「二〇一八年」以降も先の見えない日本の原子力政策、その歴史をさかのぼる。 -太田昌克『日米〈核〉同盟』を読む-

 太田昌克『日米〈核〉同盟 原爆、核の傘、フクシマ』を読んだ。(*再読) 

日米〈核〉同盟――原爆、核の傘、フクシマ (岩波新書)

日米〈核〉同盟――原爆、核の傘、フクシマ (岩波新書)

 

 内容は、紹介文の通り、

広島、長崎、ビキニ、そして福島。四度の国民的被爆/被ばくを被りながら、なぜ日本は、アメリカの「核の傘」を絶対視して核廃絶に踏み出すことなく、また核燃サイクルをはじめとする原子力神話に固執し続けるのか―。日米の膨大な公文書と関係者への取材を駆使して、核の軛につながれた同盟の実態を描く、息詰まるノンフィクション

というもの。
 2014年の本だが、日米関係における核問題において、おさらいをするには十分すぎる内容である。

 以下、特に面白かったところだけ。

立派な密約でした。

 「広義の密約」を唱えた外務省有識者委員会の「定説」は、この秘密所管の存在発覚によって、もろくも崩れ去った (60頁)

 密約とは、米軍核搭載艦船の日本領海への通過・寄港を容認した核密約のことである。
 そして、その密約を、当時の岸信介首相と藤山外相が明確に理解していたのである。
 リッチーとフィアリーとの(米国側の)書簡がやり取りされていて、そこで発覚した。*1
 フィアリーの方が、安保改定時に、米大使館に勤務して対日交渉でマッカーサー(2世)大使を補佐していた。
 彼は、日本政府側は最初から米国側の意図を知っていた、と明言している。
 安保改定を主導した日本政権中枢が、「機密討論記録」の密約性を認識していた証拠である。
 この証拠は、黒崎輝教授が2010年に米国公文書館で発見して大田に提供したもの。
 立派な密約だったのである。
 大事なことなので、十年以上前のことだけど、今年も忘れないようにしよう。

非核三原則はナンセンス」

 未解禁公文書によると、そんな佐藤は六九年一月、離任間際のアレキシス・ジョンソン駐日米大使の面前で「非核三原則はナンセンス」と発言 (103頁)

 わりと有名な話ではあるが。*2
 佐藤政権下では独自核武装の研究も行われていた。*3

NCND政策

 NCND政策があろうがなかろうが、潜在敵国は自らのインテリジェンスを駆使しして米国の核戦力の所在をある程度把握しているという真理 (124頁)

 1974年の、屈指の核戦略家であり歴代米国政府で高官を務めたモートン・ハルペリンの証言である。
 ハルペリンは引用部の通り指摘した。*4
 彼によると、核戦略上の必要性よりも、核配備に拒否反応を示す同盟国の世論対策のためにNCND政策が必要だったと暴露している。
 NCND政策とは、「核兵器の存在について肯定も否定もしない政策」を指す。
 まあ確かに、「潜在敵国」は、どうせ知ってた(ている)だろうな。

再処理は「国策」

 民の側に「再処理を自ら行わざるを得ないよう官に仕向けられた」との思いが生まれるのも無理はなく (196頁)

 原子炉等規制法の下では、電力会社は使用済み核燃料を再処理する計画を明示しなくてはならない。 でないと新しい炉の建設許可を得ることもままならない。
 だから、電力会社は炉の新設許可を役所に申し立てる時、国内外どこかで再処理を行うことで、「ごみ」対策にめどをつける方針を示してきた。
 再処理は事実的に、国策なのである。*5

「二〇一八年問題」は継続中

 日本のいわゆる原子力ムラで意識され始めたのが、この「二〇一八年問題」 (238頁)

 米国が自分たちの輸出した核燃料や濃縮ウラン(米国産)で製造された核燃料の再処理を認めているのは、ユートラム(欧州原子力共同体)加盟国と日本である。
 そんな日本だが、この「権利」を保障している日米原子力協定の効力は30年。
 それ以降は、どっちかの国が通告すれば6か月で終了する。
 現在、米国から、日本に保有量の削減を要請され、日本はそれに応じて削減を進めるが、先は見えない情勢である。*6

 

(未完)

*1:2010年に、共同通信が報じている(参照:http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2010/06/26223245/ )。

米軍核搭載艦船の日本領海への通過・寄港を容認した核密約に関連し、1960年の日米安全保障条約改定時に、藤山愛一郎外相が米国と交わした「秘密議事録」について、岸信介首相と藤山外相が密約だと認識していたことを示す米国務省文書が25日までに見つかった。同議事録には、通過・寄港を日米間の事前協議の対象外としたい米側の意向を反映した条項が盛り込まれており、文書は岸、藤山両氏がこの意味を「明確に理解していた」と記している。

*2: これは、村田良平も述べていたところであり、焦点は「持ち込ませず」にあった。長谷川千秋は、「村田氏は各紙とのインタビューを通じ、『非核 3 原則』そのものを批判し、米核艦船の立ち寄りなどは認めるべきだとの見解をとうとうと語ったのである」とまとめている(「「非核3原則」破壊攻撃の新段階」2009/7/16付 http://hikaku-kyoto.la.coocan.jp/press_check.html )。詳細は、長谷川の記事に詳しい。 

*3:黒崎輝は次のように述べている(「日本核武装研究(一九六八年)とは何だったか:―米国政府の分析との比較の視点から―」https://ci.nii.ac.jp/naid/130005255884 )。

六〇年代後半、日本政府が確固たる政治的意志を持って潜在的核武装能力の保持を追求していたとはいえない。国家安全保障の観点から、原子力開発推進に潜在的核武装能力保持効果を期待する人物が政府内に少なからず存在していた可能性は否定できない。他方で、核燃料サイクルの実現をめざす原子力共同体に、核兵器製造に転用可能なウラン濃縮や再処理といった機微技術の獲得を自制する考えはなかったものの、六〇年代後半の原子力開発の展開を見る限り、国家安全保障の観点から、原子力共同体が潜在的核武装能力の発展に努めていたとは考えにくい。 (引用者中略) 政府内で政治的意志の統一が図られないまま、潜在的核武装能力を保持することになった、というのが「非核」日本の実態ではなかったか。潜在的核武装能力の保持が佐藤内閣の政策になったという説と比較すると、これは原子力開発の実態や先行研究の成果を踏まえた、より説得力のある仮説であると考える

いかにもありそうなことではある。

*4:新原昭治によると、

ハルペリンはその後、1987年刊行の本では、海外からのアメリカの核兵器の全面撤退により、「核兵器の所在を否定も肯定もしない」政策はやめることが可能になると、次のように主張した。「アメリカが核兵器を海外や艦船に貯蔵しないという政策を採択すれば、当然のことながら、基地であろうと船上であろうと核兵器の存在を否定も肯定もしないという政策を放棄することが可能になる。そうなれば、アメリカとニュージーランドを含む多数の同盟国との関係がギクシャクしている原因のひとつを取り除くことができる。」(ハルペリン著『アメリカ新核戦略―ポスト冷戦時代の核理論』筑摩書房

そして、「その後、1991年9月、ブッシュ米大統領は海外からの「大幅な」戦術核兵器の撤去を発表した。しかし、ハルペリンが主張したような、海外配備の核兵器全面撤去とはならなかった。/むしろ、もし一時的に海外から核兵器を引き揚げても、再び元に戻して「再配備」する態勢がとられた」という顛末である(以上、ブログ・「きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影」の記事https://blog.goo.ne.jp/kin_chan0701/e/8e05c5ebc97b4240c9373e2876dcf0c9 から引用を行った。「非核「神戸方式」とこれからの日本・アジア」と題する講演レジュメを転載したものという。)。

 なお、先のハルペリン著からの引用は、179頁からのものであることが確認できる(ただしその著者名は「ハルペリン」ではなく、「ハルパリン」表記であることに注意が必要。)。

*5:田窪雅文とフランク・フォンヒッペルは、以下のように書いている(「プルトニウムの分離を終わらせる 日本の使用済み燃料管理のもう一つのアプローチ」http://www.asahi.com/special/nuclear_peace/academic/August2013_japanese.pdf )。

日本の再処理の軛は、発電用原子炉の建設許可の申請において、「使用済み燃料の処分の方法」について明示するよう定めた原子炉等規制法を使って 1960 年代から形成された。同法は「原子力の開発、利用の計画的な遂行に支障を及ぼすおそれがないこと」を許可の条件としている。政府の原子力利用長期計画は、日本における「原子力の開発、利用」は再処理を必要とすると明記している。こうして、再処理は、電力会社にとって義務となったのである。

*6:「日本のプルトニウム減少、米が大量保有に懸念」という記事(https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00543/ )によると、

米国は18年7月の日米原子力協定延長に際し、日本に保有量の削減に努めるよう要請。日本政府は当時の保有量約47トンを上限に削減を進める方針を決定した。

ただし、

ただ、この削減方針を徹底するのは容易ではない。東京電力福島原発事故後、原発再稼働のハードルは高くなり、プルトニウム消費を急激に増やすのは難しい。保有量増加につながるMOX燃料への加工も抑制せざるを得ないが、その場合は、原発利用後の使用済み核燃料がたまっていく恐れがある。

どのみち日本の原子力政策は先が見えない。