「京都は観光の街ではない」という話から、「『育てる』というえらそうな物言い」の話まで -鷲田清一『京都の平熱』を読む-

 鷲田清一『京都の平熱』のオリジナル版(2007年)を読んだ。*1  

京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)

京都の平熱――哲学者の都市案内 (講談社学術文庫)

 

 内容は、

〈聖〉〈性〉〈学〉〈遊〉が入れ子となって都市の記憶を溜めこんだ路線、京都市バス206番に乗った哲学者の温かな視線は、生まれ育った街の陰と襞を追い、「平熱の京都」を描き出す。

 という内容。
 京都市バス206番という「洛中」を、京都生まれの著者が自身の哲学・思想と絡ませつつ、論じている。

 以下、特に面白かったところだけ。

何のためのルールなのか

 <信頼>という規則遵守の条件となるものを生徒が問うているのに、校長は「手続きは間違っていなかった」というふうに規則遵守のレベルであいもかわらず問題を受けとめていた。 (145頁)

 教育に大事なことは、規則が成り立つ「条件」を学ぶことだ。
 しかし、この場合、校長にとっては、話し合いとは、それを如何に切り抜けるか、という観点から発想されている。
 本文にあるように「この国の予算審議に見られるような」話なのである。*2
 (これがいったい何の話題なのかは、実際に本書を読んで確かめていただきたい。)

敬語と他者感覚

 家族のことでも他者のこととして言及する、その距離感 (156頁)

 息子が十代の終わりに、東京の大学に進学して、家族のことを語るのに敬語を使って顰蹙を買ったというエピソードが出てくる。
 それに対して、著者の言葉がこうである。
 家族のことでも他者として言及する距離感の方が、身内を貶めてという村意識よりはるかに近代的であり個人主義的だと思う、とのことである。
 これは間違っていないかもしれない。*3
 少なくとも、都会的かもしれない。

都市と身体

 都市とはそれぞれがじぶんで「書く」ものなのである。 (164頁)

 人が慣れた道に迷うことがないのは、目印になる建物から目的地までの光景を体が覚えているからだ。
 景観というのは、「景色のめくれ」という形で、身に刻まれるものであって、単に視覚的に感得されるのではない。
 いかにも、メルロ=ポンティの本を書いている著者らしい発言である。*4

京都と産業

 京都は観光の街ではない。 (191頁)

 京都の観光が占める収入は総収入の一割程度であり、実は典型的な内陸型の工業都市である。*5
 今でも電気機器や輸送用機器が製造用品出荷量の一位と二位を占める(当時)。*6
 世界で二番目の水力発電を作ったのも京都である。*7
 京都を代表する企業、京セラ、オムロン村田製作所*8島津製作所任天堂にワコール、と名だたる企業が存在する。

「育てる」というえらそうな物言い

 じぶん自身をもてあまし、扱いあぐねているおとなに、「育てる」というえらそうな物言いがほんとうにできるのか (216頁)

 育てる、という言葉には、どこか上から目線の感じが付きまとう。
 「青少年の育成」ということを語るごとに、大人たちは、自分のうちに抱え込んだ渇きやもがきなどを隠している。
 むしろ「育つ」という自動詞のほうが、抵抗が少ない。*9

 

(未完)

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*1:なので、頁数は、こちらの方であって、学術文庫版の方ではないので、あしからず。

*2:比較的最近の事例でいえば、「桜を見る会」事件等に対する、瀬畑源(敬称略)の

彼らは公文書管理法の捨てるルールの部分を非常にうまく使い、隠蔽しました。しかし、合法的であれば何でもいいわけではありません。公文書管理法は、捨てるための法律ではないのです

という言葉が想起される(引用は、こちらのツイートhttps://twitter.com/mu0283/status/1213935548974256128 に依った。)。何のための法でありルールなのか、というところが根本である。でなければ、<信>を損なう。

*3: ただし、滝浦真人は次のように述べている(「ポライトネスから見た敬語,敬語から見たポライトネス : その語用論的相対性をめぐって」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009570204 、26頁)。

典型的には「隣の赤ちゃん,よう笑わハルわ/笑いヤルわ」のように使われる.ハル「敬語」と呼ばれるが,忌避的な意味での敬語ではないため,対象が話し手にとって“ウチ”的であることの共感的マーカーと考えた方がよい (引用者中略) ハルは大阪にもあり,関西共通語的な言葉として軽い敬意を表すと言われる.しかしこの場合でも,忌避的な(“ソト”のマーカーとしての)レル・ラレルとは異なり,“ウチ”的なニュアンスを帯びている.

このように、関西弁で「敬語」とみられる他のものも、ポライトネス理論における、「遠隔化」(尊敬/疎外)と「近接化」(親しみ/軽卑)のうち、後者に近いとみるべきものがあるかもしれない。「お父はん」などは、滝浦のいう「共感的マーカー」であろう。

*4:メルロ=ポンティの思想の到達点について、川瀬智之は次のように述べる(「メルロ=ポンティにおける〈存在〉の構造―「奥行き」と「同時性」の概念の展開を手がかりに―(要旨) 」http://www.l.u-tokyo.ac.jp/postgraduate/database/2008/612.html )。

著作『見えるものと見えないもの』では、見る者も、見えるものの背後の「奥行き」のうちに含まれると言われる。 (引用者中略) 晩年の思想においては、身体は、「奥行き」に含まれるものとなる。これは、身体を起点として「奥行き」を考えていた『知覚の現象学』とは、身体の位置付けという点において大きく異なる思考である。

 最終的に、身体自体もまた「奥行き」のうちに含まれるという、「意識の哲学からの脱却」が見えてくるのである。

 もちろん、身体というのは、たんに都合のいい存在ではないことは、米村まろかが、以下のように述べるとおりである(「肉の隠喩と教育(コメント論文,近代教育学の脱構築に向けて」https://ci.nii.ac.jp/naid/110009926848 )。

メルロ=ポンティの言う「身体性」、あるいは「肉」とは、それほど便利で教える者にとって都合のよい、予定調和の概念ではない。特に「肉」の概念は、裂開、「交叉配列」(転換可能性)や「否定性」の問題と結びついており、ある種の失敗や断絶を含んだ概念である。 (引用者中略) それは交感の可能性であると同時に不可能性でもある。

*5:京都市民の総収入のうちで、観光関係収入は一割程度というネタは、起源をさかのぼると、梅棹忠夫までさかのぼることができる(「京都の精神」『梅棹忠夫著作集17』、238頁)。ただし、梅棹のいう「観光関係収入」は、旅館や交通、飲食店といったものの全部を指していることは注意すべきである。

 参考までにいうと、「京都市市民経済計算 経済活動別の市内総生産(名目値)」のうち、「宿泊・飲食・サービス業」は3.8%程度である(「とうけいでみるきょうと」2018年版、https://www2.city.kyoto.lg.jp/sogo/toukei/Publish/Booklet/2018/2018.pdf )。あくまで参考程度のデータでしかないが、現在でも「京都の観光が占める収入は総収入の一割程度」云々は、変わっていなさそうであることは推し量れるだろう。

*6:京都市の経済 2018年版」の統計データ(xlsx)の「表Ⅱ-3-1-6 京都市の製造業の業種別構成比」の項目を見る限り、2018年度の製造品出荷額は、「飲料・たばこ・飼料」が第一位、「電子部品・デバイス・電子回路」が第二位、「電気機械器具」が第三位である(参照URL:https://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000247192.html )。

 「飲料・たばこ・飼料」が全体に対する構成比で3割をマークしている。同じく2018年版の「表Ⅱ-3-2-2 京都市の食料品・飲料等製造業の主な産業(細分類)別事業所数、従業者数、製造品出荷額等」の項目をみると、「たばこ製造業(葉たばこ処理業を除く)」が、「飲料・たばこ・飼料」の結構な割合を占めている。JTの関西工場(伏見)がそれであろうか。 

*7:田中宏によると、実情は以下のとおりである( 「発電用水車の技術発展の系統化調査」 http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/system/report2.htmlのPDF資料より。 )。

1882年にニューヨークで世界初の水力発電が始まった。日本ではその6年後の1888(明治21)年に宮城紡績会社が仙台市の近くの三居沢にあった紡績工場の動力用水車に三吉電機工場製の5kW直流発電機を取り付けて水力発電を行なったのが最初と言われている。/その後1891(明治24)年には琵琶湖疏水事業に併せて蹴上発電所が建設され、日本で始めての事業用水力発電が始まった。

「世界で二番目の水力発電」の実情は、このような感じである。

*8:村田製作所は、創業は京都市であるが、現在の本社は長岡京市である。以下のURLを参照。https://www.murata.com/ja-jp/about/company/factsandfigures 

*9:鷲田自身は別の機会の講演で、次のように述べている(「コリア国際学園後援会の集いでの、基調講演
http://www.fujisportsclub.jp/pdf/20120918.pdf )。

私は「教育とは、教え育てるという他動詞で考えるものではなく、そこにいればこどもが勝手に育つような場所とか空間を作ること」が教育だと思います。何かを教えるとか何かを育てるというよりもむしろ、そこにいればこどもがいれば勝手に育ってしまうような場所、空間を作ることが、教育」だとかねがね考えてきました。

 あと、重要なことを、ふたつほど、引用しておく。

しかし学校というところだけ、逆の質問をするんです。知っている人が、知らない人に質問するというへんてこなことをやっている。要するにこれは、質問という形をとった「試し」、人を試しているんです。

また、

大人がいろんな考えの対立、多様性というものを子供にメニューとして見せてやる。俺はこう考える。俺はこういう風に生きてきた。というその大人が生き方の多様性というのを、見えるようにしてあげる。ということが大事なんじゃないかと

鷲田の教育論として特に重要そうなところを抜き出してみた。引用された事例については、いろいろ思うところもなくはないが、基本的にその言わんとするところには同意したい。

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