「根性」とロマン主義音楽との意外な関係が分かる本 -岡田暁生『ピアニストになりたい』を読む-

 岡田暁生『ピアニストになりたい』を読んだ。

 内容は紹介文の通り、

超俗性を重んじたロマン主義時代の背後にあった驚くべき精神性。ピアノ教育の起源とその過程での「芸術」の変質を圧倒的筆力で描く。

というもの。

 根性とロマン主義音楽との意外な関係が分かる。

 以下、特に面白かったところだけ。

ベッド付きのピアノはいかが

 アメリカでは簡易ベッドつきのピアノなどと いうものも考案されていたようで (135頁)

 グランドピアノを置く余裕のない家庭にまで、ピアノ学習の習慣が広がっていった。
 簡易ベッドつきのピアノは、アメリカで1866年に特許がとられた。*1
 ピアノが簡易ベッド及び収納棚とセットになっているという。

薬指を「解放」するための手術

 この医者は、思い切って薬指と中指および小指をつないでいる腱を手術で切ってしまい、それによって薬指を「解放」しようというのである (142頁)

 1898年のピアノ雑誌『エチュード』に載った、「薬指の解放」と題された記事に、ウィリアム・S・フォーブスという外科医が薬指に対してとある手術を施した、とある。

 薬指は、中指および小指と、腱でつながっているために、独立して高く持ち上げることが出来ない。

 指を均質化してピアノを演奏するには不都合であった。

 そこで、こうした腱の切断手術が行われた。

 マルティン・ゲルリッヒによれば、リチャード・ツヴェッカーという人物が1882年から89年までの間に、先のフォーブス博士と協力して、サンフランシスコだけで200人に薬指の腱の切断手術を施したという。*2 *3

ロマン主義と、努力・根性との関係

 一見何の関係もないように思えるかもしれないが (200頁)

 短い音型をいろいろ変奏しながら繰り返し指を強化しようとするスポ根的トレーニング法と、シューマンやリストやブラームスやワーグナーといった、一九世紀口マン派の音楽語法。

 この同時代に見られた二つの主義・傾向。

 二つの間には、じつは、相似の関係がある。

 すなわち、「主題加工」、 ハイドン/ベートーヴェン以後の作曲技法のことである。
 まず提示部で八小節の主題を提示し、展開部で分解して加工変奏し、曲の終わりでもういちど再構築して復元というやつである。

 こういう、繰り返して加工して繰り返してという手法は、バロック音楽にはなかったものである。

 一見相反するような根性的・肉体改造的ピアノ学習と、甘美さをイメージしやすいロマン派音楽とは、その憑りつかれたような「繰り返し」へのこだわりにおいて、実は相互補完的なものであったのである。*4

 

(未完)

*1:サイト・「Science Source Images」に、その図が掲載されている( https://www.sciencesource.com/1657922-convertible-bed-room-piano-1866.html )。

*2:なお、 Sarah Kaye Priggeの、「NATHAN RICHARDSON AND THE EDITIONS OF THE NEW METHOD FOR THE PIANOFORTE」(https://library.ndsu.edu/ir/handle/10365/26746 )は、こうしたフォーブスの手術は

While this may have worked for a short period of time, it must have compromised the structure of the hand because by the 1890s talk of this surgery largely disappeared.

すなわち意訳して読むのであれば、1890年代にはこうした手術の話が聞かれなくなったことから、腱の切断手術が手の機能をかえって悪化させることが知られるようになったのだろうとしている。

*3:このWilliam Smith Forbesの生涯と業績については、以下のサイトが参考になる(URL:http://community.village.virginia.edu/unionist/node/578 )。

*4:宮本直美は、ある時期から、器楽がその「繰り返し」によって多くの聴衆に親しまれるに至ったとして、次のように述べている(「近代的コンサートの芸術性と劇場性に関する社会学的研究」https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-26380721/ )。

商業的なコンサートが増える中、交響曲を支持する知識人層からは、難解で一般受けしない器楽を理解するために何度も聴くべきだという意見が度々出された。 (引用者略) 交響曲を何度も聴くようなコンサート・シリーズが催される。まさにこの時期に、モーツァルトやベートーヴェンという故人作曲家は「クラシック」と呼ばれるようになった。この概念が意味するのは、何度も触れて理解することにより、人間性を陶冶するという教養主義である。このクラシックという観念は、プログラム上では同じ曲を何度も演奏するという形態につながる。現在のように、過去の作品を繰り返し演奏するという方式は19 世紀半ば頃から徐々に始まったのである。

器楽においては、その聴取形態もまた「繰り返し」と努力・忍耐を要求されることが、およそ当然のこととして是認される時期が到来したのである。以上の内容については、宮本『コンサートという文化装置――交響曲とオペラのヨーロッパ近代』(岩波書店、2016)も参照されたい。