かつて、学校が生徒に、電話のかけ方から貯金の仕方まで教えていた時代があった。  -広田照幸『教育論議の作法』を読んで-

 広田照幸『教育論議の作法』を読んだ。
 面白いし、これまでの広田先生の著作のおさらいにもなる。

 特に興味深かったところだけ、以下に取り上げる。



 1947年に教育基本法案が国会で審議されていた時、貴族院議員の澤田牛麿が質問している(38頁)。
 この法案はには道徳が書かれているが、「法案ぢゃなくて、説法ではないか」と批判したのである。

 法律と道徳の区分はこの時点で、すでに理解されていたのである。

 ああ、時代は後退している。



 吉川徹『学歴分断社会』を参照しながら、著者はいう。
 誰もが同じ学歴を取得するのは無理なのだから、労働市場に目を向け、安定した仕事が高卒に割り当てられるような制度的調整が必要ではないか、と(59頁)。
 (むろん、大学の学費は、親の収入ではなく、公費によって賄うべきだろうとは思う。)

 学歴格差を埋めるのはその本質において困難なのだから、そのあとの雇用段階での格差を縮めようというのは、それ自体は真っ当な指摘だといえる。(大学いけなかったら人生詰みなんていけないだろう)
 日本の社会がその真っ当なことを、やる気があるかどうかは微妙だけど。



 国立大学の(独立行政)法人化について(67頁)。
 
 次のような結果を生んだ。 

 絶えず改革をし続けろ、と命ぜられる。
 結果、会議が増える。
 書類提出が増える。
 予算確保や利害調整で、学内政治が横行する。
 人間関係がギスギスする。
 教育の準備や研究のための地道な作業に割り当てる時間が減る。

 若干誇張がなくもないけど、だいたいあってる。

 一体だれだ、法人化を唱えたやつは。



 日本の教員の仕事はチームでの労働である(72、73頁)。

 まず、分業と協力がある。
 一見当たり前だが、これが日本の教員の仕事の特徴である。

 そこで、教員間で統一した方針で指導に当たり、情報を共有する。
 教員の間でバラバラだと、親や子の信頼を失うからである。
 問題ある児童や生徒の話は、情報共有され、同僚の協力で解決に取り組まれている。
 
 そして、日本の教員は同僚や先輩からアドバイスを受けながら自己改善を図る。
 こうした教員同士の授業研究や自発的な交流は、諸外国から高く評価されている。
 アメリカでも、近年は日本から学んで授業研究の導入が進められている。
 (実例としてこの記事などを参照。)

 メンバーシップ型などと呼ばれる雇用・仕事形態の日本では、あまり驚かれないことかもしれないが、こういうのって、海外とはずいぶん違う点なのである。



 PDCAサイクルを教育現場に持っていった場合の問題点とはなにか(115ー117頁)。
 注意すべきところは何か。

 例えば、PLANを上から降ってくるような動きがないか。
 現場に関わりのないところから指示が行っていないか。

 CHECKもまた、現場や当事者間ではなく行政がする仕組みではないか。
 こういう場合、ますます教育委員会から指示される通りに動こうという思考停止になる。

 ACTも、評価結果を予算配分や人事に反映させていく方向ではないか。
 この場合、現場の当事者が自分たちの職場を良くしていくためではなく、外部の教育行政が、個々の学校や教職員をコントロールするために、PDCAサイクルが利用されてしまう。

 PDCAサイクルは、現場の創意工夫と自由の確保ではなく、より徹底した統制をもたらす道具として、使われがちである。
 そして特に、教育の現場では、後者として使用されるケースが多い。



 環境問題について米国で書かれた子供向けの本(翻訳書)を読んでいたら、環境にやさしい商品を使おう、とかのトピックと一緒に、みんなで抗議のデモをしてみよう、とか、環境を破壊する会社に抗議の手紙を出そう、等のトピックが並んでいたらしい(118、119頁)。

 デモがテロ呼ばわりされる国とはえらい違いであるw



 今の社会はお互いを助けあう気持ちが希薄化している、と保守政治家がいうのなら、教員はもっと教職員組合に入れ、というべきである(132頁)。
 非組合員は組合員の「頑張り」(使側との交渉の成果)をフリーライドしているのだから、この考えは至って当然である。

 政府はむしろ組合加盟を奨励すべきだろう。
 「自助」に次いで「共助」などと抜かしているのだから、組合加盟くらい奨励して当然である。
 (家族や会社はいいのに、組合はダメ、というのは、とんだご都合主義である) 



 戦前は、電話のかけ方を中学校で教わったこともあったという(四国の農村の事例)。
 中学校を卒業すると、多くは就職するので、その対策だろう、と考えられる。
 当時、農村地域では自宅に電話を持っている家庭は、ごく稀だった。
 周囲にいる大人たちも、電話の応対の作法は良く知らなかったはずである。
 農村地域で生きてきた大人たちにとって、会社や工場での仕事の仕方や対人作法は、異文化だっただろうと考えられる。
 かつての時代、学校はローカルな狭い地域や家庭から抜け出して、子供たちが広い社会で生きていくために必要な知識や生活のルールを学ぶ場だったのである(144−6頁)。

 昔は親がしっかり責任を持って子供のしつけをした、と思い込んでいる人には意外だろう。

 さらに、1950年代に静岡で行われた調査によると、服装や礼儀作法、食事の作法、衛生習慣、予習復習のしつけ、貯金等、多方面にわたって、学校が行っていた。
 最近の親は子供のしつけを学校任せにする、というのは間違った見方なのである。

 さすが、広田先生、『日本人のしつけは衰退したか』を書いただけのことはある。



 ちなみに、非行・犯罪統計をきちんと分析してみると、問題を起こす子供たちの大半は、大人になる頃には、ちゃんとまともになっている(174頁)。
 これは広田自身の『教育言説の歴史社会学』に依っている。



(未完)