斎藤晴彦『斎藤晴彦〈音楽〉術・モーツァルトの冗談』を読んだ。
内容は、俳優であり、クラシックの替え歌で著名な著者の、音楽エッセイめいたものである。
個人的には、某番組でやったジャズの替え歌が好みではある。*1
以下、特に面白かったところだけ。
モダンジャズに食傷
「おれが、おれが」といってるようにしか聞こえなくなってきて、それに食傷しちゃったんだね。 (40頁)
筆者がモダンジャズに飽きてしまった理由である。
まあ、身もふたもないが、わからないではない。*2
ブレヒトの影響
おれがクラシックのメロディに言葉をつけてうたうやり方は、すくなからず『三文オペラ』とか『阿部定の犬』の影響をうけている (48頁)
オペラだと、メロディ第一主義で、言葉はいい声の引き立て役となる。
ブレヒトとワイルの場合、役者が歌いやすいように、言葉がわかるように、どんどん音楽を変えている。*3
エノケンの音楽の才能
かれはメロディを絶対にのばさない (63頁)
筆者(斎藤)は、エノケンの歌い方を意識しているという。
歌い上げず、こぶしを聞かせることもしない。
早めに切ってしまう。
でも伴奏は続くから、聴衆は、その間言葉が残像になって残る。
そういう方法である。*4
エノケンの歌を聴くとかならずある種のジャズ・ボーカルを思いうかべる。 (65頁)
エラもサッチモも、メロディーはきれいだけど、それではすまないものがある。
聴衆はそれを楽しみながら感動する。
そしてこの系譜には、悪声が多い。
そのおかげで、自分の声にのめりこまずに客観的な、「作曲家なんかと近い位置」に身を置くことができる。
エノケン評として覚えておくべきものである。*5
風刺をやりたかった
マス・メディアというのは、じつはあの手のやつがいちばん好きなんだ。ただし、風刺はだめ。パロディまで。 (82頁)
自分は話芸では客を感動させられない、と思った筆者(斎藤)。
そこで「軍隊ポロネーズ」を「ワレサのノーベル賞受賞」をテーマに風刺で歌った。*6
斎藤は本当は風刺をやりたかったらしい。
(未完)
*1:とりあえず、ようつべのリンクを貼っておこう。https://www.youtube.com/watch?v=ZzCEk98SmFQ
*2:ブログ・「心に残った音楽♪」の記事には、次のような言葉が載っている(「『THE GIL EVANS ORCHESTRA / OUT OF THE COOL』」http://cdcollector.blog.fc2.com/blog-entry-79.html )。
ではモダンジャズの個人技的なアドリブプレイが最高かというと、そちらに走れば走るほど、音楽のうちの曲という素晴らしさというものが消えて行ってしまう。派手で華麗なプレイを追っていくと、どんどんフリージャズ方面に行ってしまうのですが、そうなるとフォルムが消えてしまう。
フリージャズが苦手なジャズ好きなら、斎藤の気持ちはわかるかもしれない。自分はフリージャズも悪くないと思うが。
*3:なお、『安倍定の犬』というのは黒テントの代表作で、『三文オペラ』のクルト・ワイルの音楽が転用されている。斎藤は黒テントの創立メンバーである。
ブレヒトの劇中歌(ソング)と言えば、黒色テントの佐藤信・林光コンビの日本版ソングには、素敵な作品がたくさんあります。有名なクルト・ヴァイル作曲の『三文オペラ』の「マック・ザ・ナイフ」だって、二人の手にかかれば阿部定事件の「包丁お定のモリタート」になってしまうんだから。 (ぱんこさん「CDのうらおもて 第19回 宮沢賢治からブレヒトへ」http://www.fukushi-hiroba.com/magazine/book/essay/cd/040521_cd.html )
*4:井崎博之は、服部正の証言を紹介している。それによると、浅草オペラのコーラスボーイ時代に、エノケンは本格的なオペラ唱法を身につけたのだという(『エノケンと呼ばれた男』(講談社、1985年)、41頁。)。エノケンは、歌に関しても才能のある人物だったのである。
*5:エノケン評として、故・相倉久人のものも、紹介しておく。https://twitter.com/gosan5553/status/799769462635233280
*6:この歌詞についてはhttp://suigyu.com/2014/12#post-3295 を参照。