内容は紹介文の通り、
歴史家として批評家としてまた編集者として,戦前・戦後を通じ,政治・思想・文化の動向につねに鋭い批判の矢を放ってきた林達夫.稀有なまでの自由な精神に支えられ,驚くほど多岐の領域にわたって展開するその著作すべてを貫く批評精神とは何なのか.ここに十八篇を精選して,林達夫の精神のスタイルを浮き彫りにする.
というもの。
久しぶりに読んだが、やはり林達夫は面白い。
以下、特に面白かったところだけ。
鶏を飼う林達夫
最も「不経済」だったはずの、わが横斑プリマス・ロックが、かくして機を見るに敏な種禽家や人工孵卵業者のカタログや広告文によると早くも「斯界の花形」として登場しているのだ。たった三か月前に、横斑ロックはおよしなさいと言われていたのに! (39頁)
「鶏を飼う」より。
エサが足りなくなると、贅沢なエサでないと生まない白色レグホーンではなく、粗飼料でも卵を産む鶏のほうが喜ばれるようになった。*1
そして述べる。
「農林省の無能と三井、三菱、日産をはじめとする大飼料工場の専横」をきちんと批判できたのは、産業団体の機関誌であった、と。
著者(林)は、「気の抜けた印刷物に目を通すひまがあるなら、名もない産業団体の機関誌でも読む方が、日本の現実についてよほど深い認識が得られる」と述べるに至る。
けだし、これは今も変わらないことであろう。*2
手仕事の重要性
知性人とは原始的には職人であり栽培者であり飼養家であった。知性をその故郷に帰らせるということは、知性のmanoeuvre(操作)を職業としている人間にとっては一石二鳥の鎖閑法と言うべきであろう。
(34頁)
「鶏を飼う」より。
知性を担う者ほど、手仕事に帰る必要があるようだ。*3
盗んだ武器で戦う
ところが今日それはほとんど全部イタリアの評論家スペローニその他の完全な剽窃であることが明らかにされた。デュ・ベレーはイタリア語の擁護者がかつてその国の国語運動を遂行したときに用いた闘争武器をそっくりそのまま自国語の擁護のために盗んで来たのである。 (59頁)
「いわゆる剽窃」より。
デュ・ベレー『フランス語の擁護と顕揚』は、フランス語擁護の書であったが、その擁護法はいただいてきたものであった。*4
学説所有権の擁護の叫びは、だからとりもなおさずこれらの学問泥坊に対する学者の生活権擁護の叫びにほかならないのだ。学問が社会の共有財産であらねばならぬのに、しかもこれをあくまでも神聖なる私有財産視しなければならぬのは、実にここにその根拠をもっているのである。 (引用者中略) かくて「剽窃」の問題も資本主義の存続する限り唾棄すべき財産的犯罪の問題として提起せられる一面を常に保持しつづけるであろう。 (62頁)
もちろん、「学問泥坊」は、資本家が学者の成果をはした金で買ってもうける行為を含むであろう。
遺制的気分の消極的承認
漠然とした遺制的気分の消極的承認にすぎないものを、それが触発されただけで、人は積極的な信仰告白と思い違いをしている。 (139頁)
「反語的精神」より。
遺訓を片っぱしから破る
「皇祖皇宗の遺訓」を守ることにその最も中枢的な使命を見出すはずの天皇が、その遺訓を片っぱしから破り、国民にその遵守を命ずる詔勅があとからあとから前のものを覆してゆくことに、人はどう感じているのだろうか (引用者略) 紛れもない背信的行為であり、また背徳的行為でもあろう。 (142頁)
「反語的精神」より。
実際、明治天皇は、断髪をし、洋服(軍服)を着て、髭を生やし、牛乳を飲み、牛肉を食っている。*6
物まねの名人としてのプラトン
アルベール・リヴォが書いている。「『プロタゴラス』『ゴルギアス』『饗宴』『パイドロス』には、プロタゴラス、ヒッピアス、リシアス、ゴルギアスからの長い章句の模倣が含まれていて、これらの著述家の文体が忠実に再現されている。 (引用者略) 彼はすべてを模倣した、語彙、リズム、文体の技巧、各人持ち前の癖。……プラトンは意表に出るほどの巧みさで、彼が舞台に上せたすべての人々の≪流儀で≫書いた。」 (154頁)
「『タイス』の饗宴」より。*7
プラトンは真似の名人だったのである。
作家と剽窃
そして彼は剽窃を恥としない。……彼はシェークスピアやモリエールのように仕事をする。この二人はいずれもこの上もなく独創的でありながら、見かけたところ一向に独創性なんかに構っていない (157頁)
「『タイス』の饗宴」より。
これも、先のアルベール・リヴォの本から孫引きとなる。
シェークスピアも剽窃していたわけである。*8
ほかにも、モリエール、プラトンやデカルト*9らは、剽窃行為を行っており、しかも、そのことを堂々と認めているという。
(未完)
*1:なお、中村吉隆及び美並東『自給飼料養鶏法』(霞ケ関書房、1945年)においては、「白色レグホーン種」は粗悪な自給飼料しか得られない場合には予期通りの産卵成績を上げられない、「黄斑プリマゥスロック種」は粗飼でも比較的多産を続けられる、と対比しつつも、それでも、総合して軍配は「白色レグホーン」にあげているようである(40頁)。林達夫との対比が際立つところである。 以上、この註を2024/9/29に書き加えた。
*2:そんな林が鶏を飼っていた庭を訪れた人物もいる。以下、岡崎満義「<文壇こぼれ話⑩> 取れなかった原稿⑦ 林 達夫さん」(http://zenkanren.sakura.ne.jp/02toukoukikou/25zuisou/2530bundan10.html )より。
そこは50坪くらいあったろうか、庭というより畑だった。戦時中、軍部や警察からにらまれて、まともな執筆活動ができない時期に、林さんは園芸雑誌に「鶏を飼う」「作庭記」など、いわゆる“思想”的論文からはなれた文章を書いて糊口を凌いでいたのだが、そのおおもとがこの庭だった
*3:高橋英夫らによる鼎談の中でも、手仕事は林にとって、ライフ・スタイルであり、思想でもあると言及されている(高橋英夫『わが林達夫』、小沢書店、1998年。252頁)。なお、ここでは、和辻哲郎の妻と林の妻は、姉妹であることも、話題にのぼっている。
「妻の芳は、岩波文化のパトロン一族とでもいうべき高瀬家の五女であった(長女は和辻哲郎の妻、四女は矢代幸雄の妻)」(落合勝人「林達夫論 : 関東大震災への応答」(博士論文の要約)https://ci.nii.ac.jp/naid/500001371406 )。
*4:糟谷啓介は次のように書いている(「参照枠としてのイタリアの「言語問題」」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006927240 )。
フランスの「プレイアード」派のマニフェストとして知られるジョワシャン・デュ=ベレーの『フランス語の擁護と顕揚』(1549)が、じつはイタリアの学者スペローネ・スペローニの『言語についての対話』(1542)を種本としているという事実がある。もっともこのことはすでに 20 世紀のはじめに、フランス文学史の研究者ピエール・ヴィレーが明らかにしていた (引用者中略) 当時のフランスにはイタリア語からの借用語が多く、デュ=ベルレーはフランス語のなかからそれらの借用語を追放することを目指したのである。したがって、デュ=ベルレーはイタリア輸入の理論を使って、イタリア語からの借用語を追い出そうとしたことになる。
*5:林と言えば、「天皇制とは、何かに対する警戒と恐怖の前もってする一種の予防体制であり、その何かがかえって正統派なんだ、天皇制が日本の正統性であるはずがない」というセリフがよく知られている(『思想のドラマトゥルギー』、平凡社、1993年)。
*6:児玉定子は、次の一文を引用している(「日本における食事様式の伝承と明治の断層 : 食生活の混乱のルーツと伝統的食事様式の再評価」https://ci.nii.ac.jp/naid/110004727852 *註番号を削除して引用する。)。
「我が朝にしては中古以来肉食を禁ぜられしに, 恐れ多くも、天皇いわれなき儀に思召し,自今肉食を遊ばさるる旨宮にて御定めありたり」(新聞雑誌 明治5年1月)
以上、この項目について誤字を訂正した。2024/9/29
*7:なお、引用部のアルベール・リヴォ(Albert Rivaud)について、奥村功は次のように書いている(「西園寺公望のフランス語蔵書--(その2)陶庵文庫」https://ci.nii.ac.jp/naid/40003736944 )。
アルベール・リヴォ『ドイツの危機 1919-19311(1932)。著者 (1876-1956)はソルボンヌの哲学教授,政治学自由学院教授。ナチスとの関係は微妙で,のちにヴィシー政権の文部大臣に任命されるが,戦前に出版したドイツに関する著書のためにドイツ政府の反対を受け,すぐに任を解かれたという。
*8:立川希代子は、ハイネのシェイクスピア擁護について、次のように書いている(「ハイネのシェイクスピア論--『シェイクスピア劇の女性たち』を中心に」https://ci.nii.ac.jp/naid/120005990457 *註番号を削除して引用を行った。)。
「剽窃」への批判に対しては,『箴言と断章』で同じ論法で反論している。ホメロスがただひとりで『イーリアス』を創ったのではないのと同じことだと
ハイネは、ホメロスの作品は複数の詩人の手になるという説で以って、シェイクスピアの「剽窃」を擁護している。
*9:なお、デカルトは、他者(元弟子?)によって、剽窃されたと公言したことがある。持田辰郎「翻択 1642年1月,デカルトからレギウスに宛てられた書簡」(https://ci.nii.ac.jp/naid/120005757139 )から引用する(*註番号など、削除して引用を行った)。
レギウス(Regius: 1598―1679),本名アンリ・ル・ロワ(Henri le Roy)はユトレヒト大学の医学,植物学教授。1646年の『自然学の基礎(Fundamenta Physices)』出版以降,デカルトと袂を分かち,デカルトをしてその裏切りと剽窃を公言させ,また『掲示文書への覚書』を書かせることとなった掲示文書の主でもある