鈴木大介『家のない少女たち』(2008年)を読んだ。
本書は、児童買春が法で禁じられている日本において、その違法行為をすることで生き延びている者たちの実態を描いたルポルタージュである。
今回は、その具体例に触れた本文に対する感想は書かない。
ここでは、本書のあとがきに当たる個所で、著者が雑誌掲載記事では書けなかった、児童福祉に対する「政策」(と思い)について書いているので、簡単に紹介する。
児童自立支援施設の場合、児童養護施設から送られてくる子供が半数以上である。
(児童養護施設において、触法行為がかさむと児童自立支援施設へ送致されるしくみになっている。)
その多くが、ADHD、LD、場合によってはアスペルガー、軽い知的障害とみられる場合が少なくない(249頁)。
朝起きると歯磨き粉のチューブ1本食べてしまったり、鉛筆1本を食べて死のうとする者もあるという。
児童福祉の課題は、常に他の問題圏と絡み合って存在している。(ホームレス問題とかも、そうなのだが。)
児童自立支援施設の場合、施設職員も公務員なので、福祉の文字だけが同じでも、畑違いの現場から飛ばされてくる(251頁)。
そして公務員だから、一定期間勤めたら異動となる。
日本の公務員制度から言えば、ふつうにみられる光景である。
ところが、子供からすれば、職員は親であり、その親が、3年か4年でさよならしてしまう。
ここに、制度的な軋みがある。
(もちろん、交代することによるメリットが、こうした場合にもあるにせよ。(相手との相性の問題もある。))
児童福祉の充実を著者は主張する(246頁)。
普通のことに思われるかもしれないが、その普通のことができていない。
まずは母子家庭の母親に対する就業支援等の公的扶助があれば、家出に関する問題の幾分かは解決する。
児童福祉の充実こそ急務である、と著者はいう。
(そのためには、予算も人員も不足している、という前提がある。)
中卒で就業するなら、実態に即した就業支援を行うべきである。
児童福祉に対する職員の増強、専門性の確保も。
里親制度の充実も必要になってくる(252頁)。
就労支援まで提唱しているのは、著者の本気度をうかがわせる。
だが、自助と共助がうたわれて、公助が退く国において、このような対策が今後、明確に打ち出されるのか、そう期待できるものはいない(と思う)。
(未完)