有坂隆道『山片蟠桃と大阪の洋学』を読んだ。
内容は、紹介文の通り、
「独創」にこそ価値があるとすれば、山片蟠桃ら大阪の町人学者たちは時代をはるかに抜きん出ていた。鎖国下にあって営々として積み上げられた西洋文明吸収の努力と日本人の高い知性が、維新以後の急激な西洋化を可能にした。
というもの。
著者の死後に出された論考集である。
論考集とはいえ、基本的に平易なものを多く集めているため、この分野になれていない人にもお勧めできる内容。
以下、特に面白かったところだけ。
伊能忠敬の地図における投影法の問題
結局、とうとう伊能忠敬は、死ぬまで修正せずじまいでした (78頁)
著者によると、伊能忠敬の地図作りにおいて、唯一の欠点は投影法の問題であった。
球体の表面を測量したものを平面の地図に投影する場合、その分の誤差がでる。
そこで、その延びた分を修正する必要がある。
高橋至時はそれに気づいており、それに対応した計算法も考えていた。
高橋はその修正を伊能忠敬に命じたが、測量結果を毎晩整理するたびに投影を修正するのが面倒だったのでやらなかったと著者はいう。*1 *2
さて実態はいかに。
西洋よりも早かった、腎臓のろ過機能の実験的検証
腎臓はろ過機能を持ったものであることを実験的に確かめている (81頁)
この本は、戦後になって大きく取り上げられた。
というのも、素狄は当該書掲載の実験において、動物の腎臓の機能を確かめているのである。
腎臓の入口のところから墨汁を注入し、それを絞ると、無色透明の水が出てくる。
こうした腎臓の機能がヨーロッパで明らかになるのは、素狄の発見から40年ほど後である。*3
コロンブスが望遠鏡を持っていたはずがない
実は、コロンブスの時代には望遠鏡など存在していなかった (130頁)
望遠鏡(*オランダ式望遠鏡。凸レンズと凹レンズを組み合わせたもので、基本的に地上用。)は、1608年秋ごろに、眼鏡職人のハンス・リッペルスハイが発明製作したとされる。*4
一方、1615年ごろには、ケプラー式望遠鏡(*凸レンズ二枚を組み合わせたもの。視野を広くとることができ、基本、天体観測用。)がドイツのクリストフ・シャイナーによって完成されたという。
コロンブスの「新大陸発見」は1492年なので、彼が望遠鏡を持っていたわけはないのである。*5
(未完)
*1:この記述についてはおそらく、戦前の大谷亮吉の説(大谷編著『伊能忠敬』(1917年、岩波書店)、492頁)が、参照されているものと思われる。この説に対しては、保柳睦美が反論しており、至時も計算法を具体的にどう改めるべきか具体的に考えていたわけではなく、一種の「円錐図法的経緯線描写」を理論上だけから考えていたにすぎないだろう、と述べている(渋川景佑・撰「伊能翁言行録」(保柳睦美『伊能忠敬の科学的業績 日本地図作製の近代化への道』(古今書院,、1974年))の保柳による註6より。当該書308頁。また、同23頁をも参照せよ。)。
*2: 具体的には、保柳睦美は次のようなことを書いている(保柳「伊能図の意義と特色」https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282679205466240 )。
(引用者前略) これに続いて至時が考えた一種の円錐図法の提案を行なつているものである。この手紙は,文化元年の本邦東半部図ができる前,すなわち享和2年上呈の本邦東海岸地方図ができた当時のことであり,このときはまだ経度の誤差のことなどは考えられていなかつたものである。したがってこれは,全く理論から出たものである。この方法によれば,地図上の経度が正確になると考えたわけではなく,この図法では各経線が直線となり,方位の点では,日本全図としてどの地点でも不自然さが少なくなることを,理論から割り出したものである。しかしこの図法によれば,各緯度における東西距離が実長の割合ではなくなるので,この修正の計算も,当時としては大変な仕事であつた。至時も理論だけからではなく,忠敬の材料を具体的に考慮した場合には,むしろボンヌ図法式のものを考案した方が実際的であつたわけである。これによれば各緯線も曲線となり,各経線との関係も日本の範囲では,かなりその希望に近いものになるからである。
以上、念のため引用しておく。
*3:吉澤信夫ほか「医科歯科一元二元論の歴史的検証と現代的意義 (1)前史―「医は賤業」からの脱皮と新時代への模索」(https://cir.nii.ac.jp/crid/1050845762642349056 )は、次のように書いている。
1805(文化2)年,素狄は動物の腎動脈に墨汁を注入して動脈を閉じ,腎臓を圧迫すると,尿管から澄んだ水が出てくることを実験して,腎臓には尿を瀘過する機能があることを発見し,その結果を「和蘭医話」と題する書物にまとめて出版している。1842(天保13)年,イギリスの外科医 W.ボーマンの発見した瀘過説より38年も以前のことである
*4:望遠鏡の発明が1608年ごろに行われたことは、当然、明治の日本人も知っていたことで、実際、水島久太郎編『近世物理学 下巻』(有斐閣ほか、1894年)の「第五編 光学」の扉には、1608年に「リッペルスハイム氏」らが望遠鏡の発明の名誉を争った、との文言が見える。
*5:セントクリストファー・ネイビス(セントキッツ・ネイビス)は、コロンブスが望遠鏡を持っている姿を描いた切手を、発行したことで有名である。セントクリストファー島とネイビス島のうち前者は、(クリストファー・)コロンブスが自身の名の由来でもある聖クリストフォルスから命名したものという。セントクリストファー・ネイビス発行の切手は、ブログ・「Big Blue 1840-1940」の記事で、見ることが出来る(http://bigblue1840-1940.blogspot.com/2015/07/ClassicStampsofSt.KittsNevis.html )。
