大木雅夫『日本人の法観念』を読んだ。
内容は紹介文の通り、
従来,西洋の権利中心の法文化に対して,日本は義務中心の特殊日本的法文化とされてきた.本書は,そのような通説を歴史的・実証的に批判し,西洋と日本を「対立の相」としてとらえることの危険性を明らかにする.
というもの。
1980年代の著作だが、いまだに古びていない内容であるように思う。
以下、とても面白かったところだけ。
君主政と矛盾しない「共和国」?
ルソーが「共和国」というとき、君主政を打倒して共和政にせよとの含意があるわけではない。 (81頁)
君主政と貴族政と民主政とを問わず、およそ「法という一般意思に導かれるすべての政府」を意味している、と著者は述べている。
彼の言う「共和国」とはそういうものなのだ、と。*1
フランス革命の一側面
権利の絶対視に対する疑惑があっただけではない。さらに人権宣言それ自体にすら疑念がもたれていた。 (105頁)
人権宣言の起草に関して、議員の中には、権利宣言に義務宣言を加えよと主張する者もいたのである(国民議会における議員、カミュ、グレゴワール、リュベルサックら)。*2
さらに、議員の一人であるマルーエは、フランス人は米国人のようには平等と所有権の長い習慣をもたないので、この宣言は混乱を惹起するだろう、と述べている。*3
これが1789年の歴史の一側面である。
双務と片務
鎌倉武士が数多く残した軍忠状は、いかにも中世的な「献身の道徳」の証拠などではなく、軍忠を誇張して少しでも多くの恩賞にあずかろうとする宜伝文である。 (163頁)
鎌倉武士の主従関係は、土地の給付とその所領によってなす軍事的・経済的奉仕との双務的交換関係である。
あくまでも双務的であって、一方的忠誠義務ではない。
鎌倉武士の残した軍忠状も、軍功を誇張して少しでも多くの恩賞に与ろうとする宣伝文なのである。
実際、『世鏡抄』では、反対給付のない主従契約は従者の側から破棄せよ、と勧めているのである。*4
裁判官の数の推移
ここ三○年来、弁護士数こそ倍増したが、裁判官数にはほとんど変化がなく (241頁
1983年に出た本にこう書かれている。
この傾向は、およそ現在にも続いているものである。*5
著者の問題意識は、こうした裁判組織の未成熟が日本法の発展や日本における法観念の形成に重大な影響力を及ぼしたのであって、これを無視して、儒教道徳のせいだとか封建的な法意識だとかに結び付けようとするのは、観念的すぎる、というものである(220頁)。*6
(未完)
*1:中金聡は次のように述べている(「ルソーの政府論 : 決定の三肢構造について」https://ci.nii.ac.jp/naid/120006496670 )。
人民が主権者であるとは,ルソーの場合,人民が法の制定者であるという以上のことを意味してはいない。そしてこの主権者という決定の〈選択者〉は,政府という決定の〈強制者〉とは職務のうえで別個であるから,同じ人民主権ではあっても,政府形態からみればそのなかに「民主政」や「貴族政」や「君主政」でさえもがありうることになる。すなわち民主政(Democratie)とは人民の全体あるいは大多数が行政官であるような政府のことであり,少数者に制限されていれば貴族政(Aristocratie)であり,ただひとりに委任されているのなら君主政(Monarchie)ないし王政(Gouvernement royal)というわけである
*2:山本浩三は、「高位聖職者であり、哲学者でもあったリュベルサック(J. B. J.Lubersac)の庇護をうけ、その秘書となり、リュベルサックが一七八〇年シャルトルの司教(Eveque)となると、シエースは助任司祭(Vicaire)に任命された。」とシエースとの関係について述べている(「シエースの憲法思想とその評価」https://ci.nii.ac.jp/naid/110006935525 )。
*3:阪上孝も次のように述べている(「フランス革命における知識と秩序」https://ci.nii.ac.jp/naid/110000238745 )。
封建制もそれに由来する偏見も知らないアメリカ人のもとでは,平等に慣れたアメリカ社会においては,自由権利は即座にうちたてられるだろう。しかしフランス人においてはそうはいかない,とマルーエはいう
マルーエは、穏健派として知られ、君主制を擁護していた人物である。
*4:ただし、軍忠状が多く残っているのは鎌倉時代ではなく南北朝・室町時代である点など、歴史学的には注意を要する点がある。詳細、石井進「主従の関係」(『講座日本思想 3』東京大学出版局、1983年)の271頁などを参照。
石井は、『世鏡抄』が破棄を勧めているのはあくまでも、外様の侍(佐藤進一の言う「家礼型」の者)たちに向けてであって(同280、281頁)、また、「双務性」への期待はあるとしても双務契約そのものではなかったのではないか(同284頁)、と述べている。
*5:2014年時点で、裁判官の数も増えてはいるものの、それを上回るほどに弁護士の数は増加している。以下、他ブログの「【データ】裁判官数・検察官数・弁護士数の推移」(https://news.milize.com/2015/07/23306/ )を参照のこと。
*6:こうした点については、著者の論文・「極東の法観念に関する誤解」(https://ci.nii.ac.jp/naid/130003574957 )等も参照。
