「冷戦思想の疫学的起源」というメタファーから読み解いていく、冷戦論の古典的著作 -永井陽之助『冷戦の起源』を読む-

 永井陽之助『冷戦の起源 Ⅰ』(中公クラシックス)を読んだ。*1

冷戦の起源I (中公クラシックス)

冷戦の起源I (中公クラシックス)

 

  内容は紹介文の通り、

戦後東アジアの国際環境を規定した冷戦。だれが、どのような要因から、かくあらしめたのか―。日本が再生したアジアの状況。

というもの。

 そのまんまである。
 内容としては、しかし、古びないものを持っている。*2

 以下、特に面白かったところだけ。*3

マッカーサーの記憶

 後年、マッカーサー元帥がヤルタ会談のことに言及し、戦争末期におけるソ連参戦に強く反対意見を述べていた旨、証言しているが、 (引用者略) 当時(一九四五年二月十三日)、 (引用者略) 「ソ連軍があらかじめ満州での作戦行動を開始しないかぎり、日本本土に侵攻すべきではない」と証言していたのである。 (75頁)

 証言や記憶は信頼しえない。
 マッカーサーは都合のいい「記憶」を、恐らく非意図的に思い出したのだろう。*4

原爆製造計画と惰性

 形式上はトルーマン大統領に最後の決定権はあったが、事実上、既存の計画をくつがえさないという"不干渉の政策" (引用者略) つまり既成事実の追認にほかならなかった。 (引用者略) その巨大計画 (引用者注注:マンハッタン計画のこと) の存在自体が、戦争に使用される運命を決定づけていた (250頁) 

 一種の権力的「慣性」によって、原爆は投下されたことになる。*5

 著者は、は修正主義にも正統史観にも与していない。
 あくまでも、主眼は、「冷戦思想の疫学的起源」がアメリカに伏在していることを論じることである。

良心はマヒしていた

 すでに、カーチス・E・ルメーの東京の絨毯爆撃で、一度に一二万五〇〇〇人の市民が焼き殺されており、残虐な近代戦の物理的荒廃は、広島・長崎以前に人間の良心と道徳的感受性を完全に麻痺させていた。 (251頁)

 原爆以前にすでにアメリカは、良心がマヒしていたというのが、著者の主張である。*6

アメリカ的な「工学的戦争観」

 何故に、コミュニズムイデオロギーをもつ革命国家たるソ連の方が伝統的な現実主義外交の型にしたがって比較的限定された戦略目的を追求し、慎重に行動したと見られるのに対して、アメリカの方がグローバルな使命感に燃えたつ「イデオロギー国家」であるかのような振舞いに終始したか、そして、何故にヨーロッパとは異なり、アジアにおいて、朝鮮戦争からヴェトナム戦争にいたるまで、熱戦段階への拡大をともなったか (49頁)

 戦争は他にとるべき手段のない、やむをえざる場合にのみ正当化しうる手段と見做されるがゆえに、ひとたび敵の挑発で戦争にまきこまれたと信じるや、あらゆる道徳的政治的制約を無視して、すべての手段が邪悪なる敵に対して許されると考えがちとなる。戦争は、「よりよい平和」をつくる政策手段ではなく、邪悪なる敵に対する完全勝利のみが自己目的となる。犠牲を極小化し、対日戦を迅速に終結させるためには、ソ連の参戦も大量無差別爆撃も原爆投下もいとわないという発想のなかに、アメリカ的な「工学的戦争観」の非政治性を読みとることができるであろう。 (254頁)

 「ひとたび敵の挑発で戦争にまきこまれたと信じるや」のあたりは、9・11以後のアメリカの姿勢にも似ている。*7

「大審問官」と原爆

 『大審問官』に提示された問題 (引用者略) もし唯一人の子供を拷問して死に至らしめることで、全人類に永遠に完全な幸福が保証されるとしたら、この行為は道徳的に正当化しうるものであろうか (260頁)

 ドワイト・マクドナルドは、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』に出てくる「大審問官」を例に出して、原爆はいかなる聖なる目的を持っても正当化できない手段だと述べる。*8
 なかなか、バーナード・ウィリアムズの問いのようである。*9
 
(未完)

*1:今回は上巻のみだが、下巻はいつになるだろうか。

*2:「おそらく、まず直感的に「冷戦思想の疫学的起源」というメタファーが頭に思い浮かび、その周りに最新の資料や思考があたかも空白を埋めるかのように積み重ねられていった結果が本書ということではないか」(4頁)と中山俊宏によって解説されているが、もちろん、中山は本著を高く評価しているのである。

*3:本稿では、本筋のところは扱わないつもりなので、そちらが気になる方は、有賀貞による同時代の本書書評(https://ci.nii.ac.jp/naid/130004302350 )等を参照されたし。

*4:畠山圭一は次のように書いている(「日米戦争期における米軍部内の戦後対日政策論議に関する考察」https://ci.nii.ac.jp/naid/110000082716 )。

むしろ、アメリカとしてはソ連に一刻も早く参戦するよう要求すべきであり、そうすれば逆にソ連は参戦できないと考えていた。例えば、1945年2月、マッカーサーは、ソ連が「満州、朝鮮、更に可能ならば華北の一部をも望んでおり、この領土獲得は避けられない。むしろアメリカはソ連に対して、できるだけ早く満州の日本軍を完全に釘付けにするよう応分の要求をすべきだ」と陸軍省の幕僚に語り、「もし、ソ連東北アジアに 60個師団を投入すれば、アメリカ軍は一層容易に日本本土を攻略できる。だが、アメリカ軍による日本攻略は、ソ連がもっとも望まないことであり、スターリン東北アジアでの戦闘を回避しようとするだろう」との見解を述べていた。

出典はhttps://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=mdp.39015002987595&view=1up&seq=61 であるようだ。

*5:藤岡惇は、次のように書いている。(「米国の核爆弾産業はいかに構築されたか」https://ci.nii.ac.jp/naid/40003736941 )

秘密施設では軍隊的な上位下達の世界が支配し,働く者でさえ,計画の全体像を知ることができなかった。副大統領トルーマンも,蚊帳のそとに置かれ,ルーズベルト急死によって大統領となる際に,原爆開発が進んでいることを知らされたほどである 。

もちろん、このことは、知った後のトルーマンの指示を正当化するものとは言えない。

*6:もちろん、重慶爆撃を行った日本軍もまた、「人間の良心と道徳的感受性」を「麻痺させていた」といえないこともない。なお、戦争と空爆問題研究会編『重慶爆撃とは何だったのか』(高文研、2009年)には、重慶爆撃による被害は、周辺地域をふくめても、死者約一万一千人、負傷者は一万数千人程度が実数ではないかとのことばがある(152頁。執筆は石島紀之。)。

*7:福田毅は、永井の論に関連して次のように述べている(「米国流の戦争方法と対反乱(COIN)作戦--イラク戦争後の米陸軍ドクトリンをめぐる論争とその背景」https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/999575 *註番号を削除して引用を行った。)。

永井陽之助の指摘する「最小のコスト……で、最も能率よく、迅速かつ完全に敵を破壊する」という「一種の効率万能の工学的戦争観」が生まれるのである。/このような見解は、米国流の戦争方法を分析した多くの研究者が共有している。この分野の先駆者である R. ウェイグリーは、建国以来の米軍の歴史を検討した上で、米国は常に低コストで「敵の軍隊を破壊し、敵を完璧に打倒する」ことを目指してきたと指摘する。

なお、こうした永井の考え方は、既に1950年代に見ることができる。以下、酒井哲哉「永井陽之助と戦後政治学」から引用する(https://ci.nii.ac.jp/naid/130005096413 )。

永井の科学主義批判は社会工学的政治観批判へと発展していった。政治問題は「困難」(difficulties)であって、「パズル」(puzzles)ではない。政治問題をパズルと見る考えは政治とエンジニアリングを同一視し、唯一の正解があるという謬見に導く。絶えず発生する政治的困難に対処するものは経験的叡智に基づくステーツマンシップしかない 。永井はモーゲンソー『政治のディレンマ』を援用しながら、政治的叡智にかえて科学主義・モラリズム・完全主義に逃避する「ユートピア社会工学」を組織人の陥りがちな思考様式として痛烈に批判している。

*8:ところで、木寺律子は、『大審問官』について次のように述べている(「ドストエフスキーの物語詩『大審問官』とプレスコットの歴史書https://ci.nii.ac.jp/naid/40020495153 )。

物語詩『大審問官』の時代や地理の曖昧さを考えると、作家ドストエフスキー自身がスペインの事情を知らなかったのではなく、ドストエフスキーは意図的に物語詩『大審問官』を歴史的史実から遠い曖昧なものにしたと考えられる。

設定はわざとぼかされていたというのである。

*9:バーナード・ウィリアムズの「インテグリティ」の概念については、伊勢田哲治「あとがきたちよみ『道徳的な運』」等を参照(https://keisobiblio.com/2019/08/26/atogakitachiyomi_dotokutekinaun/ )。