「やさしい日本語」とはいうものの、使いこなすのは全然たやすくないわけで。 -庵功雄『やさしい日本語』を読む-

 庵功雄『やさしい日本語』を読んだ。

やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

やさしい日本語――多文化共生社会へ (岩波新書)

  • 作者:庵 功雄
  • 発売日: 2016/08/20
  • メディア: 新書
 

  内容は紹介文の通り、

人口減少を背景に、移民受け入れの議論が盛んになっている。受け入れるとしたときに解決しなければならないのがことばの問題。地域社会で共通言語になりうるのは英語でも普通の日本語でもなく〈やさしい日本語〉だけ。移民とその子どもにとどまらず、障害をもつ人、日本語を母語とする人にとって〈やさしい日本語〉がもつ意義とは

という内容。
 「やさしい日本語」とは何かを知るには、まずはこの一冊、と言ってよいくらいの内容。

 以下、特に面白かったところだけ。

英語じゃ力不足。

 英語を理解できるのは地球上の人口の半分にも満たない (31頁)

 定住外国人にとって、英語は、得意とする言語なわけではない。
 国立国語研究所の調査では、定住外国人にとっては、英語より日本語の方がわかる言語に該当するようである。
 これが、定住外国人と、旅行者や留学生などの短期滞在者との大きな違いである。
 そもそも英語を理解できるのは地球上の全人口の半分にも満たない。*1

 また、日本語母語話者にとっても、英語は必ずしも扱いやすい言語ではない。
 例として、著者は「アイドリングストップ」の例を挙げている。*2

ことばの壁

 漢字は、外国人以外の言語的マイノリティにとっても障壁になっています。 (122頁)

 また、ディスクレシアの人にとっては、ルビが元の漢字と一体化してしまい、よけいに文字認識が困難になるという例がある。*3

「多文化共生社会」の条件

留学生は、外国語が堪能という目で見てもらえるのに、私たち定住者は”日本語の能力に不安はないか?”といった、ネガティブな印象で見られています (124頁)

 朝日新聞での宮城さんという人の言葉である。*4
 外国にルーツを持つ子供たちが、二つの文化を知っている国際人として評価される社会を作ることが「多文化共生社会」の重要な条件となる。
 そして、「やさしい日本語」も、その社会を構築するための最重要課題である。*5

「やさしい日本語」は、言語能力を鍛える

 <やさしい日本語>は、日本語母語話者によって「日本語表現の鏡」としての役割を果たす (186頁)

 外国人に伝わるように自分の日本語を調整するという行為。
 それは、「自分の言いたいことを相手に聞いてもらい説得する」という母語話者にとって最も重要な言語能力の格好の訓練の場になるのだと著者はいう。*6
 実際、「やさしい日本語」で書こうとすると、修辞的なごまかしがきかなくなり、また相手本位をこころがけた表現にする必要があるので、言葉の力が鍛えられるのは、事実である。
 「コミュニケーション能力」というものを鍛えるには、確かに良い。

 

(未完)

*1:八田洋子は「ディヴィド・グラッドル( David Graddol )によれば、現在世界で英語を母国語としているのは約3億7500万人で、第二言語として使っている人がほぼ同数おり」、と述べている(「世界における英語の位置」https://ci.nii.ac.jp/naid/110000505534 )。参照されているのは、グラッドル『英語の未来』(邦訳)である。
 ところで話は変わるが、「やさしい日本語」があるなら、「やさしい英語」もあるべきではないか、と考える向きもあろう。だが周知のように、古くはオグデンがベーシック・イングリッシュを提唱しているし、森有礼は「簡易英語」という、動詞変化等を規則正しくしたシンプルな英語を、既に提唱している。

 なお小林敏宏は、「森の「日本の言語」改革構想の源になっていたものが,1860年代半葉の英国で「国語」改革を巡って繰り広げられていた Moon-Alford 論争であったという(仮説実証的)結論を導き出」している(「森有禮の「簡易英語採用論」言説(1872-73)に与えた1860年代英国における「国語(英語)」論争の影響について」https://cir.nii.ac.jp/ja/crid/1050282677580820224 。

 以上、この註について、2021/12/6に追記を行った。)。

*2:ブルース・L・バートンは、次のように書いている「和製英語http://www.brucebatten.com/ja/tv.html )。

アイドリングという言葉自体が、エンジンを空転するとか、つけっぱなしにするという意味なので、アイドリング・ストップとはきっとエンジンを付けたまま停車するという意味だろうと私は思いました。 (引用者中略) なぜ勘違いをしたかというと、英語で「何々をやめよう」という場合には「ストップ」という言葉を最後ではなく最初に付けないと意味が通じないからです。

*3:「サイエンス・アクセシビリティ・ネット」によると、

一般にディスレクシアの人達は漢字の読みに困難がある人達が多く、そのため、全ての漢字にルビを振る支援がよく行われています。しかし、上記のように漢字とルビが1文字になって見える人にとっては、ルビが意味をなさなくなってしまいます。そのためベースの文字とルビの色を変えて欲しいというニーズもあります。

とのことである(以下、https://saccessnet.com/dyslexia/ )。なかなか難しい。

*4:この記事については、ブログ・「発声練習」が引用して紹介している。以下、http://next49.hatenadiary.jp/entry/20150923/p1 

*5:やさしい日本語は、外国人ではなく、日本語母語話者の子供にも有益である。佐藤和之は次のように述べている(「在住外国人300万人・訪日外国人4000万人時代の
安全を支える「やさしい日本語」」https://www.isad.or.jp/information_provision/no137/ )。

「やさしい日本語」は外国人だけでなく、日本人の子どもにとってもわかりやすい表現になっていた。的確な判断を求められる災害下で、「やさしい日本語」は外国人にも日本人にも速やかに伝わる表現であり、誘導する日本人にとっても、誤訳の心配がない安心して使える表現である。

大切なことなので、あえて引用した次第である。
 なお、佐藤の研究と本書著者・庵の研究との問題意識の違い等については、後者の手になる、「「やさしい日本語」研究の「これまで」と「これから」」(https://ci.nii.ac.jp/naid/120005830543 )等を参照。

*6: ウェブサイト・「伝えるウェブ」にて、「やさしい日本語」への翻訳を試すことができる(URL:https://tsutaeru.cloud/translation/try.html )。
 「やさしい日本語」に苦手意識がある人は、まずこのウェブサイトを使って見るといいかもしれない。
 ただ、これをつかっても、まだ「やさしい日本語」にするには、まだまだ調整が必要になりそうである。