雇用の常識、探ってTRAY・戦後日本の雇用編 -海老原&荻野『日本人はどのように仕事をしてきたか』雑感-

 海老原嗣生・荻野進介『名著で読み解く 日本人はどのように仕事をしてきたか』を読む。

 戦後に出版された(日本の)雇用系「名著」の中身と、その本の歴史的な存在意義を解説している。
 だが、それだけではなくて、その「名著」の著者たちの「コメント」(反論?)も掲載している。
 とても勉強になるだけでなく、フェアな書物でもある、といっていいだろう。
 著者側と、読者側のスタンスや考え方の違いを踏まえて読むのが、この本を楽しむコツである。

 この著者の一人については既に、ここの記事で書いたことがある。

 興味のある所だけ。



 戦前では旧制大学を卒業して職員として入社した新入社員の初任給は、50代の熟練工員の三倍以上だった(21頁)。
 それだけではない。
 職員は月給制に対して、工員は日給制。
 各々で、使えるトイレや売店も違い、売店で売られている品目も差がついていた。
 片や内地米、片や植民地の外地米である。

 まさに身分制度
 ここらへんを踏まえないと、日本の当時のブルーカラーの怒りも伝わってこないだろう。



 欧米の工員、ブルーカラーの場合、ギルドに端を発する組合に参加する権利があり、横のつながりがあった。
 業務独占権が組合には半ば認められていたし、新規参入を阻むことも出来た。
 また、会社を首になっても、組合を通じて、他の企業に簡単に転職できるメリットなどもあった。
 ところが、日本には、こうした仕組みはなかった(22頁)。
 ・・・正確には、当時の政府に潰された、という感じだと思うが(戦前にも「友愛会」ってのがあっ(ry。

 こうした歴史的背景が、日本で企業別組合が強くなっていく遠因となる。

 ところで、欧米以外の場合、ギルドってあったんでしょうかね?
 知っている人は教えてください(こなみかん。



 アベグレンの『The Japanese Factory』(邦題:『日本の経営』)は、そのまま英訳すると「日本の工場」というタイトルであった。
 この本は、同時代1950年代の日本の工場、それも、数千人規模の超大手企業に力点が置かれていた。
 当時の総労働人口の多くて5%程度を対象にしていた(27頁)。
 たった5%である。

 アベグレンのこの書物は、むしろ、その後の日本の雇用形態・経営形態の「予言」的な、あるいは「自己成就」的な書物だったのである。

 (「アベグレンって誰?」ってひとのために、念の為説明しておくと、彼は、戦後日本の企業が発展してるのは、「終身雇用」、「年功序列」、「企業内組合」の三つのおかげじゃね?、と、いち早く唱えた人である。)



 楠田丘式の「職能資格制度」に対しては、バブル崩壊後、一時期評価が下がったことがあった。
 給与の下方硬直性のために、働かない中高年を生み出したのではないか、という批判である。

 だが、楠田はすでに、1974年の自著において、他の部署に異動して2年経っても能力を発揮できないなら等級を洗い替えすべきだし、職能自体も、2年ごとにこまめに見直すよう書いている(80頁)。

 1970年代にすでに書かいたのなら、弁明としては十分だろう。

 念の為書いておくと、楠田は、日本の「賃金システム研究の第一人者」であり、「職能資格制度」の生みの親でもある人物。
 「職能資格制度」は、今現在の職務や役職とは独立に、従業員が持つ(と会社が認めた)能力に応じて、「資格」(等級)を付与する制度である。
 この制度によって、年功序列と社内配置転換を基礎とする日本型人事制度は可能となる。
 メンバーシップ型の雇用制度においては社内配置転換が不可欠であり、たとえば別の職務に移ったときに大きく給与・待遇などが変動(減棒)しては配置転換も上手くいかない。
 そこで、この制度がある。



 小池和男の研究によると、日本の企業の大小での給与格差は、欧米と著しく大きくはない(104頁)。

 まあ、こういうのは、公的な社会保障とか込みで考えないといけないわけだが。
 はてさて。



 欧米の場合、勤続年数が短い層も厚いが、勤続年数10年、20年という長期雇用層も厚い 。
 理由の一つはセニョリティが確立され、勤続年数が長いほど、首にならないためである(105頁)。

 しかも、小池『アメリカのホワイトカラー』によると、米国でも、課長クラスでは、圧倒的多数が内部昇進である(106頁)。

 意外にも、欧米においても、勤続と昇進は、こんな感じである。
 セニョリティについては、熊沢誠労働組合運動とはなにか』でも、けっこう重視して書かれてある。
 いい本なので今回の本とあわせてご一読願いたい。

 ちなみに、OECDの統計でも、40代男性の転職率は、欧州各国で5〜10%。
 50代男性の勤続年数は平均が20年を超える国が多々ある(301頁)。
 思いのほか、他の国も、結構長く勤続・定着をしていたりするのである。



 島田晴雄は、過剰となったホワイトカラーの管理職層をリストラしろという当時の風潮に異議を唱えている(177頁)。
 『日本の雇用』が出版された1994年の話である。

 要は、働き盛りのときには貢献度より低い賃金を支払われていたのに、中高年になって解雇するのは、事実上の契約違反だ、というのである。
 それに企業にとっても、彼らは貴重な人的資本であり、その喪失は中長期的に損失になるので、むしろ彼らの能力の活用や再開発に力を注ぐべきだ、という。

 だが現実には、島田の意見は容れられず、企業は年功カーブを修正し、40代以降の定昇の廃止をして対応した。
 つまり、企業側は、「契約」を、後出しで修正したのである。

 島田先生の当時の意見が真っ当過ぎて吹いたw



 1980年以前には、米国でも賃金は成果でなく、現在のポジションに対して支払われる(職務評価による序列主義)傾向が強かった。
 その後、米国企業は、20〜40あった職務等級を廃止し、4〜6段階の等級を設定する制度をとった。コンピテンシー(競争力の源泉となる実力)の考え方である(209頁)。

 この「コンピテンシー」の功罪については、そのうち考える事にしよう。



 非正規社員1700万人超という言説に対し、著者は反論する。
 うち主婦が900万人、主婦除く60歳以上が250万人、学生が150万人である、と(241頁)。

 まあ、これは、著者(ここでは海老原氏)がいつも言っていることなのだが。

 問題になるのは、上記のどれにも当てはまらない「世帯主なのに非正規」というシングルマザーを中心とした労働者たちである。
 そういった人々は、「日本型雇用社会」のなかで、事実上、置き去りにされてきた。
 やがて、「大卒なのに非正規」という新卒が世に出回り始め、それが広く知られるようになったとき、「非正規型雇用」の存在を危機とする世論は、一気に沸騰することとなった。
 ここらへんも、本書に記載がある。

 (それでもなお、正規・非正規に関わらず、長時間労働があったりだとか、会社の「外」の社会保障の脆弱さ、ゆえにパワハラ等に逆らいにくい状況であるだとか、問題はぎょうさんあるわけだが。)

(未完)