蒋介石の「日本精神」 本田善彦『台湾総統列伝』(2)

蒋介石の「日本精神」■
 本書では、父親・蒋介石についても、いろいろな情報を載せています。
 例えば、台湾・中華民国での経済的基盤について。日本側が残した資産は、その多くが政府と国民党の資産となります(11頁)。
 たしかにこれは常識的ですが、さらに、蒋介石が、大陸を離脱する前に、大陸側の銀行の所蔵する金銀・外貨を台湾へ移送し、持ち逃げして(息子・蒋経国も手伝いました)、これが大陸陥落の原因になり、一方では、台湾の金融財政を安定させた(23頁)といいます。これを聞くと、歴史の妙を感じます。この【持ち逃げ】が大陸側の財政にどんな影響を与えたか、ということも含めて、です。
 スターリン毛沢東の考えの違いが、「朝鮮戦争を誘発し、結果として蒋介石政権の延命を決定付け」た(32頁)という歴史のもつ偶然性も書かれています。朝鮮特需による日本の経済復興を考えればなおのことです。
 また著者は、彼の日本陸軍で学んだ、旧日本軍人の如き厳格な生活スタイルについても触れています。ここで興味深いのは、台湾における「日本精神」の位相に触れたブログ・『ものろぎや・そりてえる』様の記事です。
 「ジョージ・H・カー『裏切られた台湾』」という書評記事を見てみましょう。曰く、「日本精神」という名前で、台湾において礼賛されるこの概念は、実際は、「約束を守る、ウソをつかない、時間厳守、礼儀正しさ、勤勉、公共心など日常一般の生活道徳に重きが置かれているようだ(平野久美子『トオサンの桜』小学館、2007年を参照のこと)。」というのです。要するに、台湾の人が「日本精神」を褒めるとき、それは主に、勤勉さなどの生活道徳の面なのです。
 日本は台湾に対して「日常的な行動様式という面でも資本主義に適合的なインフラ整備を進めていた」、という『ものろぎや・そりてえる』様の重要な指摘は置いておきましょう。重要なのは次のことです。すなわち、この記事の文脈でより上記条件に当てはまるのはもちろん、李登輝なのですが、陸軍士官学校で学んだ蒋介石もまた、このような「日本精神」を学んだ一人だということが、資本主義云々は別にして言い得る、ということです。
 「蒋介石は、白団のメンバーの建言には真剣に耳を傾けた」(53頁)という、苦しいときも自分を見放さなかった者は厚く信頼したというこのエピソードも、もちろん、彼の親日(または軍隊仲間)意識が背景にあったのだろうと思います。「白団」とは、蒋介石の要請で結成された、国民政府軍を極秘裏に支援する旧日本軍による軍事顧問の一団のことです。詳しくは、中村祐悦『新版 白団(パイダン) 台湾軍をつくった日本軍将校たち』をご参照ください。
 ちなみに、蒋介石の「介石」は、字(あざな)であって、名前は「中正」です。「中正紀念堂」という蒋介石のための建物もあります。なぜ、流通している呼び方が、「蒋中正」ではなく、「蒋介石」なのでしょうか。そういえば謎です。大陸の毛主席は、「毛沢東」なのに。「諸葛亮」ではなく、「諸葛孔明」と呼ばれるのと同じように、謎です。(なお、孫文も、中国では「孫中山」という呼び方が一般的ですが、「中山」は号です。)

■おまけ:本省人外省人
 余談として、本省人外省人の違いについて。
 本省人とは、1945年以前に、中華民国へ台湾が帰属する以前に、台湾に住んでいた漢民族高砂族を含む諸先住民、及びそれらの混血の子孫を指します。その漢民族は、閩南系と客家系の二つに大別されます。各々の母語は、外国語なみの違いがあるそうです。先住民族の方は、マラヤ・ポリネシア系で、いくつもの部族に分かれます。
 対して外省人は、台湾の「復帰」以後に、中国大陸等から移住してきた人々とその子孫を指します。つまるところ、台湾における本省人外省人の違いは、「台湾へ移民した時期の早晩」です。だから、戦後の移民は、客家系でも外省人に当てはまるわけです(12頁)。映画監督・侯孝賢は、客家系の外省人に当たります。
 台湾では、少数派の外省人が、多数派の本省人を支配する構造が長く続いたので、各々に政治的対立の意識があるとされています。李登輝などの高齢本省人親日的傾向は、本省人の国民政府の圧制への失望から、過去と現在を比較し、過去の日本統治のほうがよかった、という理由で生まれたといいます(167頁)。(注1)要するに、本省人外省人との対立が背景にあったわけです。
 ただし、本省人内部でも多民族のため、閩南系の人々が多数派として君臨して、客家系や先住民に高圧的な態度をとることがある、ともいわれているようです(13頁)。必ずしも本省人は一枚岩でもないのです。外省人本省人との壁も、戦後世代以降は曖昧になりつつある、という実情も踏まえた上で、単純な二項対立で片付ける姿勢はやはり避けねばなりません。

(続く)


(注1) 「日本語世代の台湾人の親日感情の背景」が、簡単には一般化できない事情については、「五十嵐真子・三尾裕子編『戦後台湾における〈日本〉──植民地経験の連続・変貌・利用』」(『ものろぎや・そりてえる』様)をご参照ください。

(追記) 蒋介石と「日本精神」の関係については、蒋介石の起こした「新生活運動」の問題があります。これに関しては、段瑞聡『蒋介石と新生活運動』と、著者自身による紹介もご覧ください。