昭和の音楽史を「リズム」から綴る。戦前戦後のジャズに始まり、昭和三〇年代のマンボにドドンパからユーロビートまで。 -輪島裕介 『踊る昭和歌謡』を読む-

 輪島裕介 『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』を読んだ(再読)。

踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書)
 

 内容は紹介文の通り、

座っておとなしく聴くクラシックやモダンジャズに対して、ダンサブルな流行音楽を大衆音楽と定義すれば、昭和の音楽史に「リズム」という新たな視点が浮かび上がってくる。戦前戦後のジャズに始まり、昭和三〇年代のマンボにドドンパ、ツイスト、はてはピンク・レディーからユーロビートまで。「踊る」大衆音楽の系譜を鮮やかに描いた意欲作。

というもの。
 ダンスをテーマに日本昭和音楽史を綴った名著である。

 以下、特に面白かったところだけ。

踊れないビバップ

 ビ・バップにおいては、テンポが急激に速くなり、パターンの繰り返しを忌避することで、プレイヤーの即興の技術は飛躍的に洗練されたが、それと引き換えに、踊れない音楽になってしまった (13頁)

 ビバップの音楽が失ったものは、ダンスであった。
 少なくとも、素人にはダンスは無理である。*1

天皇と音楽の自粛

 コマーシャルから「お元気ですか」の声が消された。そして崩御の当日のラジオでは、一日中、西洋芸術音楽が流された。 (24頁)

 昭和天皇危篤と崩御について。*2
 国家の非常時において、厳粛な音楽と「不真面目な歌舞音曲」との区別が前景化した例である。
 ならばいっそ、次に天皇上皇が身罷ったら、「歓喜の歌」を流してやったらどうだろうか。

三拍子系と二拍子系

 三拍子系と二拍子系が同時並行する交差リズムはアフロ・ラテン的リズムの根本的な特徴でもある。 (122頁)

 基本ではあるが、念のため。*3

坂本九プレスリー

 坂本九は、 (引用者略) エルヴィスの曲を得意としていた、というより、ほとんどエルヴィスのモノマネのように歌っていた。 (148頁)

 坂本九は、ロカビリー・ブームの中でデビューしたのである。*4

男女ペアからの解放

 さらに重要なのは、各自が触れ合わずに好きに踊る、ということだ。これによって、男女ペアという旧来の白人社会のダンスの大原則が崩壊し、男性が女性をリードする、という規範的な性役割分担や、過剰な身体運動(とりわけ腰の動き)を忌避するお行儀の良い振る舞いも放棄された。 (170頁)

 映画『ブルース・ブラザーズ』の「Shake Your Tail Feather」のシーンに出てくるダンス(代表的なものはツイスト)、その画期的な点はこれである。
 脱集団性、脱性役割、性解放という側面が存在したのである。*5

アイドルという語

 「アイドルを探せ」を中尾ミエがカヴァーしているが、これは「アイドル」という用語の日本における実質的な初出といえる。 (引用者中略) 若い女性スターと結びついて「アイドル」という語が用いられるようになった最初であることは間違いない。 (177頁)

 ただし(これは既に指摘されていることだが)、1959年に「十代のアイドルたち――団令子・桑野みゆき津川雅彦浅丘ルリ子」という記事が既に存在している*6

橋幸夫世代

 しばしば、主に団塊世代を揶揄して、「自称ビートルズ世代は実は橋幸夫世代だ」といったことが言われる。 (216頁)

 60年代半ば、当時十代だった人々のうち、ビートルズを聴いていたのは実質クラスでも少数で、多くは橋幸夫を聴いていたという。*7
 ビートルズの本格的な日本での紹介は、64年のアメリカ進出以降である。*8

ユーロビートはすごかった

 ユーロビートは、時代的には「昭和歌謡」と「J-pop」をつなぐ存在であり、日本における「洋楽」と「邦楽」の象徴的な区分のありようを再考させるものでもある。 (264頁)

 海外の一過性の流行現象(「イタロ・ディスコ」)が、昭和末期にアイドル歌謡とバブル期のディスコをまたいで流行する。
 それがやがて「日本限定の洋楽」に転じ、通算約30年にわたって継続的に親しまれ、しかもアニメやゲームなどの文化と結びつき、日本独自の音楽として実践される。*9
 ユーロビートはすごかった。

レコード優勢の時代は短い

 大衆音楽において、レコード(とりわけアルバム)の購入を通じた個人的所有と鑑賞(傾聴)に基づく受容が優勢だった時代は、たかだか六〇年代後半以降の数十年に過ぎなかったのかもしれない。 (269頁)

 最近のダンス音楽では、音源はネット上に無料配信、製作者がDJとして招かれる機会を増やすためのプロモ材料としての動きも現れている、と著者は述べている。
 「モダン」の究極のカタチ(音楽の偶然性(ノイズ、身体性、共同性)の排除)であったレコードが、プレモダン≒ポストモダンに押されていく感がある。*10

 

(未完)

*1:1946年の映画『Jivin' in Be-Bop』では、普通にビバップで踊っているので、踊れなくはないのである。難しいと思うが。

*2:直江学美は次のように書いている(「アドルフォ・サルコリの音楽活動に関する研究(2)1913年から1915年のサルコリ関連の資料を中心に」https://ci.nii.ac.jp/naid/40021136251(PDFあり) )。

記事の中の「後半季に至り諒闇中」とは,1912年7月30日の明治天皇崩御により国民が喪に服している状況であり,諒闇中は音楽会などのイベントも自粛された。

こうした自粛(的圧力)は、あたりまえではあるが、戦前からあったのである。

*3:キューバ音楽のリズムについて、嶋田陽子は次のように述べている(「ソン・クラーベに関する一考察 : ソン成立に影響を与えた歴史的背景の整理とワークショップの実践的活用」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006010507 )。

キューバは、サトウキビやタバコ、コーヒーなどの栽培に適しており、商品作物の大規模農園の発達と共に、金や銀の鉱脈が発掘された南米諸国とヨーロッパとを結ぶ物資の中継地点として栄えた。そのような環境の中で音楽も同様に、スペイン起源とアフリカ起源との両方からの影響を受け混ざり合い、独自のリズムを作り出していくのである。スペイン民謡によく見られる、6/8拍子(2ビート)と3/4 拍子(3 ビート)の交互変種によって出来たのがソン・クラーベである

*4:茨城県フィルムコミッション推進室」制作の「いばらきシナリオ素材集」には、次のようにある(https://www.ibaraki-fc.jp/scenario.html )。

高校生の時,エルヴィス・プレスリーに憧れ,右に出る物がいなかったと言われるほど,プレスリーの物まねで人気者となった。

主な文献として、「坂本九上を向いて歩こう」( 日本図書センター・2001)が参照されている。なぜ茨城県坂本九かといえば、彼は川崎市の出身だが、茨城県笠間市は母の実家もあり戦時中は笠間市疎開するなど、大変ゆかりがあるからである。以上、この註について、2024/1/14に加筆を行った。

*5:もちろんそうした、カップルによる社交ダンスから、アフリカ伝来のソロダンスへの解放の萌芽は、リンディホップのブレイクアウェイ(*ジョージ「ショーティー」スノーデンに代表される)あたりに、あるのではないかとも思う(瀬川昌久瀬川昌久自選著作集 1954~2014』(河出書房新社、2016年)、232頁)。

 著者自身は、1955年のマンボブームで日本ではすでにそうした解放の萌芽があったと述べている。

*6:https://twitter.com/FanTaiyo/status/1076247863791837184 において、既に指摘されている。

*7:しかし下手をすると、橋幸夫さえ聞いていなかったかもしれない。以下、https://shbttsy74.tumblr.com/post/131023620314/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E4%B8%96%E4%BB%A3%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E8%99%9A%E9%A3%BE より。

大瀧 ましてそれが東京ででしょ。地方出身者で「ビートルズをリアルタイムで聴きました」なんていうのはやっぱりウソだよね。「お父さんってビートルズ世代なの?」と子供に訊かれて見栄を張るお父さんというのもかわいいけれども、正直に橋幸夫世代だということを告白した方が楽になるよ(笑)。/内田 橋幸夫さえ聴いていなかったかもしれないですよ。音楽聴いてない人だってたくさんいたし。/大瀧 そうだね。音楽を聴いているということは決して必須アイテムじゃなかったからね。/『増補新版 大瀧詠一河出書房新社、2012年

*8:じっさい、湯川れい子「特集!ビートルズ ピンからキリまで」が掲載されたのは、1964年4月号の『ミュージック・ライフ』誌である。この時初めて、本誌でビートルズが特集されたと思われる。

*9:ところで、中文版のウィキペディアの項目で、「ユーロビート」(https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%90%E9%99%B8%E7%AF%80%E6%8B%8D )をのぞいてみたら、V6が日本での代表的な存在になっていて、しかもなぜか M.o.v.e が曲扱いになっているので、誰か修正してしてあげてほしい。

*10:だが、レコード(記憶媒体)のほうに、かえってノイズや身体性が宿ってしまうことがある。戸嶋久は次のように書いている(「Spotify に殺意を抱くとき」https://note.com/hisashitoshima/n/nd2879bb662ff )。

ぼくらはむかしっからレコードに刻まれた音の、それこそ些細な、ごくごく細部に至るまで、ばあいによっては細かなノイズまでの「すべて」を鮮明に記憶しているんですからね。そうなるようにレコードや CD でくりかえしくりかえし集中して聴き続けてきました。ほんの一瞬の音、ノイズですら鮮明に刻印されているんであって、それもこれもふくめての「アルバム」であり「音楽」なんですよ。

ここでは、反復し記憶する中で身体に刻まれるものとして、音楽はレコード(記憶媒体)において存在している。(もちろん、Spotify においても、反復の中で身体に刻まれることはあるだろうが。)
 踊らない身体にもまた、身体性が宿る例である。