年休100%消化方法と、残業がデフォな労働慣行という厚い壁(ニッポンの雇用を考える) -水町勇一郎『労働法入門』雑感-

 水町勇一郎『労働法入門』を読む。
 実に良くまとまっている。
 そして、著者の人柄も良く出ているように思う。

 例えば、「労働審判審査って何?」とかいっちゃう人は、さっさとこれを買うなり借りるなりして読むべき。

 興味のわいたところだけ。



 会社と労働者との間の労働契約は原則的に、労働者の働く義務であり、会社が賃金を払う義務である、という契約であって、働くことは労働者の義務ではあるが、権利ではない。
 そのように日本の裁判所は、判断している(xii頁)。

 日本のメンバーシップ型の雇用の場合、賃金が発生している限りは、会社から何もしなくてもいい、なにもするな、と命令されたとしても、甘受せねばならない(他の法に触れない限りにおいて)。
 つまり日本の場合、ある労働者が、具体的に何か仕事をさせて欲しいと頼んでも、会社側が何も仕事を与えないことは、原則的に認められる。
 一方ドイツとかだと、労働者が会社に働かせてくれと求めることができる。

 日本では、中身が決められた労働が義務なのではなくて、メンバーである(所属する)ことが義務みたいなものとなっている。
 
 だから、上記のような完全な「飼い殺し」も、日本では発生しうる。
 改めて考えると、これは実にヘンな光景ではある(きちんとした背景があるにせよ)。



 実際の裁判例を見てみると、日本の整理解雇法理は、それほど厳格で硬直的なものではない。
 個々の状況に応じてある程度柔軟に判断されている。

 整理解雇の四要件をそのまま全て当てはめたものはむしろ少数であり、人員削減の必要性のみを考慮するものや、それに加え、配転の可能性や手続きの妥当性を考慮して判断するものが多い(57頁)。
 人員削減の必要性が疑われる場合、解雇は大抵無効になる。
 同じ職務についていた奴が、何故か解雇されなかった場合などが、それにあたる。

 解雇法理の実際は上記のようなものだが、よく実態以上に厳格なものだと間違われたり、悪質な場合は、解雇規制緩和を喧伝する輩に酷く誇張されたりする。
 後者に関しては、経済学者とか、エコノミスト()とか、自称経済学者()とか、そっち方面に多い気がする。



 日本の年休消化率が低いのは、労働者に年休の時季指定権を与えている日本の制度に原因がある。
 欧州諸国では、年休時期を決める権利は基本的に会社側にある。
 会社が年初に、労働者の希望を聞きながら年休のカレンダーを作成し、労働者はそれに従って年休を100パーセント消化する(133頁)。

 日本の場合、無給の休暇となって、給与が減額されるのを恐れて、結局有給を取れないケースも勿論あるだろうが、大抵は、周囲に気を遣って取れないケースが大半だろう。
 そういう意味で、この方法は十分検討に値すると思うが、どうなんだろ。



 もし日本で、(EUのように)労働時間(所定内労働時間+残業)の法的制限をかけると、これまでのような、不況の時は残業を減らして雇用の調整を行って解雇を回避する、といったことが難しくなってしまう(145頁)。

 ならば、(究極的には)所定内労働時間に手をつけるしかないわけだが、こういうのは各企業の労使協議で、時限的な所定内労働時間短縮を決めることを認めるしかない気がする。
 つまり、好況の時は、法で制限された労働時間でのみ残業労働を行い、不況の時は、労使が協議して所定内労働時間を必要程度短縮する、というふうにする。
 結局、労使協議がものをいうけれども、悪い解決策ではないと思うがどうだろうか。

 (追記)
 この残業のレゾンデートル的問題の焦点は凡そ二つあり、一つは、残業代をデフォルトで生活設計している日本の労働者(家とか教育のローンのせいかしら)の問題であり、もう一つは、正規・非正規でどのように調整に線引きを行うのかの問題、だろう。
 後者の問題の焦点も、究極的には、前者に帰結するように思いますけれども(その一例として、hamchan先生のブログの記事を御参照あれ。)