■ある種のオマージュですかね。■
たしかに『ボヴァリー夫人』『ノーサンガー・アベイ』『ドン・キホーテ』の語り手は、主人公がかけている物語メガネに段階的に冷や水を浴びせ、罅を入れていった。
[…] むしろ三人の小説家は、既存ジャンルを愛すればこそ、その引力の強さを認め、引力圏から脱さんと果敢に格闘したのではないか。だって、大なり小なり物語という嘘つきなメガネの厄介にならないと、人間は世界を認識できないのだから。 (某書より引用)
■『パミラ』、恐ろしい子っ!!■
一介のメイドさんから地主の奥さまに成り上がる細腕一代記の主人公、どんだけやり手なんだって話ですよ。しかもこのパミラという小間使い、メイドカフェの「永遠の一七歳」のみなさんよりさらに年若な一五歳というから恐ろしい。読み方を変えれば、性欲ギンギン下心トゥーマッチな(でも脇の甘い)若い金持ちが、どこから見ても清純なのにとってもリアリストな女子中学生の算盤に食い物にされる恐怖譚にすら見えてくる。 (某書より引用)
■良く言えば、「オトナの恋愛」■
彼女はロマン派を否定する、遅れてきた一八世紀小説家なのだ。 […] 「賢いヒロイン」系はいずれも、ロマン派的な観点から見たら可愛げゼロである。しかもこのばあいの「幸せ」とは「賢くて経済的基盤のしっかりした夫を獲得する」ことにある。これのどこが「恋愛」小説なの? いや、褒めてるんだけど。
打算と冷静さがこんなにも重要な世界を描いたオースティンの小説を読んで、それをなぜか「ロマンティックな恋愛小説」だと言ってしまう女の人が多い。わかって言っているなら女の人って怖い。 (某書より引用)
■「ちょいバカな妹」の系譜。■
『高慢と偏見』『分別と多感』では、主役に可愛げがないのを補うようにヒロインの妹(恋に恋するあまり男選びに失敗し、愚行に走る)がちょいバカ役として登場し、話を引っ掻き回してくれる。
[…] そういえば谷崎潤一郎の『細雪』 […] 美人なのになぜか縁遠くお見合いを繰り返している三女・雪子は『マンスフィールド・パーク』のファニーから内面を抜き取ったみたいな空虚なキャラだ。他方、洋装の似合う恋多き末娘・妙子は、『分別と多感』のちょいバカな妹マリアンを蓮っ葉にした感じ。 (某書より引用)
■ジャンルが持ってしまう悪弊■
ジャンルが定着して、読者がジャンルにひとつの型を期待・要求するようになると、ジャンルは純粋になって、初期に持っていた雑種性を失う。そうすると、レッテルの貼りにくい作品は、ジャンルのファンからは期待されなくなる。そして、だんだんと刊行の可能性を奪われていく。 (某書より引用)
■誤植?■
白黒でジャン=ジャック・アノーが撮った映画にショーン・コネリーが探偵を演じた『薔薇の名前』がある。 (某書・132頁より引用)
■シャハラザードさん、マジパネェっす。■
シャハラザードは語り終えると、乳母に命じて、この一〇〇一日のあいだに彼女が産んだ三人の男の子(歩き始めたばかりの子、はいはいできる子、乳児)をつれてこさせ、
[…]
分娩の当日も王さまに物語を聞かせていたのか。しかも三度にわたって。見上げた根性だ。 (某書より引用)