海老原嗣生『学歴の耐えられない軽さ』を読む。
著者は、「企業人となってから生かせるような学問 (略) もし、そういう学問を教えてくれる大学があったなら、社会人になる予定の学生たちも、喜んで勉強をするだろう。その証拠に、企業で即生かせる内容が主流の理系学生は、同じ大学生でも「ここまで勉強するか」というほど勉学にいそしんでいる。/そうして彼らの多くが教授推薦・学部推薦などで早々に進路が決まる。」というふうに書いている。
うーんどうだろうか。
第一、それだと、文系に教授推薦がないとおかしいわけだから。
学生が求めているのは、企業へのパスであって、「企業人となってから生かせるような学問」じゃない。
理系学生があれだけ勉強するのは、それが教授の評価=企業へのパスに直結するからだ。
げんに、著者自身が既にそう書いているんだし。
著者は、大学はいっそ「補習の府」になるべきであり、いっそこうしたカリキュラムを、と大胆に提言する。
「社会人に必要な教科を各学部から拾い上げ」る。
内容は、 「地誌」「ビジネス英語」「簿記」「税務」「価格理論」「マーケティング」「労働法」「商法・会社法」「特許法」「給与・社会保険・年金計算」「組織心理」「経営文学(経営を扱った小説など)」「商業金融」などを集め」、 「基礎力として、小学校社会・算数、中学英語の復習を、一般教養過程に盛り込む」のだという。
基礎としての「復習」というのは、大学の現状を考えた場合、決して悪い提案ではないと思う。
ただ、科目がw
「経営文学」は正直、不要だろうし、それにどーせ、ほとんどの学生が営業にまわされるのだから、もっと営業向けの科目に絞り込んだ方がいいと思う。
それに、科目が何だか、大企業向けになっている気がする。
中小企業の営業職なら、もっと泥臭いことを教えた方がw
こういったカリキュラムは、もっと企業側(むろん中小企業を含む)の意見を反映させた方がいい気がする。
本気でやるなら、ね。
(まあ、もっとも、こうした改革が必要になるのは、比較的下位の大学になるんだろうなあ)
著者曰く、「すでに今の大学生(特に文科系)は学問などはほとんどしていないのが現実だ。大学での専攻について、就職活動の面接でまともに語れる学生などいない」。
そして、「こんな体たらくよりは、簿記なり会計なり民法なり、といった「ビジネス寄りの学問」でも、真剣に学んだほうが学問の府として意義はある」。「「会社で必ず役に立つ」「将来の自分のキャリアを広げる」こうした触れ込みがあれば、学生たちも本気で学ぶことになる」。
うーん。どうだろw
それだと本来なら、商学部が過当競争になってるはずなのでw
大学改革という点に関しては、以前取り上げた、矢野眞和『「習慣病」になったニッポンの大学』をお勧めしたい。
結局、卒業を難しくすれば、嫌でも学生は勉強せざるを得ないわけですから。
問題はそれをどういうシステムでやるかってはなしだもの。
本書の魅力は、マクロのデータを使って論じる所だ。これには勝てない。
正直、「ミクロ」に関する著者の解釈は若干怪しいけど、マクロの方は、納得せざるを得ない。
例えば、「高卒相応の職場」が減っているという指摘だ。
自営業は、生産年齢人口の減少幅を大幅に上回る減り方をした。
そして、「円高・グローバル化により、工場の海外移転が起き、製造技能工という受け皿が縮小」した。
職場はもう、販売・サービスだけだ。
「高卒相応の職場」が今の社会にはない。
なぜこのような現象が見逃されてきたかといえば、高卒の人間自体が減少したためだ(代わりに大卒が増えた)。
「高卒就職者は、1985年から2005年までの間に、なんと7割以上の減少を見せた」のである。
製造業派遣についても述べている。
曰く、「製造業派遣の就労者は60万人前後と推測され、就労者全体に占める割合で言えば、0.8%程度」しかない。
実はこの多くは、「構内請負業」として90年代よりずっと同じような待遇にて就労していた」のであり、「雇用形態名称を「派遣」に変えただけ」というのが現実である。
もっというと、その源流は、50年代にまでさかのぼれるという。
つまり、製造業派遣というのは、新しいようで実は古い問題である。
それより注目すべきは、「製造業従事者自体が20年間で1397万人から1065万人へと激減した」ことである。
産業形態が大きく変わってしまっているのが如実に分かる。