「コルセットをしなくてもいいとどんなにいいだろう」と、与謝野晶子は述懐した -乳房文化研究会 (編)『乳房の文化論』を読む-

 乳房文化研究会 (編)『乳房の文化論』を読んだ。

乳房の文化論

乳房の文化論

  • 発売日: 2014/11/19
  • メディア: 単行本
 

  内容は、紹介文の通り、

おっぱい、お乳、バスト、胸、時と場合によってまことに変幻自在、さまざまの呼び名で親しまれている乳房はまったくもって「不思議のかたまり」。そして、その不思議の分だけ乳房の研究、乳房の学問は奥が深い。20年以上にも及ぶ広範な研究のなかから精選された乳房論の数々。

という内容。
 研究会だけあって、内容は実に真面目である。
 この対象に関して興味のある方はどうぞ。

 以下、特に面白かったところだけ。

 (なお、以下に取り上げるのは、すべて、深井晃子「揺れ動くおっぱい―ファッションと女性性への視線」からのものである。) 

パッドとコルセットの歴史

 現在の偽おっぱい、パッドの祖とでも言うべき小物を使って取り繕おうとする年配女性たちの、むなしくも切ない努力 (258頁)

 18世紀ごろの話である。
 こうした道具は、既にこの頃から存在していた。*1
 胴部については、19世紀にコルセットがより改良された。
 製鉄技術発達により、胴をきつく締め上げやすくなったのである。
 つらい。

コルセットと洋装

 洋装が大好きだったという与謝野晶子が「コルセットをしなくてもいいとどんなにいいだろう」と述懐している (260頁)

 当時の洋装の女性服にはコルセットが不可欠だった一方、和服には、コルセットは不要だった。*2
 それもあって、日本には、女性の洋装はなかなか広まらなかった。
 他の要因として、洋装は高価であり、住環境との折り合いも悪かったというのもある。
 パリでもコルセットが廃れていくのは1910年代ごろからである。*3
 「女性たちがきっぱりとコルセットを捨て去ったのは、女性の社会的地位、生活が根底から変化した第一次世界大戦の後だった」のである。

ブラジャーの誕生

 日本では乳房バンド、乳押さえなどと呼ばれたブラジャーは、日本的な”ギャルソンヌ”のイメージづくりに貢献しながら、洋装する女性に使用されるようになっていった (264頁)

 日本でも大正末から昭和の初め、すなわちモガ・モボの時代において、「男の子のような女の子」のイメージで広がって、ブラジャーは流行していく。*4
 ブラジャーは当初、女性らしさを隠す、凹凸を持たない少女のような身体を作るために、乳房をできるだけ平らにすることを重視されたのである。*5

イヴ・サンローランの功績

 彼のAラインのドレスは、円筒型で、女性らしい身体の凹凸を強調するものではなかった。それは成熟美から若々しさへとファッションの舵を切る、新しいシルエットだった。 (267頁) 

 イヴ・サンローランの功績である。*6
 この若々しさは少女っぽさへ向かい、ミニスカもその延長線上にある、と著者はいう。
 また、サンローランは、厳格に男性性に属するものだったパンツを女性用に適応させた、パンツルックを提案する。
 これは当時、たいへん画期的なものだった。

 

(未完)

*1:以下、KCIデジタルアーカイブのページから引用する(https://www.kci.or.jp/archives/digital_archives/1820s_1840s/KCI_070 )。

スリーブ・パッドは、この時代を特徴づける大きなパフ・スリーブのために着装された。薄い綿素材でギャザーをふんだんに使い立体的に仕立てられている。中身の羽毛は軽く、パッドを大きく膨らませている。ドレスに固定するために紐が付いており、着装の際にドレス側の紐と結んだ。流行のなだらかな肩の線を延長するために膨らんだパフ・スリーブが効果的に使われた。

 こういった方法も、豊胸の一手段であった。

*2:なお、実際には与謝野はそのようには述べてはおらず、著者による言い換えであることは、本論の注4で述べられている。著者が依拠しているのは与謝野「巴里より」。

*3:福島利奈子は次のように述べている(「コルセットと女性像--コルセットからの解放を中心に」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006682068 )。

コルセットの身体への害が唱えられ、コルセットなしのドレスが提案されても、婦人はコルセットを着用しなければならないという16世紀から続く伝統的衣服マナーの支配は根強く、パリ・モードが大きく変化したのは、第一次大戦後の1920年に入ってからのことである。

また、階級とコルセットとの関係に関しても述べている。

あらゆる階層にコルセットが広がったが、労働者などの庶民が身に付けるコルセットは前でレイシングをするタイプであったのに対し、上流階級や貴族の女性が身に付けるコルセットは後ろでレイシングするタイプのものであった。前でレイシングを行う場合ならまだしも、後ろでレイシングを行なうには当然ながら相当な力が必要であり、それには召使いらの力を必要とした。もともとはコルセットの着用の際には誰かの手助けが必要なものなのである。すなわち、コルセットは社会的な階層性の保持・顕示に役立ったといえよう。

*4:高本明日香は乳房バンド等に関して、次のように書いている(「戦前の日本における婦人洋装下着の担い手」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005381996 *註番号を削除して引用を行った。)。

テーシー商会や白木屋デパートの婦人洋装下着の広告以外では,朝日新聞で3 業者の「乳バンド」の宣伝広告が見られた.年代順に見ていくと,1925(大正14)年11 月に大阪の「秋岡金虎堂」の「乳バンド」の広告がある.この広告では,「お乳の大きい方」に乳房を小さくみせることができ,運動や外出の姿をよくすると謳われている. (引用者中略) 次が,1926(大正15)年9 月の東京の製造販売元「島元旦三商店」の「乳おさえ」の広告である.この商品は,すでに大好評であるとあり,売れていたようである.商品については,欧米各国の最新型に改良を加え特に日本婦人の体格に合わせ,和装洋装に適するように工場にて特製しているとのことであった.この頃の欧米各国の最新型とは, (引用者中略) 1920 年代のギャルソンヌ(男性のような女性)ルックのための平らな胸を形づくるブラジャーであると推測できる.

また高本は、「戦前の婦人洋装下着に関しての情報は,ブラジャーの情報も含め,1920 年代より欧米からかなりリアルタイムに婦人雑誌,新聞の婦人欄等に入ってきており」,「主に家庭内で製作されていたと考えられる」とも述べている。

*5:福島利奈子は次のように述べている(福島前掲)。

コルセットが消えていくにつれ、ブラジャーは女性に欠かせないものとなっていった。/第一次世界大戦後の1920年代には、ギャルソンヌというまるで少年のようにボーイッシュでスリムな体形が目標とされる。このスタイルを作るために、丈の短いコルセットとともに身に付けるブラジャーが主流となった。しかし、彼女たちの好みは他の女性たちとは異なり、胸を平らにするようなブラジャーを身に付けていた。

*6:たとえば、サンローランの代表作・「モンドリアン」について、KCIデジタルアーカイブのページには、次のようにある(https://www.kci.or.jp/archives/digital_archives/1960s/KCI_230 )。

20世紀の大デザイナーの一人、サンローランの代表作である。直線的なAラインのドレスに、黒い直線で分割された大胆な原色の配置は、オランダの画家、モンドリアンの代表作《コンポジション》の引用である簡潔なフォルムながらそれを身にまとう女性の身体をほのかな陰影の中に浮き上がらせる、オートクチュールの高度な裁断技術が伺える。美術収集家としても知られたサンローランは、《コンポジション》も収集していた。

ただ、本家のモンドリアン、例えば『赤・青・黄のコンポジション, 1930』の絶妙な比率、また、横の線の太さに対する繊細な配慮などと比較すると、正直見劣りするように思われる。