「ソシアル」をちゃんと知っていた福田徳三(当たり前だが) -市野川容孝『社会』を読んで-

 市野川容孝『社会』を読む。



 「ナチの優生政策と安楽死計画を、ドイツの一精神科医として批判的に検証してきたK.ドゥルナー」は、その計画にあたった人びとの背後にあった心性を、「死に至る憐れみ」と表現する。
 「何て可哀相な人」
 「何て気の毒な人」
 「何て惨めな人」
 「そういう深い同情とともに、「健康」な人びとは、自分たちとは違う生命を大量に殺した」。

 医師たちは哀れみを持って応じたが、その哀れみは、「自分への同情」にすぎなかった。
 病気のない世界、病気のない人間、そういった理想を抱いた医師たちにとって、目の前にいる者たちは、否定せざるを得ない存在だった。
 自分たちの理想のためには、殺害するほかなかった。



 ソシアル、と聞いて、それが、リベラルと対立する概念であることを知る人は少ない。
 正確には、そういう用法があることを知る人は少ない、というべきか。

 日本では、その「ソシアル」という概念への認知度が低い。
 著者の言うように日本の知識人には、「18世紀の政治経済学に対する批判のすべてはマルクスに集約されているのだから、マルクスが批判した他の政治経済学批判=社会科学は読む必要がない、読むに値しないと決めつける傾向」があるからだろう。
 しかし実際は、マルクス主義は欧州において、「確かに最も有力なものとはいえ、社会科学の一つにすぎない」のであり、それ以外の様々なソシアルの思想が「多重で分厚い層を形成していったのである」。
 このような伝統の厚みこそ、「冷戦崩壊後もヨーロッパにおいて、政治的言葉としての「社会」が衰滅しない一つの理由」。
 だから、日米における「ソシアル」の弱さは、その伝統の薄さによるものといえるかもしれない。



 一方、福田徳三のような戦前の学者の場合、「独語の"sozial"」を、「被抑圧者の解放に関すること一切を形容する語である」として、きちんとわかっていた。
 「福田は、今日のドイツやフランスの「社会的な国家」という憲法規定にも継承されている「社会的」という言葉の意味を正確に理解して」いた。
 しかし一方で、その福田自身が、「厚生」という("「上」から与えられる"というニュアンスの強い)語を導入することで、日本における「ソシアル」のあり方を幾分も変質させてしまったことは本書でも触れられている。