坂口恭平『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』を読む。
都市では、勤め人にならずとも、工夫すれば生きられることを証明している。
スーパーで、「無報酬でゴミ捨て場の掃除をやるので、その代わりあまった食材ください」と直談判する方法が紹介されている(53頁)。
これで、弁当や惣菜、野菜に果物に魚に肉に、大量入手できた人もいるらしい。
中には、居酒屋が集まるテナントビルから入手する人もいるという。
でも、それが出来るコミュ力があるなら、十分就職してやってけそうな気も・・・。(いや、もう勤めるのが嫌で、そういう生活選んだろうけどね)
アルミ缶拾いを生業にする人物。彼は、日経の購読している。紙面にアルミや銅のレートが載っていて、これを武器に買い取り業者と価格交渉できるからだ(66頁)。
このエピソード、日本経済新聞社は使うべきだろw
多数派のビジネスマンの方ばっかり向いてるから、こういう人の存在を見落としちゃうんだよ。
ある"多摩川沿岸生活者"の人は、公園の水どころか、水道水も飲まない。
雨水を飲む。
曰く、二時間も雨が降れば、大気中の塵や埃や化学物質が流されてしまうから、二時間たってから雨を溜めるらしい(105頁)。すると純粋な水が取れる。これを煮沸する。15年間のみつづけて、腹を壊したことはないし、しかもこの水、二ヶ月おいても腐らないらしい。
今度やってみようかな。
(でも念の為、煮沸は必須。)
街を歩いて、ホームレス小屋(といってもちゃんとした住処なのがすごい)を作る材料を集めるのに、乳母車を使ったらしい。
曰く、音がしないからだ(120頁)。
理にかなっている。
彼らは、生活の知恵を発揮している。
ある、代々木公園の生活者の言葉。
"0円で余裕ある生活が出来るなんて、夢のような話ですね"という著者の言葉に、こう述べている(144頁)。
「都市型狩猟採集生活」とは、豊かな資本主義を前提にする。こんなこと、社会主義の国では絶対出来ないよね。みんな等しく働かなくてはいけないんだから。これは資本主義だからこそできるんだよ。(略)
お金持ちと貧乏人というヒエラルキーができあがる。すると、貧乏人はかわいそうだってことで、助けてくれる人が出てくる。(略)
貧乏がコンプレックスになって、絶望してしまうかもしれない。でも、そのヒエラルキーから自由になった人にとっては、すごく楽なの。まあ、たいていの人は世間体とか気にしちゃうから、こんな生活できないだろうけどね。
その、有り余る剰余=無駄を、前提とする。
持てる者と持たざる者との"格差"を、前提とする。
その自由は、やはり、豊かな資本主義を前提にしたものだ。
ところで、自発的な"ホームレス"は、社会的に包摂できるか。
社会主義国家ではなく、社会福祉国家を想定して、考えてみる。
ソシアルな社会においても、労働をしない人間はそれ相応程度の福祉しか受けられないだろうが、彼らはそのことを十分受け入れるはず。いや、彼らは、むしろそれらをすら拒否するだろう。
国による"居住の保証"(意味分からない人は"居住福祉"でググれ)も拒み、年金等の受給も避け、生活保護も拒否する。彼らが拒まないのは、かろうじて、医療くらいのものだろう。
問題は、彼らがどのような糧を得て、社会の中で生きていくかだ。
アルミ缶は拾えるだろうか。飲食店から食料を分けてもらえるだろうか。
その辺のディテールになると、さすがに、こちらでは、想像できない。 その社会の状況次第、としかいえない。その社会にきちんと剰余があるかどうかといわれれば、おそらくあるのだろうが。
現実には、北欧諸国にも、無論生活保護を受けている人は存在するし、ホームレスとして生活する人は存在する。ただし、そのホームレスとは、非自発的なものだ。
「スウェーデンでは平均年齢は44歳、女性が約20%を占めている」という。むしろ、割合的には、日本より多い可能性さえあるらしい。(以上、「スウェーデンの福祉政策」より)
ちなみに、「ストックホルムのホームレスの人々は、日本のように段ボール箱で仮部屋を作り寝る事は出来ません。夏場はまだしも冬は寒くて、凍死する危険があるからです」。「寝る場所は古いキャンビングカーとか、ワゴンや中古の車の中です」(以上、「ホームレスの実情」より)。
"北欧におけるホームレス"というのは、研究として興味深い(他人事のようで、申し訳ない)。