子の運命」http://hamachan.on.coocan.jp/suirensha.html )。

労働経済学からこれを援護射撃したのが小池和男の知的熟練理論であった。大企業と中小企業の年功カーブの上がり方の違いをその労働能力の違いから説明するこの理論は、その「能力」を企業を超えた社会的通用性を欠いたミクロな職場の共同主観に立脚させることによって、あらゆる待遇の格差を客観的検証の不可能な「能力」の違いで説明できる万能の理論となった。 (引用者中略)  しかし、その前提の存在しない日本にこのロジックを持ち込むと、実際には上述の経緯によって産み出された生活給的年功賃金制を、その経緯を表面上抹殺して「能力」の違いで説明してしまうものになってしまう。

*5:遠藤公嗣は、次のように言及している(論文・「賃金」https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/oz/contents/?id=2-001-9000493 )。

小野旭(1989: 第1章)は,賃金の計量分析によって,「熟練」が賃金カーブ=「上がり方」の説明力として弱いことを示した。すなわち小野は,年功賃金の決定要因は「熟練か生活費保障か」と問題設定し,「賃金センサス」個票の計量分析によって,勤続年数などの「熟練指標」よりも年齢が賃金カーブの形成に大きい説明力をもつことを実証した。そして,年齢が大きい説明力をもつことを生活費保障のためと理解したのである。 (引用者中略) 野村正實(1992: 13-14)はまた,小野旭(1989: 第1章)に依拠しつつ,小池の賃金論を批判する興味深い仮説を提出した。すなわち,「知的熟練」が大企業(男性)生産労働者「ホワイトカラー化」をもたらすという小池の議論を,いわば逆転して,「賃金カーブが『年齢別生活費保障型賃金』になったことが」歴史的に先行し,それが与件となって「企業に,男性労働者にたいして直接労働者であってもある程度の技能形成をおこなわせ」たと仮説を述べたのである。この仮説を支持したのは,たとえば遠藤公嗣(1993a: 45-46)や大沢真理(1994: 65-68)であった。

 基本的に、本書(濱口著)の小池的・知的熟練理論に対する立場は、一応は、この小野旭以降の研究的系譜に与するものといえるだろう。

*6:以下、労働政策研究・研修機構の『雇用形態による均等処遇についての研究会 報告書』(https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001h5lq-att/2r9852000001jh4z.pdf )より、「EU諸国等における雇用形態に係る不利益取扱い禁止法制等の現状」から引用する。

1957 年EEC(欧州経済共同体)設立条約(ローマ条約)119 条に、各加盟国は、同一労働に対して男女労働者の同一賃金原則が適用されることを確保するものとする旨の男女同一労働同一賃金原則が定められていた。/○ これは、元々は、低賃金の女性労働者の雇用がソーシャル・ダンピングを引き起こし、市場競争を歪めるという考え方から導入されたもので、経済統合のための手段であって、社会的目標を掲げたものとは考えられていなかったといわれる

実際、

ローマ条約の批准交渉において 119 条の挿入に熱心だったフランス政府は、当時、自国の繊維産業を、低賃金女性労働者を有するベルギーとの競争から守ることを意図していたといわれる。

として、著者・濱口『増補版EU労働法の形成』が参照されている。というか、この個所を書いたのは、報告書の執筆者の一人である、著者・濱口なのだと思われる。

 なお、ローマ条約のくだりは、本書(『働く女子の運命』にも登場する。)

*7:「同一価値労働同一賃金」について、上田裕子は次のように説明している(「試論『同一価値労働同一賃金』原則を検討するにあたって論点整理 」(『雇用におけるジェンダー平等』)http://www.yuiyuidori.net/soken/ )。

「同一価値労働同一賃金」原則とは、かりに異なる仕事(職種・職務)であっても、その価値が同一または同等の価値とみなされる仕事(職種・職務)であるものに対して、性別や雇用形態にかかわらず同じ賃金を支払うことを求める原則である。別の表現をすれば、同じ労働でなくても、類似の経験、就業期間、知識、体力、意欲や諸能力の水準が同じような異種間の労働には、同等の賃金がしはらわれるべきである、という要求の原則である。これまでの同一労働同一賃金原則では、異種業務であれば異なる賃金でよいことになるが、同一価値労働同一賃金原則は男女間あるいは雇用形態間の格差是正に有効だとされている。しかし、同原則を運動に取り入れることについては、90 年代から熱い議論がされているにもかかわらず、いまなお決着をみたとはいえない。同原則を実現するに当たって仕事の価値をどのように評価するのかという難問があり、その評価手法の問題は賃金形態・体系にまで問題が及ぶことから、運動の現場においても研究者の間でも賛否の議論が続いている。

「同一価値労働同一賃金」のラディカルなところは、まさにこの点である。

*8:ポジティブ・アクション」、すなわち、一方の性に対する特別措置について、黒岩容子は次のように書いている(「性平等に向けての法的枠組み─EU法における展開を参考にして」https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2014/07/ )。

ポジティブ・アクションについては,すでに1976 年男女平等待遇指令 2 条 4 項で,平等な機会の実現のための一方の性に対する特別措置は許容される,と規定されていた。しかし,一方の性に対する優遇措置は,他の性にとっては不利益扱い(逆差別)となるために,EU 法上許容される優遇措置の内容および範囲が問題となってきた

*9:2017年の「日本学術会議 経済学委員会 ワーク・ライフ・バランス研究分科会」による「労働時間の規制の在り方に関する報告」には、次のようにある(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/division-16.html。以下、註番号などを省いて引用を行った)。

週 48 時間の上限に関してはオプト・アウト(労働者の事前の個別合意により適用除外とする制度)が認められているが、オプト・アウトを導入しているイギリスでも最低で 11 時間連続の休息時間の規定は存在し、時間外労働に対する実質的な制約として機能している。一方、日本では労働基準法において法定労働時間(1 週 40 時間・1 日 8時間)の規定(32 条)や 6 時間を超える労働における休憩時間(34 条)、休日(35 条)の規定はあるものの、「休息時間」の概念は存在せず、「自動車運転者の労働時間等の改善の基準」(平成元年労働省告示第 7 号)において休息時間についての言及があるのみである

当該箇所では、著者・濱口の論文・「『EU 労働時間指令』とは何か (特集 労働時間の国際基準)」が参照されている。残業代を払おうが払うまいが関係なく、長時間労働が禁止される、という点が肝心である。