アジア各地の民族や音楽との比較などの視点から、さまざまな楽器の歴史までを説き明かす、日本音楽(文化)論 -小島美子『音楽からみた日本人』を読む-

 小島美子『音楽からみた日本人』を再読。

音楽からみた日本人 (NHKライブラリー)

音楽からみた日本人 (NHKライブラリー)

  • 作者:小島 美子
  • 発売日: 1998/12/10
  • メディア: 単行本
 

 内容は紹介文の通り、

歌の好きな日本人は、古来より生活の中でそれを愛し育んできた。民族の文化や芸術のもっとも先鋭的な形ともいえる音楽の、日本文化の基層を探る。アジア各地の民族や音楽との比較、リズム感やメロディの特質、歌垣のルーツ、歌と語り、ハーモニーの成り立ちなどの視点からさまざまな楽器の歴史までを説き明かし、音楽を通して語る秀逸な日本文化論。

というもの。

 日本国内での地域差やアジア各国の音楽とのつながりに多く着目している良書。
 個人的には、「第12章 都市の庶民の音楽生活」がイチオシである。*1

 以下、特に面白かったところだけ。

演歌は自由民権運動とは直接的な関係ない

この演歌は自由民権運動とは直接的な関係はなく (58頁)

 壮士演歌は、従来自由民権運動の壮士たちが演説の代わりに歌いだしたとする説が一般的だった。
 だが、西澤爽(『日本近代歌謡史』)の研究によると、実際は自由民権運動と直接的関係はなく、江戸期以来の瓦版を売り歩いた読売唄の系譜を引いたものだという。*2

イントネーションにとらわれない民謡

 実際に日本の民謡などは、ほとんどことばには縛られていない (119頁)

 山田耕作は、言葉のイントネーションに従って、作曲をしていた。*3
 しかしそういったケースは、普通の民謡にはあまりない。
 民謡ではメロディが決まっていて、それにその時の気持ちを即興的に歌詞を作って歌う替え歌のような形が本来である。
 そして、どうしてもあることばを強調したいときは、その言葉のアクセントの通りにメロディを変えるのである。

笛とボタン

 まん中近くに吹き口のある横笛もある (149頁)

 中国南部の少数民族が使う「吐良」という細い笛は、真ん中近くに吹き口があるが指孔はない。*4
 両端が開いていて、右端に手のひらをあて、左は外から握るように以って親指を孔に当ててそれを微妙にずらして、2オクターブ以上の音階を吹き分ける。
 指孔は吹きやすくするために不器用な人間が考えた工夫であり、近代のフルートのように指孔をボタンで抑えるようにしたのは、さらに不器用な人間が考えた工夫だ、と著者はいう。
 ボタンは音程を安定させる代わりに、指を少し斜めにすることで出せるデリケートな表現を失わせたのだ、とも。

 

(未完)

*1:ただし、本稿では特に扱わない。

*2:古茂田信男は、「演歌」は民衆を集めてビラ本を売った「江戸の瓦版本読売と本質的には変らない」と、西沢爽の説を参照している(古茂田信男『新版 日本流行歌史』(社会思想社、1994年)、32頁)。

*3:岡元眞理子ほか「北の自然が育んだ歌曲における一考察 : 第1回演奏会を通して」(https://ci.nii.ac.jp/naid/110010032241 )には次のようにある(*以下、都合により、一部記述を削除して引用を行っている。)。

山田耕筰の歌曲には4分の4拍子における1拍分に付点8分音符と16分音符の組み合わせによる“こぶし”のような効果を狙う曲が多く存在する。さらに山田耕筰は早くから西洋音楽作曲法に日本語を付ける困難さに気付き,ドイツ留学の帰途ロシアに立ち寄った時,ダルゴムィジスキーの『意識的にロシア語のイントネーションを音楽化する方法を研究し,言葉の表現するものをそのまま音で表現する』という主張に触発され,帰国後の昭和24年12月3日には「日本歌曲とその基本的な演唱・演奏法について」という論文を発表し,日本歌曲について細かく綴っている。この論文の影響は今日まで日本歌曲に大きく影響を与えている。

上記のような経緯についても、既に本書(小島著)では言及されている。

*4:ブログ・『私の笛簫日記』が、吐良について映像をつけて紹介している(https://ameblo.jp/yf4y-uemr/entry-12352970337.html )。景頗族、、ジンポー族やチンポー族などと呼ばれる中国少数民族の楽器である。ミャンマーのカチン族とは同族だという。