なぜ英語を学校で学ばないといけないか。決定的な答えはおそらく存在しない。英語の「国民教育」化は偶然の産物だから。 ―寺沢拓敬『「なんで英語やるの」の戦後史』を読む―

 寺沢拓敬『「なんで英語やるの」の戦後史』を読んだ。*1

 内容は紹介文のとおり、

私たちが受けてきた「英語」は必修教科ではなかった!必要に応じて履修すればよい選択科目だったにもかかわらず、英語は事実上の必修教科として扱われてきた。一体なぜそういう現象が起きたのかを検証しながら、国民教育としての英語教育の成立過程を分析する。「なんで英語やるの?」を問い続けてきた日本の戦後史を教育社会学的手法によって浮き彫りにして、あらためて国民教育としての英語教育の存在理由を問い直す。社会学的アプローチによる、まったく新しい実証的英語教育論の登場!

という内容。
 英語教育を語るなら、まずこういう本をこそ手に取るべきである。

 以下、特に面白かったところだけ。

平泉・渡部論争

 ただ上から「知的訓練」を全国民に押しつけている点も説得力に乏しい (82頁)

 著者は、平泉・渡部論争のうち、後者に厳しい。
 まあ、無理もないが。
 相手の主張(志望者の自主性を重視)を読み違え、「知的訓練」一点張りで、それ以外の重要な意義(「異文化理解や、言語の相対性に対する認識の育成」)に目配りがないし、教育の機会均等に関する論点にほとんど共感を示していない。*2

 渡部説がこれほど説得力――「論理」を超えた説得力――を持ち得た一因は、根拠はどうであれ「すべての生徒が外国語を学ぶ」ことを擁護したからだろう。 (83頁)

 そんな渡部だが当時も今も、結構支持されている。
 平泉説を実行すると、いったん成立した「国民教育」という制度を元の状態に戻そうとすることになるため、大きな抵抗感が生じるのである。

「なんで英語やるの」「偶然」

 人口動態・教員採用方針、そして高校進学上の英語の重要性の高まりが、複合的に作用することで、1960年代の履修率の急上昇はもたらされ、その結果、事実上の必修化が現出したと考えられる。 (171頁)

 ベビーブーマー卒業後の英語教員の人的リソースの改善(ベビーブーマー世代の中学校入学に合わせて英語教員人口が増え、彼らの卒業後もその教員の数が維持された)が、進学上の必要性等と絡んだ、という。*3
 これにより事実上の必修化が可能になった。

 高度経済成長期以降の就業構造の転換(とりわけ離農の進行)によって、「農家の子どもに英語は不要だ」という論理が取り除かれた結果、「必要性はどうであれ科学的に正しい英語教育を行うべきだ」という理屈が、それなりの説得力を帯び始めたと考えられる。 (237頁)

 英語の「国民教育」化は「社会的・人口的・制度的・政治的要因の複合的な結果によって生み出された」(243頁)。*4

 偶然の産物なのである。

 (歴史)社会学的に、ありそうな話である。

 その種の決定的な答えはおそらく存在しない (259頁)

 学校外国語教育の目的、つまり、なぜ外国語を学校で学ばないといけないのか、という問い対する著者の答えである。
 英語の「国民教育」化は必然的な結果ではなく、偶然の産物だからである。
 著者は、万人が合意可能な学習目的を現代の外国語教育に問うことは構造的に困難だとしている。

 もちろん、別に選択制に戻せといっているのでもない。*5

「多様性」ではなく「格差」に

 しかし、80年代になると、そうした「差異」はもはや「多様性」とは認識されず、不平等を引き起こす「格差」として理解されるようになっていった (96頁)

 戦後初期の、英語を利用しない生徒の存在や授業時数の多様さは、地域や生徒の多様な必要性、興味を反映した「民主的」なものと理解されていた。*6
 それが80年代には、「格差」として理解されるようになる。*7

戦前の「教養」の中身、戦後の「教養」の中身

 戦前型の「運用能力の発達を基礎に、教養達成を図る」という発達順序を捨象し、「教養 vs.運用能力」という(便宜的)二分法のみに注目する、そして、その二分法を初歩段階にも適用する、というものである。 (216頁)

 なんのことかといえば、「読み替え」られた戦後の教養、という話である。
 教養の意味の変化が、戦前と戦後においてあった。
 戦前はエリートのみに英語を教えてればよかった。
 教養も「英文学や思想書の読解など高度な知的活動を前提としていた」(243頁)。
 しかし、戦後はどうするのか。
 英語を必要としないであろう人々*8にとっての英語の意味は。そこで、運用能力だけではない、教育の意義を説明するものとして、「教養」が使われたのである。
 学ぶというのは、運用能力を得るだけが全てではないのだ、と。
 それは、「『文化吸収』『人格育成』『国際理解』のような抽象性の高い目的論」である、と(242頁)。*9

英語だけじゃ収入も増えない

 英語(だけ)ができても収入が際立って増えるわけでもなければ、就職のチャンスが飛躍的に広がるわけでもない (262頁)

 英語力の差が富の格差を生むとまでは、学術的に確認できてない。
 多くの教育社会学者と多くの日本の市民にはごく当たり前の事実である。
 また、英語力と収入の相関は、学歴や学校歴、職種による疑似相関だろう、と著者は述べている。*10

 

(未完)

*1:これも厳密には再読

*2:清水稔も、「外来文化の受容の歴史から見た日本の外国語学習と教育について」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110007974768 )において、

平泉・渡部論争 は、問題のとらえ方に相違があり、議論が必ずしもかみあってはいない。平泉の試案は、学校教育の成果を重視した一種の政策論であり、渡部の反論は、これまでの学校教育に対する一定の意義を強調していて、平泉の政策論に対案を示せていない

と評している。

*3:著者は別の論文でも、こう述べている(「「全員が英語を学ぶ」という自明性の起源:──《国民教育》としての英語科の成立過程──」https://ci.nii.ac.jp/naid/130003397430 )。

「英語の必要性の増大」や「英語教員の必修化推進運動」ではなく,高校入試の制度変更,高校進学率の上昇,ベビーブーマーへの対応としての教員配置などが複合的に働いていたと考えられる

実に(歴史)社会学っぽい感じである(褒め言葉)。
 社会学っぽいというのは、次のような言葉を想定している(大島真夫「書評 『教育と平等 大衆教育社会はいかに生成したか』苅谷剛彦著」https://ci.nii.ac.jp/naid/40017171104 )。

面白いのは,このような仕組みは誰かが強い意図を持って作り上げたのではなく,標準法を「過去からの慣性」(176 頁)として維持した結果生じたものだと描いている点である.誰にも知られず誰かの意図で起きたのでもなくひっそりと起きた社会の変化を鮮明な形で描き出すことができるのは社会学ならではだと改めて感じた.

*4:著者自身の言葉でいうと、次のようになる(「英語教育学の質評価:社会科学・政策科学の観点から」https://www.slideshare.net/tterasawa/20151114 )。

必修化に影響を与えた重要な要因を列挙すると以下のとおりである。(a) 高校入試改革、(b) 高校進学率の上昇、(c) ベビーブーマー世代の卒業に伴う、教師一人当たりが受け持つ生徒数の大幅な改善、(d) 当時の英語教育研究および言語学の学問的潮流、(e) 産業構造の劇的な変化、(f) いわゆる「戦後新教育」(リベラルな思想を特徴とする教育思想・教育実践)の退潮。以上の結果から、「すべての生徒が英語を学ぶ」という自明性は当時の社会政治的要因によって生み出されたものであると結論づけた。

もちろん、高校入試改革に関しては、「必修英語をめぐる理念的な問題は、中学校段階から高校段階に『先送り』されたものだと言うことができる」(本書248頁)。なぜ高校で英語をやるの(必修なの)、という話は、まあ、ほかの要因によって説明できるのだろう(*なお、高校入試に英語が導入された背景については、本書121頁を参照)。

*5:著者自身は、本書255、256頁において、英語教育の目的について、ある程度ビジョンを示している。ヒントとして、1960年前後の日教組教研集会外国語教育分科会における「国民教育としての外国語教育の四目的」を挙げている。

*6:ただし、本書42、43頁を見る限り、それを裏付けるような史料が十分とはいい難いように思われるので、補強する史料等がもっと欲しい所ではある。

*7:林博史は次のように述べている(「「総中流」と不平等をめぐる言説 : 戦後日本における階層帰属意識に関するノート(3)」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005592820 )。

「階層論が主として取り組んできた『貧困』という問題が,先進諸国では実質的に解決されてしまった」 (引用者中略) という認識は,少なくとも 1990 年代前半あたりまでは,多くの社会階層研究者に共通のものであったろう。しかし実際には,1980 年代まで減少を続けていた生活保護世帯数は 1990 年代に増加に転じた。 (引用者中略) 1980 年代以降,貧困は潜在的には拡大していたのである。このような状況にも関わらず,貧困に対する最後の砦である生活保護の対応は十分なものではなかった。

1980年代とは、かたや教育機会の「差異」が「格差」として認識される一方で、「貧困」は「格差」は認識されにくかった時代なのかもしれない。あるいは、機会の平等には敏感でも、結果の平等には鈍感だったのか。

*8:主に農山村地域の生徒たちである。

*9:戦後のものに関しては、1951年には次のような主張が見える。以下、「学習指導要領外国語科英語編(試案)改訂版」より、引用する(ブログ・『紙屋研究所』の記事・「バトラー後藤裕子『英語学習は早いほど良いのか』」からの二次引用となる。)。

平和への愛なくしては,列挙したその他のいろいろな目標を達成することは不可能であろう。ゆえに平和のための教育は,英語教育課程をも含めた全教育計画の条件であり重要な部分である。/生活様式・習慣および風俗に関する個人的ならびに国民的差異を理解しないでは,また自国のものとは異なる生活様式・歴史および文化をもつ人々に対して望ましい態度をもたないでは,生徒は寛容な世界的精神をもつ公民に成長することはできない。さらに生徒は,一般人類の福祉に寄与する公民に成長すべきである。さもなければ,外国語の習得もほとんど意義を有しないであろう。習得した技能はその目的を離れてはなんの意義も有しないのである。

この時代においては、こうした「国際理解」の言葉はある程度切実なものとして響いたはずである。

*10:著者も2009年段階では、

事実、英語力が賃金や社会的地位と密接な関係にあることを示す先行研究はすでにいくつか存在する。 (引用者中略) これが事実だとすれば、社会的属性に起因する英語教育機会の格差によって、新たな社会経済的格差が生み出される恐れがある。この点を真剣に考えるならば、現存する英語教育機会の格差に対し、具体的な対応をとる必要があるだろう

というに認識だった(「日本社会における英語の教育機会の構造とその変容 ―英語力格差の統計的分析を通して―」http://jalp.jp/wp/wp-content/uploads/2019/08/gengoseisaku05-terasawa.pdf )。その後研究を進展させて、2012年に、”The "English divide" in Japan : A review of the empirical research and its implications”(https://ci.nii.ac.jp/naid/40019265030 )を著し、

前者(既存の富の差→英語力の差)の存在は明らかになったが、後者(英語力の差→新たな富の差)は、英語力の賃金への効果を取り扱った研究を見るかぎり、かなり限定的なもの

であるとした。