社会調査のはじまりの書 谷岡一郎『データはウソをつく』(2)

 ほかに、『mark-wada blog』様も取り上げているエピソードですが、こんなのもあります。
 連合軍の戦闘機が独軍に次々撃ち落された。何とか帰還した機体を調べた将軍曰く、尾翼のダメージが特にひどい。「尾翼を強化するように」と本国へ打電。本国の「脳ミソのしわがちょっと多い人」が答えて曰く、 尾翼をやられた戦闘機は一応帰ってきた。帰ってこなかった機体は、他の場所を打たれたはず。「強化するのは別の所ではないのかね」。

 これも、『こんな日にはBlogでも…』様が取り上げておられますが、酒のお嫌いな人にとっては傾聴すべき意見も。ブログで要約されているものを引用すると、

 酒の消費量と健康に関する調査で、酒を全然飲まない人より毎日少量飲む人の方が健康だという結果が出たことに対し、酒を飲まない人の中に体を壊して酒を飲めなくなった人間はどのくらい含まれているのか

 これは、Jカーブ効果への批判です。Jカーブ効果は、再現性自体はっきりしていません。(この問題については次ページをご参照ください。

 おおよその例を見てきました。具体例ではありませんが、他にためになることも載っています。
 たとえば、社会科学の分野では、「偶然起こった確率を超えた状況を、「統計的に(九五%レベルで)有意だ」と表現」する(一〇九頁)、といいます。前作にも載っていたと思いますが、改めて、覚えておきましょう。
 また、カール・ポパー管見を引いたあと、「理論にとって可能なのは、その理論が間違っていることを証明することだけ」とも述べています。あくまでも科学における理論というのは、長い間否定されていない、可能性のより高い仮説だというのです。こうして、自然科学と社会科学の違いについて述べます。これも覚えておきたいことです。

 妥当性と信頼性の話も面白い。著者は、この二つの概念を紹介しています。妥当性とは、「ある変数の測定に関する内容(定義)」の適切さ、ざっくりいうと統計するときの用語の定義の適切さです。例えば、「社会階層」を測るには「所得」だけを参照すれば十分か、という事を探るときに使われる概念です。一方、信頼性とは、誰が何回やっても、同じような測定結果になるのかという概念です。
 基本的に妥当性が信頼性に優先しますが、同じ方法で継続的に統計を取り続ければ、それなりに意味はあるといいます。例えば、内閣の支持率は各社で違いますが、毎月同じやり方で繰り返すので、支持率の上下のトレンドを調べるには、十分役立つといいます(一二五頁)。なるほど。馬鹿と何とかは使いようです。支持率はそう考えると、意外に使い道があるのです。

 質問票を、自分の恣意的な結果を出させるテクニックも載っています。質問票を作って統計を取る際に、「アップルタイザー」と「コーラ」とを比較させて、「アップルタイザー」を勝たせるには、「コーラ」を「コカ・コーラ」と「ペプシ」の項目に分ければいいというテクニックを教えています(一三二、一三三頁)。むろん、悪用は駄目です。これは、そういう手口をやめるべきだ、という本ですから。

 最後に、本著の求める人物像とは何か。それは、自分で考えて疑い、常にほかの可能性を想定し探究する人物(七九、八〇頁)です。本著の具体例における、数々の反論を、そのまま鵜呑みにしてしまうのは、本著の意図ではないのです。
 では、読み終わった後まず、何をしましょうか。著者は、オウム真理教においてエリート校の大学生が多数信者だったことを挙げて、「偏差値中心のツメコミ教育の弊害」を原因と考えているようです(一五五頁)。本当にそうなの?まずはここからです。これを疑うことから始まるのです。

(続く)