現実空間で仲間とつるむ場がないからネットに向かっている、という「若者」の現実。 -ダナ・ボイド『つながりっぱなしの日常を生きる』を読む-

 ダナ・ボイド『つながりっぱなしの日常を生きる』を読んだ(再読)。

 内容は紹介文の通り、

本書は、若者メディア研究の第一人者ダナ・ボイドが、若者、親、教育関係者を含む、166人のインタビューからソーシャルメディア利用の実態を読み解くもの。若者たちを観察してみると、ネットにはまっているわけでも、ヘンなことばかりしてるわけでもなく、親や教師が顔をしかめる“ネットの問題”は、大人の窮屈な監視をかわすための処世術だったり、現実空間で仲間とつるむ場がないからネットに向かっていたり……、ネットでつながる事情はなかなか複雑です。そんな、つながりっぱなしの若者たちの実情に深く迫ることで、じつは、わたしたちのネットとの付き合い方も透けて見えてきます。

という内容。
 デジタル技術がどんなに進歩してもなお、読む価値が本書にはある。
 なお、著者は姓名の頭文字を小文字で表記しているが、これはベル・フックスの影響だと訳者(野中モモ)は述べている。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

テクノロジーのせいにされ

 ミシンが導入されたとき、女性が脚を上下させることが何か性的な影響を及ぼすのではないかと恐れた人々がいた。ソニーウォークマンは、人々がお互いにコミュニケーションを取ることを不可能にし、別世界へ消え去ることを奨励する邪悪な機械として見られていた。 (29頁)

 テクノロジーというのは大体、悪いことの原因にされがちである。*2
 あるある。

友達と直接会う代替として

 ティーンの多くは自分で車を運転できるようになるまで家に閉じ込められている。 (引用者中略) かつてショッピングモールは郊外のティーンにとって主要な拠点だったが、以前に比べてずいぶんと行きづらい場所になっている。私有空間であるショッピングモールでは、経営者が望むままに気に入らない客の利用を拒否することができ、その多くが10代のグループの立ち入りを禁じている。 (37頁)

 10代が互いに集える公共空間が、減っている。
 そうした空間に入ることのできる機会も減っている。
 だからSNSが流行ったと著者は述べる。*3
 日本もおそらく、10代の居場所は似たことがいえるように思う。

忙しさゆえに

 直接に会うほうがずっといいけれど、日々の生活の過密スケジュールと肉体的移動の自由の欠如と親たちの恐れによって、そうした直接の交流を持つことがどんどん不可能になっている (38頁)

 現代人は忙しい。
 とうぜん子供も忙しい。*4
 それもまた、SNSに頼る理由である。
 彼らは、友達などと連絡を取るのを、SNSを使用する主目的にしている。*5

テクノロジーに通暁してるとは限らない

 ティーンがソーシャルメディアを楽々使っているからといって、彼らがテクノロジーによく通じているとは限らない。 (38頁)

 実際その通りであろう。*6

森を作る

 有名人の多くは、無制限にシェアしている見せかけによって、効果的にプライバシーが守られると考えている。 (120頁)

 見たところ露出癖とされかねない行いが、いかに彼女の人生のより親密な部分へ注目を向けさせないための余裕を与えているか  (121頁)
 自分から率先して情報公開してしまう。
 そうすることで、自分のプライバシーを守っている。
 「プライバシーは (引用者中略) 人々が印象や情報の流れや文脈を管理することにより社会的状況をコントロールしようとするのに用いられるプロセスなのだ。」(122頁)。*7
 木を隠すなら森を作るのである。

「介入」が悪化させる例

 大人たちは危機管理の手法として恐怖と孤立主義に飛びつくことによって、大人の提供する情報に対するティーンの信頼を損ない、自分らの信用を台無しにしている。 (203頁)

 強硬にただ排除する、と言うだけでは、効果はない。

 学校と親の介入はたいてい状況を悪くする。なぜなら大人は詳細を理解することなく関与してくるからだ。もし若者が、大人は大げさに反応し、人間関係の力学の複雑さを理解しないと思っていたら、彼らは自分たちが直面している困難をわざわざ伝えようとはしないだろう。 (220頁)

 外国にガンガン無遠慮に介入してくる、往時のアメリカ合衆国の外交を思わせるような言葉である。*8

デジタル自傷

 デジタル自傷は私が思っていた以上にさかんに発生しているようだった。 (229頁)

 調査によると、若者の9パーセントが自分をいじめるのにインターネットを使ったことがあるという。
 被害者になって注目を集めたい、といった動機であろうか。*9

 

(未完)

*1:ベル・フックスという筆名自体は、母方の曾祖母に由来しているという。ニューヨークタイムズの、 Min Jin Lee による 記事https://www.nytimes.com/2019/02/28/books/bell-hooks-min-jin-lee-aint-i-a-woman.htmlを参照した。

*2:19世紀後半には、ミシンによる大腿の運動が繰り返されることによって、

For this young woman, these different movements produced a considerable genital excitement that sometimes forced her to suspend work, and it is to the frequency of this excitement and to the fatigue it produced, that she attributed her leucorrhea, weight loss, and increasing weakness. 

といった影響があると、大まじめに書かれていたのである。出典は、Francesca Myman の ”The Mechanical Chameleon: Sex & the Sewing Machine in Nineteenth-Century France”で、大元の出典は、ダナ・ボイドも参照した、Judith Coffinの本である(http://francesca.net/SewingMachine.html )。

*3: 高谷邦彦は、本書(ダナ・ボイド著)を参照し、次のように書いている(「ソーシャルメディアは新しいつながりを生んでいるのか? : 女子学生の利用実態」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006305245 )。

2000年代半ば頃からの SNS の勃興によって、オンライン空間はもっぱら「友達同士でつながるための場所」(既存の友人関係を強化する場所)へと変容してきた。学校で直接会っている友達と、帰宅後の時間や休日にもオンライン空間でつながるようになったのだ。携帯電話からの手軽なネットアクセスが増えるにつれて、その傾向はさらに顕著になった。 (引用者中略)  LINE も含めて TwitterFacebook といったソーシャルメディアは、リアルな知り合いである「友達」や「フォロワー」を増やすシステムによって、オンラインとオフラインを地続きにする働きを促進してきたわけである。

*4:2013年時点での調査だが、「心や身体の疲れについてたずねた結果では、小学生51.2%、中学生64.8%、高校生70.4%が「忙しい」と回答」している(「中高生の8割以上が「もっとゆっくり過ごしたい」…ベネッセ実施の生活時間調査」https://resemom.jp/article/2014/09/24/20556.html )。

*5:この点は、平井智尚の本書書評の言葉に尽きるであろう(https://www.publication.law.nihon-u.ac.jp/journalism/journalism_15.html )。

ダナ・ボイドも同様に、ティーンのソーシャルメディア中毒は、「もし中毒だとしたら、それは友達同士お互いに中毒になっているのだ」 (引用者中略) と指摘する。このようにとらえるならば、若者のソーシャルメディア利用は恐怖、忌避、排除すべきものではなく、むしろ、諸問題を可視化し、それらを理解するための道筋を与えてくれるものである。

*6:実際のところ、

いわゆる「ネ申Excel」問題 (引用者中略) などは、「パソコンが使えない大学生」問題が実は「パソコンを適切に使わせる環境を整備できない大人」問題と地続きであることの傍証の一つなのかもしれない

というのが正しかろう(木村修平、近藤雪絵「“パソコンが使えない大学生”問題はなぜ起こるか ―立命館大学大規模調査から考える―」
http://pep-rg.jp/research/ )。

 パソコンが使えないのを、彼ら世代の問題、ととらえるのは誤りである。

*7:自己情報コントロール権説に親和的な話である。
 ところで、「自己情報コントロール権説は、我が国の憲法学における通説的位置にあり、既に所与の前提となっている」が、永野一郎は、

情報化社会の進展は、取扱う個人情報の質量を飛躍的に拡大した。大量な情報を一括的に取扱う、いわゆる「データバンク社会」において、個人情報の利活用を確保しつつ個人の権利利益を保護するためには、自己情報コントロール権としてのプライバシーから離れ、データ保護を直接の対象とするべきである。

とし、最終的には、

携帯情報端末の著しい発達や、クラウドコンピューティングによる情報インフラのコモディティ化等に伴い、情報システムのパーソナライゼーションがかつてない規模と現実味をもって進展している。パーソナライズされたシステムはもはや「データバンク」ではない。そこでは、大量一括処理を前提としたデータ保護や取締法規としての個人情報保護より、人格的自律の権利としての自己情報コントロール権が意味を持つ

として、人格的自立の権利としての自己情報コントロール権の側面は肯定している(「情報システムにおける脱・自己情報コントロールに向けた試論」http://in-law.jp/archive/taikai/2011/kobetsu3-2-resume.pdf *註番号を削除して引用を行った。)。
 少なくとも、自己情報コントロール権って中身が不明だよね、というのはその通りとしか言いようがない。

*8:ところで、子どもの育ちを支えるしくみを考える委員会「子どもの育ちを支えるしくみを考える委員会最終とりまとめ」(平成25年7月 最終報告書)には、次のような文言も見える(https://www.pref.nagano.lg.jp/kodomo-shien/shienjyourei/shien-jyourei.html )。

大人の介入でよくなることってほとんどない。大人の人たちが思っているより、ひどいことばっか。いじめをしてる子たちって、表面上はいいこちゃんばっか。だまされるなんてバカみたい。もっと人をうたがうことをおぼえたらどうですか。(中3女)

*9:Rebecca Lee の”What Is Digital Self-Harm?”(https://psychcentral.com/lib/what-is-digital-self-harm/ )によると、

According to the Journal of Adolescent Health, teens bully themselves as a way to regulate feelings of hatred and sadness in addition to gaining attention from friends and possibly family. Approximately six percent of students have anonymously posted a mean comment about themselves. Digital self-harm is predominantly done by males.

とのことである。
 デジタル自傷(ネット自傷)は、若者の中でも男性が行うケースが主であるようだ。