「俗情との結託」と『神聖喜劇』、から、花田清輝と異邦人論争の話まで -『大西巨人 抒情と革命』を読む-

 『大西巨人 抒情と革命』(河出書房新社、2014年)を読んだ。 

大西巨人: 抒情と革命

大西巨人: 抒情と革命

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2014/06/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 内容は、「先日、物故した戦後文学、最後にして最大の巨匠が遺した問いとは何か。対談、文選、論考など。」という紹介文の通り、大西が亡くなった頃に出たムック本である。

 以下、特に面白かったところだけ。 

「改札スト」について

 「改札スト」は、戦後、京浜地区で実際に行われたことがあるんですよ。 (59頁)

 過去の大西との対談での、武井昭夫による発言である。*1
 大西は、スト中はただで乗客を乗せるというやり方なら支持するだろうと述べていた。
 それに対して武井は、もうやっている、と返答した。
 京浜地区で行われ、改札を無人にして乗客を無料でのせた。
 大西は、そうした「柔軟な発想」を支持した。*2

武力革命路線というマイナス

 このことは、戦後の日本の革命運動にとって決定的なマイナスでした。 (63頁)

 これも武井の発言である。
 所管派の武力革命路線と、そういう手法を受け継いでしまった新左翼
 新左翼は旧左翼を批判しつつ、こうした非現実的な方式を受け継いでいるとした。
 これは機会主義的体質である、と。

 この発言は、過去の武井自身の路線に対する総括(反省)的な意味合いもあるだろう。

 武井といえば、花田清輝との関係のこともあるが、少しながくなるので、註に回す。*3 *4

「俗情との結託」と『神聖喜劇

 ここにもマニラの青楼に対しての今日出海と同じ俗情との結託が見られねばなるまい。 (73頁)

 よく知られた「俗情との結託」論文の一文である。
 売春と社会主義反戦思想との関係(反戦主義者による売春)についてである。
 『真空地帯』は、批判されるべき点を持つ。
 つまり、学徒兵を含む兵士たちの外出時の圧倒的な関心が、買売春を主とする性欲処理であるとして描かれており、作者はそのような兵を批判することもなく、その責任を一切真空地帯(つまり軍隊)のせいにしている、という点においてである。
 軍隊とその外の社会との連続性、この問題意識から『神聖喜劇』が書かれたことは、あらためて言うまでもないはずである。*5
 ところで、今日出海*6って知ってる人、今いるんだろうか。

 未解放部落の問題も含め、軍隊の中に存在する階層がはっきり描かれている。それは社会そのものが描かれているということ (232頁)

 大岡昇平の対談での言葉である。
 『神聖喜劇』は論理そのものである、と。
 そして、社会そのものが描かれている、と。

文学は無力か

 「文学は無力ではないでしょうか」 (123頁)

 大西の中野重治についてのエッセイより。
 九州大学での講演にて、学生が引用部のように尋ねた。
 対して、中野は、そんなことはない。
 ではどんな文学があるのか。
 「ホメロスからアラゴンまで、それから『万葉集』から中野重治までの総体において文学は無力ではない」と答えた。*7

 自分も入れるところが素晴らしい。

 

(未完)

*1:この対談は、2005年が初出である。https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I7334195-00 

*2:集改札ストと呼ばれる手法である。最近の集改札ストについては、ウェブサイト・「IDEAS FOR GOOD」が次のように伝えている(「集改札ストとは・意味」https://ideasforgood.jp/glossary/shu-strike/ )。

似たようなストライキは今も世界で行われており、2017年には、オーストラリアのバス会社に勤務する労働者がバス版の集改札ストを行った。会社側との賃金交渉で揉めた結果の、曜日限定で乗客から運賃を集めないストライキである。 (引用者中略) 日本では、2018年4月に岡山県を中心にバス事業を展開する両備グループの「両備バス労働組合」が、競合事業者の新規参入に伴う労働者の賃金低下や雇用不安の解消を訴えて集改札ストを行った。バス内には、「運賃無料」を知らせる張り紙が貼られたようだ。

今も一応行われている闘争手法である。

*3: 武井昭夫は、

中村光夫広津和郎の『異邦人』論争がありまして、それをめぐっていろいろその場でも論議がでたとき、花田さんが射殺されたアラブ人の立場からものを見ろ、その立場から論じた人が一人でもあるか、と言うと、一瞬、会場がシーンとなった。

と、回想している(「芸術運動家としての花田清輝http://www3.gimmig.co.jp/hanada/takei.html )。もちろん、シーンとなったのは一瞬なので、さらにそのあと何が起こったのかは、知る由もないが。

 花田の発言について、中島一夫

花田の「アラブ人の立場からものを見ろ」とは、端的に「文学」の「外」を思考せよという意味でなければならない。

と述べている(https://knakajii.hatenablog.com/entry/20150126/p1 )。花田の発言が果たして文学の「外」と呼びうるのかは、まあ、今回は問題にしないでおく。少なくとも、花田の発言は、エドワード・サイードの議論や、カメル・ダーウド『もうひとつの「異邦人」』の先駆けとなるような発言ではあるだろう。
 ピエ・ノワールであるカミュの文学と、旧仏領・アルジェリアとの関係については、既に多く論じられているところである。それでは、作家であるカミュ自身は、「アラブ人の立場」から、ものを見ることができていたのか。

 この点については、原佑介が紹介する、パク・ホンギュのカミュに対する批判的応答がある(以下を参照。「「引揚者」文学から世界植民者文学へ ―小林勝,アルベール・カミュ,植民地喪失―」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006356034 )。パク・ホンギュの主張を見る限り、カミュ自身のピエ・ノワールとアラブ人との「和解」論は、やはり困難に思える。もちろん、原の紹介するイ・ヨンスクの『異邦人』論が、カミュ自身ではなくて、カミュの文学(小説)に対する一種の救いになってはいるのだが。
 では、花田は植民地の存在とどのように向き合ったのか。湯地朝雄は、次のように述べている(「『復興期の精神』の思想とその背景」http://www3.gimmig.co.jp/hanada/yuji.html )。

花田は、この論文の終わりの方で、朝鮮の将来について述べる中で、「日鮮両民族は、やがて歴史的必然の結果として、必ずや同一条件の下に、あらゆる点に於いて立つ日も遠くはあるまい。」「朝鮮人は、内地人と同様に政治的、法律的にも、同一の権利を持ち、同一の義務を争うことてなろう。」と記しています。そして、これは決して空想的なことではなくてただちに実行し得ることだ、とも言っています。朝鮮人を日本人と同等に遇すべきことを、反語的に迫っているような言葉で、これもまた、日本帝国主義の朝鮮支配に対するかなりはっきりした指弾ということができるでしょう。

 花田は、この点、湯地も紹介している李東華の思想に近い所があったといえるだろう。湯地は「一九三三年に、朝鮮独立運動の一員李東華の秘書をしていたことがあり」と紹介しているが、1933年の李東華『国防と朝鮮人』を見る限り、彼は「日鮮一家論」を唱えているからだ(もちろん、満州等への入植に対する態度などで違いは見られるが。)。

 花田が「射殺されたアラブ人の立場からものを見ろ」と言った背景には、もしかしたら、こうした戦前の彼の発言があったのかもしれない。
 ただ、それでも、引っかかることもなくはない。戦後の花田が、戦前の斯様な発言をどう振り返ったのか、ということである。とりあえず、この辺で。

*4:もう一つ書いておきたい。花田は、「氷山の頭」(1952年)において、『異邦人』と異邦人論争に言及している。そこで、カミュは植民地の支配民族と被支配民族との関係などの「リアル・ポリチックス」がわかっていない、と書いている。この点は、やはり傾聴に値する意見と思われる。

 ただし注意しないといけないのは、花田が、ムルソーは正当防衛だったはず、ものの弾みで射殺してしまった、と書いていることである。実際には、売って倒れた相手に、さらに4発銃弾を撃っており、これは過剰防衛とみられるべきであろう。

 行間を読むことで有名なこの論者は、行そのものを読むのは苦手のようである、という亡き神崎繁の言葉(野澤隆之「哲学はどこまで政治を語れるか──大賢者の遺作、究極の哲学思索!」http://news.kodansha.co.jp/5319 より。)を思い出したが、まあ、この辺で。

 以上、「氷山の頭」(『花田清輝全集 第4巻』講談社、1977年)を参照した。なおこの評論、安吾の競輪不正告発の件などにも言及していて、いかにも花田らしい議論が行われている。読んでいてやはり楽しさはあるので、気になる方は是非ご一読を。

*5:大西巨人は1946年に、石川淳の小説に対して、次のように批判したという(杉浦晋「一九四七年の革命、アレゴリーアイロニー : 石川淳林達夫から大西巨人吉本隆明へ」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006534723 。以下の大西の文章は、杉浦からの孫引きになっていることをお断りしておく。)。

戦闘帽は「真人間のかぶる」物でない、ということは、正しいのかもしれない。しかし作家は、そのことを書いて文学にまで高めるためには、それを書くことによって痛手を負わねばならぬ。[中略]作家は、多くの国民がそんな帽子をかぶって死んでゆくのを作家自身がいささかも阻止し得なかった、ということに、深く激しく責めを感じなければならぬのである。[中略]これは石川本人としては反戦・反軍国主義的文学表現のつもりかもしれないが、こういう安易な「過去への叛逆」は、何人も一切やめるべきである

これは、『神聖喜劇』にも通じる言葉ではないだろうか。戦闘帽は「真人間のかぶる」物でない、で終わらせなかったのが、『神聖喜劇』であるからだ。

*6:「こん ひでみ」と読む

*7: 文学は無力か、という問いに対して、どのように応答できるか。例えば、次のように応答できるだろう(細田和江「書評 岡真理『アラブ、祈りとしての文学』」https://ci.nii.ac.jp/naid/120002314255 )。

出発点はサルトルの「飢えの前に文学は無力である」であり、それに対して「飢えにこそ文学は必要である」と異議を唱えることからはじまる。難民として生きるパレスチナ人たち、あるいはアウシュビッツで死を迎えようとするものたちが「文学を必要としていた」ことを例に挙げ、「文学は、人間がこのような不条理な状況にあってなお、人間として正気を保つために、言い換えれば人間が人間としてあるために存在する」(p.12)と述べる。

そして、

祈りは、済州島 4・3 事件という出来事に対しては無力である。しかし無意味ではない。それと同じように小説は出来事を後付けで記述するしかないので当の出来事に対して無力である。孤独や困難のなかにいる者へはほとんど届くことがない「祈り」。また小説という「祈り」によって彼/彼女たちの現実に変化がもたらされるわけでもない。現実に起こっている悲劇に小説は無力である。しかし無意味ではない。

人が死すべき存在であり、そして、人が他者に対して生き延びてしまう存在でもある以上、文学はたとえ無力と呼ばわれようと、その存在価値は十分にあるだろう。
 もちろん、これは広義の「文学」全般(演劇等も含むだろう)にいえることではある。伊藤氏貴は、岡真理の「応答」に対して、批判的でありつつも、最終的に次のように述べている(「文学の敵たちをめぐる一考察 : 漱石サルトルに抗して」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006329723 )。

文学はその可能性を内部に向かって掘り下げるよりほかない。「記号に還元されない、人間が生きる具体的な性の諸相を描き、私たちの人間的想像力と他者に対する共感を喚起する」点で、より深いものを目指して。周りに新たな敵がどれほど増えようと、むしろその分だけ内に向かって深く。

狭義の「文学」の他ジャンルに対する優位性は、確かにここに認められるだろう。