暴力装置が抱いた欲望 -武装組織が台頭した諸事情- 【続・ワイマール共和国内部の武装組織について】

前記事より続き。


■なんで武装組織ばっかだったんだよ!■
 ここで一点、疑問に思われる方が、おられるかもしれません。なぜ、ワイマール共和国は、武装勢力だらけになったか。
 詳細は分かりませんが、ドイツ義勇軍(フライコール)の存在が大きかっただろうことは間違いありません(以下、Wikipedia「ドイツ義勇軍」の項目参照)。
 ドイツ義勇軍というのは、第二次大戦後にドイツの復員兵が作った民兵組織のこと(総称)です。
 「多くのドイツ退役軍人は市民生活に馴染むことができず、軍事組織の中に安定を求めて義勇軍に入隊」します。
 そんな「復員兵の多くは彼らの目から見て『突然起きた、どう見ても不可解な敗戦』とその後の社会の混乱に憤りを感じていた。彼等は、その憤懣を晴らすために入隊し、混乱の元凶と思われた共産主義者を鎮圧」したわけです。共産主義者が、敗戦のスケープ・ゴートとなります。
 しかも重要なことに、「彼らはドイツ社会民主党メンバーで国防大臣グスタフ・ノスケから多大な支援を受け、ノスケは彼らをドイツ革命の鎮圧や1919年1月15日のカール・リープクネヒトおよびローザ・ルクセンブルクの処刑を含むマルキストスパルタクス団の壊滅、1919年のバイエルン・レーテ共和国打倒などに利用した」のです。共産主義者社会民主主義者のおなじみの潰しあいの光景が展開されることになります。
 しかも、「ナチ党の未来の党員および指導者達(のちの突撃隊(SA)指揮官エルンスト・レーム、のちのアウシュヴィッツ強制収容所所長ルドルフ・フェルディナント・ヘスなど)の大多数は義勇軍出身者だった」のです。ナチスが育まれる温床でもあったわけです。
 義勇軍自体は、「1920年公式に解散されるものの、多くの義勇軍1920年3月のカップ一揆で政府を倒そうとし、失敗し」たりしています。(ちなみに、義勇軍はあくまでも総称にあたるので、「義勇軍の中でもっとも大規模だったものは鉄兜団、前線兵士同盟」という記載になるわけです。)

■ドイツ義勇軍という存在■
 以上から読み取れることは、?復員兵たちの社会復帰の失敗が、ワイマール体制を不安定にした可能性が高いこと、?大戦の敗因が共産主義者に擦り付けられたこと、?共産主義者社会民主主義者がやっぱし反目したこと、?しかも、ナチスの党員や指導者たちの少なからずが、義勇軍出身だったこと、です。
 教訓としては、?復員兵たちの社会復帰には気を使わないといけない(伊勢崎賢治もかつて述べておられましたが)、?社会民主主義者と共産主義者は仲間割れすんなよ、というところでしょうか。
 しかしここでまた疑問が。なぜ、"多くのドイツ退役軍人は市民生活に馴染むことができず、軍事組織の中に安定を求めて義勇軍に入隊"したのか。多分経済が不安定だったからなのですが、詳細については北守さんたちお詳しい方々にお任せして、筆を擱くことにします。

(終)


(追記)
 筆を擱こうと思ったのですが、まさかの追記です。

武装組織の影にあった、共和国軍の事情■
 復員兵たちの不満は、蓋し、敗戦のショックと、政府の「弱腰外交」への反発、そして経済的不安定にあったと考えられます。(それにしても、政府の「弱腰外交」への反発と、経済的不安定、どこかの国の光景でしょうか(笑))
 そもそも、武装組織台頭の影には、皮肉にも、弱体化した軍の存在があったわけです。「ヴァイマル共和国軍にとって、フランス軍が占領地域を拡大し、軍と直接衝突することはドイツと軍の終わりを意味していた。そのため軍はドイツ義勇軍(フライコール)組織を充実させ、軍の補助部隊としようとした」。 軍側の都合によって、賄われた側面もあるのです。
 実際、「軍はバイエルン州の民間軍事組織を連携させるため」、国旗団やナチ党を召集し、「突撃隊などへの軍事訓練を行っ」ていました(以上、Wikipediaミュンヘン一揆」より引用)。軍を削られたというドイツの事情もあったのですね。
 ヴェルサイユ条約によって陸軍10万人に削減された軍は、大量の軍人の解雇を迫られます。そこで、共和国側は、ヴェルサイユ条約から隠れてこっそり軍拡を模索し続けることとなります。
 具体的な方法としては、「兵士、下士官も将来の急速な兵力拡大を可能とするために将校級の教育を施す」、「義勇軍を物的・人的な支援する」、「ソビエト連邦とのラパロ条約の秘密条項に基づき国際監視の届かないソ連領奥地のカザン、リズペクに独自の戦車学校や航空機工場、空軍学校を設け」る、「新型火砲の開発については、スウェーデンやスイスなど第三国との合弁会社を設立させてドイツ国外で開発させ」る、など周到な準備が水面下で進んでいました(以上Wikipedia「ドイツ再軍備宣言」参照)。ナチス以前に、ワイマール共和国全体で、既に再軍備の準備を行っていたのです。

■その再軍備したいという"幻想"をぶっ壊す■
 結論すると、ワイマール共和国内で諸武装勢力が台頭したのは、ヴェルサイユ条約によって、軍を削られたという国内事情も原因だったのです。
 この事情を考えれば、なぜ西ドイツのドイツ連邦軍を立ち上げるまでにあれほどの時間をかけ、しかも共和国軍・ナチス軍とは相当断絶した形で立ち上げたのか、という疑問も氷解します。上のような事情もあったわけです。武装組織を野放しにしないためには、軍が隠れて"再軍備"する欲望を、根本から叩き潰すしかなかったのです。それはナチスの存在如何に関らず、必要なことだったと考えられます。

(今度こそ、完)