「小津さんと正反対ですよ。演技指導というほどのことを、成瀬さんがしたというのはほとんど記憶にないくらいですね。」 -『成瀬巳喜男演出術』を読む-

 村川英・編『成瀬巳喜男演出術』を読んだ。

 内容は、紹介文の通り、

日本映画の古き良き時代、小津と並んで日本を代表する名監督と呼ばれた成瀬巳喜男高峰秀子杉村春子小林桂樹ら成瀬監督ゆかりの人々が、彼の素顔を語る。

というもの。
 成瀬ファン、日本映画ファンは是非読んでおきたい一冊である。
 
 以下、特に面白かったところだけ。*1

東宝と松竹

 結局、東宝はプロデューサー・システムだから全員、サラリーマン的なんです。特別扱いはされませんし、それにセットへ入って仕事をしていること以外のお付き合いが一切ないんです。松竹ですと、いろいろとコミュニケーションがあったんですね。 (引用者略) ですから、成瀬さんにしても、現場以外での普段の成瀬さんというのはわかりませんでした。 (64頁) 

 岡田茉莉子の証言である。
 映画会社ごとに社風が異なったのである。*2

小津と成瀬

 小津(安二郎)さんの場合は、現場はお通夜みたいですからね。私ぐらいですよ、待っているあいだ、大きな声を出してしゃべっているのは。 (引用者略) 小津さんの有名な話で、何回やっても、「もう一度」って言う。だから、俳優のほうもOKなんて言われると思ってない。カットって言って、「もう一度」ってくるから覚悟してますよ。 (引用者略) 笠智衆なんていうのは、もう三十回でも五十回でもやれる人。あれは自分にとっては楽だって言って、何度でもやって……。 (引用者略) (引用者注:成瀬の場合は)まずない。それはもう、特徴の一つですね。 (引用者略) 小津さんと正反対ですよ。演技指導というほどのことを、成瀬さんがしたというのはほとんど記憶にないくらいですね。 (104、105頁)

 山村聡の証言である。
 小津は何度も繰り返し演出をさせることで知られていた。*3

モダニストとしての小津演出

 小津先生の場合は、ごく自然に見えるんですけど、違うんですよ。例えば、扇子を三回あおいで、それを置いてから視線を向こうに向けて、「母さん」と言う、それだけの芝居があるんです。 (引用者略) 忘れて自然にやると、NGが出るんですよ。どうしてかというと「今、扇子を四回、あおいだ」と(笑)。そういうことは成瀬先生は言わない。けれども、小津さんの場合、言われた通りやらないと、小津さんのつながりに合わない。だから、演技をしてても固くて変な感じだな、と思うんですけど、それが全部、つながると自然になっているんです。 (124頁)

 小林桂樹の証言である。
 小津は細かく演出にこだわった。
 どこか、モダニスト的である。
 一方、成瀬の場合、そうした細かいことには口を出さなかったのである。*4*5

 

(未完)

*1:なぜか小津安二郎への言及が多くなってしまった。

*2:前田耕作及び細井浩一は次のように書いている(「日本映画におけるプロデューサーシステムの歴史的変遷に関する一考察 : 映画プロデューサーの再定義に向けての試論」https://ci.nii.ac.jp/naid/40019492009 )。

ハリウッド流のプロデューサーシステムを理想とした森岩雄が経営する東宝も含めて、これらの会社では「撮影所社員型」プロデューサーが活躍していた。東宝では藤本真澄田中友幸金子正且らが、日活では水の江滝子や大塚和らが、東映では岡田茂俊藤浩滋らである。

なお、当該論文では、松竹の城戸四郎は、「タイクーン型」プロデューサーに分類されている。

*3:伊藤弘了は次のように書いている(「小津安二郎侯孝賢―その映画的感性の近しさをめぐる覚書」http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN18/essay-ito-2014.html *註番号を抜いて引用している。)。

『早春』に主演した池部良は後年のエッセイで「台詞は一言、一句、テニヲハも変えちゃだめだ」と指導されたことを書き記している。『秋刀魚の味』でヒロインを演じた岩下志麻は、毎回50~60回のテストを行ったことや、終盤のあるシーンに至っては100回以上ものテストを行ったことを回想している。戦前のサイレント期から戦後のすべての作品を含む、ほとんどの小津映画に出演している笠智衆は小津の演出の細やかさについて具体的な思い出を語っている。笠によれば、台詞の上げ下げや間合いから、全ての台詞の音に至るまであらかじめすべて決められていたということである

*4:岡田茉莉子は別の書籍でも、「撮影の直前に、現場で『だいたいこんな気持ちかな』といわれるだけ」だったとし、成瀬の「コンテは見たことがありません」と語っている(蓮實重彦山根貞男編『成瀬巳喜男の世界へ』(筑摩書房、2005年)、202頁。)。

*5:ちなみに、成瀬は頭の中に映像ができており、スクリプターよりもカットを正確に記憶していたという(125頁)。小津のことばかり書いているので、一応成瀬のことも書いておきたい。