岡本太郎は、塗料としてカシューと胡粉を使い、ドウサも引いていた ―吉村絵美留『修復家だけが知る名画の真実』を読む―

 吉村絵美留『修復家だけが知る名画の真実』を読んだ。

 内容は紹介文の通り、

歴史的絵画の発見、2つあるサインの謎…修復の過程で出会った名画の秘密、偉大なる芸術家たちの素顔とは。

という内容。
 絵画の修復に興味のある人は、読んで楽しめるはずである。

 以下、特に面白かったところだけ。

 岡本太郎が使用したカシュー胡粉

 まるで黒漆のように異様に艶があるのです。(略)調べてみると、人工漆のカシュウであることが判明しました。 (53頁)

 岡本太郎の使う黒色についての話である。*1
 なお、著者によると、ミロは艶消しの黒を使ったらしい(96頁)。

 胡粉が使われているところは、艶がない分、白の強烈な感じがよく表れていました。 (引用者中略) 普通の絵の具だと、下にある色をある程度反映してしまうことがあります。それをカバーするには、艶を消すのが一番効果があります。 (55頁)

 岡本太郎は、日本画ではよく使われる胡粉を使用していたという。*2

 なお著者は、胡粉は汚れが付きやすいので、絵画洗浄の際は超音波加湿器で表面に細かいスチームで汚れを浮かせて、落とすという。

紙が基底材として優れている点

 紙そのものは軽く反ったり歪んだりすることはありますが、絵の具自体の痛みは非常に少ないのです (92頁)

 実は、そういった点では、紙の方がキャンバスよりいいらしい。*3
 厚紙の場合、パルプの小さな繊維を圧縮して作っているので、水分や湿度による伸び縮みがわずかしかない。
 当然、絵具の伸び縮みもなくなる。
 また、絵の具の食いつきもよい。
 その結果、痛みにくい。
 ただし、パルプは酸化してしまうのが欠点である。

油絵で、ドウサを引く

 その作品は、和紙にドウサといって、ごく薄い膠を表面に塗った上に描かれていました。ドウサが完全に乾くと、その面は繊維が全部きれいに寝て、表面がなめらかになります。描き易くなる上に、油も染み込みません。 (105頁)

 岡本太郎は、油絵の具で水彩画のように描いた。
 新聞紙で油絵の具を油抜きしてつかったが、それだけではない。
 日本画のように、ドウサを引いて、油絵の具を載せたのである。*4
 岡本太郎は、絵画など材料のことに詳しかったのである。

藤田嗣治の面相筆

 日本画で使う面相筆を自分で加工して描いていたと思われます。おそらく、筆の穂の中心に、細い針を入れていたのでしょう。 (114頁)

 藤田嗣治は面相筆を使用した。*5
 彼の絵の具は薄く、亀裂を修復しづらいという。
 亀裂に色を入れようとしても留まりにくいからだという。

絵画修復と絵の具の厚み

 モネのように適度な厚みがあるのがもっとも接着し易いのです。 (178頁)

 絵画修復で亀裂を接着する場合、絵の具の層が薄いと断面積が小さいので付きにくい。
 だが、逆に厚すぎると、汚れが入り込むなどして扱いにくい。*6
 中くらいがちょうどよい。
 また、モネはあまり絵の具を混ぜないので、化学変化によって変質や変色を起こしにくいのである。

作品の対角線の2倍の距離から鑑賞

 大きい作品は、遠く離れて眺めないと、本当の美しさは理解できないことがあるかも (181頁)

 絵は、作品の対角線の2倍の距離から鑑賞するのが最適である。
 大きな絵の場合は難しいので、目を細めてみると、視界がぼやけて細部が見えなくなり、作品が美しく見えるという。*7

 

(未完)

*1:佐々木秀憲「北大路魯山人と岡本家の人びと」(http://kousin242.sakura.ne.jp/wordpress015/%E7%BE%8E%E8%A1%93/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3/%E7%8F%BE%E4%BB%A3/%E2%96%A0%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%B7%AF%E9%AD%AF%E5%B1%B1%E4%BA%BA%E3%81%A8%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%81%B3%E3%81%A8/ )には、岡本太郎の絵について、

《赤のイコン》(上図)には、梵字に似た抽象的なモチーフが激しい筆致で描かれている。中心のモチーフである黒い線を際立たせるため、絵具の上には、カシューと呼ばれる漆に似た光沢のある塗料が施されている。

とある。

*2:著者自身は、

「エクセホモ」など岡本の別の作品では、つやのまるでない白が描かれていた。調べてみると、日本画で使う顔料である胡粉(こふん)を使っていた。つやがないとほかの色の照り返しがないので、かえって白が強く感じられるのだ。

と書いている(「岡本太郎は、実際には熱心な画材研究家でもあった――吉村絵美留さん」ブログ・『電脳筆写『 心超臨界 』』https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/13b8a724aa6ba763af009e16aeb53bc9 )。

*3:『SEKAIDO ONLINE SHOP』の説明によると、

キャンバスが置かれる環境として理想的なのは気温(室温)17℃~25℃、湿度44%~55%です。 (引用者中略) これを見誤ってしまうとキャンバスに膨張、収縮が発生しシワがよったり逆に画布が強く張られ過ぎて木枠が歪みます。

とある(「オリオンの張りキャンバス・キャンバスボード」https://webshop.sekaido.co.jp/product?parent_category_sm=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%8D%E3%83%AB%E9%A1%9E&child_category_sm=%E5%BC%B5%E3%82%8A%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%90%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89&maker=%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3 )。

*4:中右恵理子・長峯朱里は、東京藝術大学所蔵の高橋由一作≪鮭≫について、次のように書いている(「高橋由一作《鮭図》の絵画材料および技法について」https://ci.nii.ac.jp/naid/40021952803/(PDFあり) )。

明治30年5月に小林萬吾から買い入れ収蔵された。支持体は紙であり、和紙ではなく洋紙である。紙に膠でドウサを引き、その上に直接油絵具で描いている。地塗りは施されていない。

高橋由一がすでに紙にドウサを引いていたのである。

*5:林洋子によると、針を入れた面相筆の実物は見つかっていないが、描線に針らしきものでついたような凹みが見られる作品があるらしい、と述べている(『藤田嗣治作品をひらく 旅・手仕事・日本』(名古屋大学出版会、2008年)、160頁)。可能性としてはあり得るのだろう。

*6:分厚い絵の具層の代表といえば、ゴッホであろう。そんなゴッホだが、自分の絵は割と丁寧にケア・処理している。ゴッホの1890年4月の弟テオへの手紙には次のようにある(『art-vanGogh.com』のサイトよりhttp://art-vangogh.com/auvers_25.html。英訳したものを参照した。 )。

Anyway, they must be washed again several times in cold water, then a strong varnish when the impasto is dry right through, then the blacks won’t get dirty when the oil has fully evaporated. 

*7:平倉圭は次のように書いている(「屏風の折れ構造と「距離」 : 菱田春草《落葉》・《早春》を見る」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006719099。*省略記号等を一部変更して引用を行った )。

一九〇九年十月、文展出品中の《落葉》について、美術史家の瀧精一(節庵)は東京朝日新聞にこう書いている。「 (引用者中略) そも西洋画は之を画面の最大対角線の二倍の距離より観望するを通則となせるが、……さるを近頃に至って日本画はその観望の距離を注意せざること甚だしく是は大いに作家の反省を要するものなり菱田氏の「落葉」の如きは大紙面の屏風なるが故に猶更遠く見るを要するものならずや (引用者省略)

とある。このあと春草からの「反論」に言及されるが、ここで重要なのは、すでに1900年代には、こうした「西洋画は之を画面の最大対角線の二倍の距離より観望するを通則となせる」ことが日本でも知られていたということである。