あまりに早く映画を完成させたために、宣伝ポスターも印刷がまにあわず、封切館の支配人が「絵看板も作れない」と悲鳴を上げ -山根貞男『マキノ雅弘』を読む-

 山根貞男マキノ雅弘 映画という祭り』を読んだ。

 内容は紹介文の通り、

昭和という時代に、生涯260本あまりの映画を撮った男がいた。マキノ雅弘。時代劇や任侠映画はもちろんのこと、喜劇にメロドラマにミュージカルと奔放自在に撮りまくった。画面を見ていると、まるで祭りのようにわくわくしてしまうのは何故だろう。邦画にかけては随一の見巧者が、マキノ生誕100年を機に、その全魅惑を解き明かす。

という内容。
 早撮りの名人にして、あらゆる映画ジャンルの撮影をしたマキノ雅弘
 ファン必読の内容と言えよう。

 以下、特に面白かったところだけ。

マキノ雅弘の早撮り

 この作品は三日半で完成したが、あまりに早くできあがったため、宣伝ポスターもプログラムも印刷がまにあわず、封切館の支配人が「絵看板も作れない」と悲鳴をあげたそうである。 (14、15頁)

 1939年の映画『袈裟と盛遠』(稲垣浩との共同監督)の話である。
 マキノ雅弘がどれほど早撮りができたか、それを語るエピソードである。*1

 参照されているのは、稲垣浩『ひげとちょんまげ』である。

ただのカットバックではない

 マキノ雅弘一流の「ツーキャメ」方式 (引用者中略) カットバックの一種でありながら、二人の姿を流動性の豊かな切り返しのなかに描き出し、情感を盛り上げる。 (125頁)

 会話する二人を、二台のカメラで斜め前方から撮り、片方の後姿の向こうに相手の正面向きの上半身を捉えたカットを編集で交互につなぐ。*2
 こうした方法をマキノ雅弘はよく使用していた。
 そこにはどんな秘密があるのか。

たった2コマの違い

 たった二コマ、ダブらせるだけで、絶妙なラブシーンが生まれる。 (179頁)

 澤井信一郎の証言である。
 出典は、東映ビデオから出た「マキノ雅弘高倉健」というDVDボックスの封入小冊子である。*3

 「ツーカメ」で撮るとき、切り替え時に2コマダブらせると、流れがゆっくりになって綺麗になるのである。

 逆に、アクションの時は2コマ飛ばす。

 するとアクションが速く見える。

 

(未完)

*1:雑賀広海は、「マキノは制作に携わるスタッフや俳優との念入りなコミュニケーションを重要視し、映画制作は集団的な創作であることを強調している」としている(「阪東妻三郎はなぜ踊るのか 『決闘高田の馬場』の殺陣」https://japansociety-cinemastudies.org/291/ )。当時のスタッフの証言を合わせて考えると妥当な主張と思われる。このあたりも、早撮りに欠かせない要素である。 以上、この註について2024/1/3に加筆を行った。

*2:例として、長谷正人が挙げている例を引用したい(「マキノ雅弘あるいはダンスする映画」http://www.ipm.jp/ipmj/eizou/eizou52.html )。

『弥太郎笠・前編』(1952年)のラヴシーンを思い出してみよう。弥太郎の鶴田浩二が突然旅に出るために、恋仲になりかけている岸恵子に別れを告げるそのシーン。 (引用者中略) 短い会話で互いの思いを上手く告げられないまま別れるという簡単なシーンにすぎないのだが、これを映像として見たときには、実に素晴らしい印象的なシーンなのである。 (引用者中略) 「振り返る」アクションはすべて、遅延したカッティング・イン・アクションによって、微妙に誇張された「回転」動作のように見える。つまりこのラヴシーンは、まさに二人の男女が息を合わせて回転しあうダンスシーン(あるいは、この映画全体で出てくる盆踊りそのもの)として構成されているのである。

 なお、こちらのブログ(http://sajiya.blog89.fc2.com/blog-entry-504.html )で、その映像を視聴できる。

*3:澤井信一郎は、山根を司会とする座談会で、次のように述べているという(ブログ・『パラパラ映画手帖』より「マキノの撮影現場に迫る~「マキノ組助監督の座談会」京都映画祭だより~」https://blog.goo.ne.jp/paraparaeiga/e/93b232728cb93635d1432711291eb797 )。

僕が東映東京で助監についた時は、既に2つのカメラで撮影していたので、中抜きはなし。マキノ監督はフレームの中に一人しか映っていないのは嫌い。一人だと動きが少なくなり、静止(ストップモーション)になる。一人を写すとしても、相手をなめてからとか、相手も画面に入れ込んだりして、もう一人がたとえぼけてても、そのほうが動きがある。画面の中に複数いることで流れができる。