「ちゃう」という言い方は、20世紀はじめになって、関西中央部の若者の間でつかわれるようになった。 -井上史雄『日本語ウォッチング』を読む-

 井上史雄『日本語ウォッチング』を読んだ(再読)。

日本語ウォッチング (岩波新書)

日本語ウォッチング (岩波新書)

 

 内容は紹介文の通り、

「見れる」「食べれる」のようなラ抜き,「ちがかった」「うざい」「チョー」といった新表現,鼻濁音なしの発音….日本語が乱れてる-と嘆くのは早計だ.言語学の眼で考察すると,耳新しいことばが生まれる背後の言語体系のメカニズムや日本語変化の大きな流れが見えてくる.長年の調査・探究に裏打ちされた現代日本語の動向観察.

というもの。
 古い本にはなってしまうが、しかし、やはり読んで楽しいのは事実である。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

ら抜き言葉の広がり

ラ抜きことばが記録されたのは、意外に早く、昭和初期である。 (2頁)

 東京には中部地方から入りこんできた可能性が大きい。京都や大阪にも近畿地方の周辺部から入りこんだのだろう。 (引用者中略) まず中部地方そして中国地方に生れ、徐々に周囲に広がったと思われる。 (8頁)
 ら抜き言葉は割と早くに生まれている。*2
 本書では、ら抜き言葉が広がった理由(「合理性」)を説明しているが、詳細は、本書を読んでみてほしい。

「だ」と「や」

 「じゃ」から「や」が生まれたのは江戸時代末期で、一八四〇年代の京阪の若い女性の使用例が今のところ一番古い。 (40頁)

 「にてあり」から「であり」、そこから「である」、最後に「であ」と変遷していく。
 東の方だと、「であ」が「だ」になった。*3
 いっぽう、西の方だと、「であ」は「ぢゃ」から「じゃ」に、そして「や」になったということのようだ。

「うざったい」と多摩

 多摩地区の方言が郊外から都区内の若い人に広がってはいるが、あらたまった場では使いにくいことばらしい。 (88頁)

 青梅市の老人は「濡れた畑に入ったような不快な感じ」と身体的な感覚として説明するが、青梅の若者は漠然と「不快だ、いやな(人)」ととらえる。さらに山の手の若者は「面倒だ、わずらわしい」の意味で使う。具体的なよりどころがだんだんなくなって、一般的な不快感の意味で使われるようになったわけだ。 (90頁)

 今は「うざい」という短縮形まで生んでいる。ただこれも、都区内独自の動きではなく、多摩地区で先行していたようだ。 (92頁)

 「うざったい」の言葉の変遷である。*4
 もとは、青梅あたりの方言であったらしい。

関西弁の歴史性

 ほぼ今世紀はじめに関西中央部の若い人の間に「ちゃう」が登場し、その後関西地方の周辺部にも広がりつつあると考えられる。 (133頁)

 20世紀初頭の関西弁の落語のレコードには、会話で「ちゃう」は使用されていなかったようである。*5

平板ではなく頭高

 一九九〇年代では若者に人気のある音楽グループ「B'z(ビーズ)のアクセントが話題になった。 (180頁)

 本人たちは頭高と思っているが、ファンは平板でいう。*6 *7
 地名や人名の固有名詞も、専門家やよく接する人が先に平板化する傾向がある。
 これは外来語も同様である。

新しい言い方の普及

 新しい言い方は、親や周囲の抵抗の少ない地方でまず普及し、その勢力を背景に東京に入り込むと考えられる。 (202頁)

 たとえば、地方の親の場合、自分の言葉が方言だという意識があって、ことばについて自信がないと、直さないことがある。
 そのため、東京ではなくて地方の方でまず、新しい言い方が普及するというわけである。*8

 

(未完)

*1:もちろん、本書は20年以上の本なので、その後の研究の発展にも注意が必要である。例えば、以下の通りである(沖裕子「井上史雄著, 『経済言語学論考-言語・方言・敬語の値打ち-』, 2011年12月10日発行, 明治書院刊」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009687878 *註を削除するなどして引用を行った。)。

たとえば、「じゃん」の発生地を山梨県としているが、氏の先著『日本語ウォッチング』(1998年、岩波書店)では静岡県で生まれたとされている。新資料の出現に応じた修正であると推測はできるが、先著への言及がないため、読者には両論をつなげつつ、論点の不足を再考する余地がうまれている。

*2:高橋英也は次のように書いている(「可能動詞化の方言上の多様性について:ラ抜き言葉とレ足す言葉の動詞句構造の観点から」https://www.researchgate.net/publication/311736346_kenengdongcihuanofangyanshangnoduoyangxingnitsuiterabakiyanyetorezusuyanyenodongcijugouzaonoguandiankara *註番号を削除して引用した。)。

ラ抜き言葉は、大正~昭和初期にかけて、方言 (東海地方、中部地方、中国・四国地方など) で始まり、100 年近くかけて徐々に全国に広がった。( 渋谷(1993), 鈴木(1994), 井上(1998)など)

まさに、本書(井上著)が引用されている。

*3:岡智之「日本語存在表現の文法化認知言語学と歴史言語学の接点を探る―」(認知歴史言語学第1,2章(出版前原稿版)http://www.u-gakugei.ac.jp/~gangzhi/research/)には次のように書かれている。

断定の助動詞ナリ,デアル,ダの文法化日本語の断定の助動詞,あるいは指定表現といわれるナリ,デアルは,ニアリあるいは,ニテアリという存在表現から文法化したものだと言われている(春日1968,佐伯1954,山口2003)。奈良時代から平安時代にかけて,ニアリがナリに融合,交替していく過程がある。それからニテがニテアリと共起していくのが院政期頃,また同じころニテがデに交替し,デアルが室町期の口語において現れると言う。また,デアルはデアからヂャを経てダに至ると言うのが定説であるが,柳田(1993)では,室町中期の西部方言資料から「ヂャ」とともに「ダ」を多用した資料が見つかったことから,早くに「ダ」が生れ,遅れて「ヂャ」が発生したと推測している。その後,室町時代西部方言ではヂャが主に用いられ,ダも劣勢語として存在した。一方,東部方言では主にダを用いたが,ヂャも劣勢語として存在した。以降,東部方言ではダ,西部方言ではヂャが主に使われるようになる。

*4:著者(井上)は、2008年の『社会方言学論考―新方言の基盤』でも、同様のことを述べている(103頁)。

*5:金水敏は次のように述べている(「大阪弁の起源」https://ironna.jp/article/1603 )。

大阪らしい表現として挙げたいくつかの表現を、文芸作品などをもとにして初出の年代をたどっていくと、元禄ごろから使われていたことば、例えば「なんぼ」「…かいな」「あほ」「ほんま」はむしろ少数である。/18世紀後半には「…だす」「…さかい」「…よって」「おます」が登場、19世紀前半には「…や」「…なはる」「…がな」が出てきて、20世紀になって「…へん」「…はる」「…ねん」「わて」などが姿を現す。/このように大阪弁らしい表現が出そろったのは、明治から大正にかけての「大大阪」の時代であると考えていいだろう。

*6:正しくは頭高発音、と認知するファンも、もちろんいる。

*7:駒村多恵「B'z論争」(https://ameblo.jp/komatae/entry-10166361490.html )には、

「B’zに関する注意事項」。今まで注意事項の紙が回ってきたことがなかったのでそれだけでもびっくりしたんですがその中に「B’zのアクセントは平板ではなく頭高です。」という項目がありました。

とある。

*8: 「うざったい(うざい)」のような、方言由来の「新方言」がある一方で、「共通語の影響のもとで生まれた新しい方言の形も広まって」いる(「方言コスプレ、新方言、ネオ方言… 平成になって復権した理由とは?」https://withnews.jp/article/f0190409001qq000000000000000W05h10101qq000018925A )。

真田信治・大阪大名誉教授が提唱した「ネオ方言」です。/典型例として、「来ない」を意味する関西中部方言の「こーへん」があります。これは、共通語「こない」の影響を受けて、関西方言「けーへん/きーへん(きーひん、とも)」が変化した形だとされます。

なお、真田は、「井上史雄著, 『社会方言学論考-新方言の基盤-』」の書評も行っている(https://ci.nii.ac.jp/naid/110007593057 )。