台湾のアイデンティティと、中国共産党の存在 本田善彦『台湾総統列伝』(3)

■本書に対する批判に対する反批判■
 著者の第五章に関しては、すでにウェブ上に書評が存在しています。これに突っ込みを入れなら、本書の著者の主張を見ていきましょう。その書評というのが、「書評『台湾総統列伝』−「中立的視点」を斬る」です(この書評の書き手を、ここでは「評者」とよび、「著者」と区別することとします。「著者」とは本田善彦氏を、「評者」は上記書評の作成者を指します。)

 私に言わせれば、一見客観的に見える本田氏の論説も、実は国民党系メディアなどに大きな影響を受けて偏った視点となっている。

という風に、この人は、かますわけです。もちろんこのかたは、【民進党系メディアに大きな影響を受けて偏って視点となっている】という批判は覚悟しているんでしょう。
 それにしても、評者の腰が引けています。本書のうち、第1章から第4章までのきちんとした批評を回避して、第5章だけ反論しようというのが間違いのもとです。では、評者の批判を、くわしく見ていきましょう。

■台湾におけるアイデンティティ、及び【敵】について■
 本書の著者は、台湾におけるナショナリスティックなアイデンティティについて、「国民党(その多くは外省人のイメージに重なる)や中共などの「敵」が存在しなければアイデンティティーを維持できないという、パラドックスを抱え込」んでおり、「常に内部に敵を作り出すことによってアイデンティティーを確認しあうという、恐怖の構造」があることを指摘しています(280頁)。これに対して、評者は、

自由と民主が実現した現在においても、台独派が勢いを増し続けているということは、「敵」が存在しなくなっても台湾人アイデンティティーは維持できると断言できると私は思っている。

と反論しています。「国民党政権時代になって、被害者意識から台湾独立運動や台湾人意識が強まったことは事実であろう。」と前置きして反論をしているのですが、実はこれ、反論になっていません。著者の主張は、自由主義国家だろうと警察国家だろうと関係のない議論だからです。そもそも著者は、この類のナショナリスティックな「アイデンティティ」というものが原理的に【敵】の存在なしに成立しない、ということを前提に書いるのだと思われます。台湾独立派の場合それが甚だしい、といっているのでしょう。
 また、評者は、「我々台独支持の日本人が本当に台湾を蔑視しているのであれば、李登輝氏や林建良氏らの活動家はいずれそのことに気づき、日本人の協力を求めなくなるであろう。」という主張もしています。ですが、親日」が台湾世論の代表であるかのような虚構が出現したのかについて、著者はその理由を、李登輝や台湾独立派が、日本の世論を利用したのを、さらに日本側が利用したため、と説明しています(293頁)。お互い政治的思惑があったというわけです。評者の反論は成立していないのです。(注1)

むしろ国民党などの親中勢力や、中共の武力脅迫などによって多くの台湾人の台湾人アイデンティティーが押さえつけられているのが現実だ。(中略)中国の経済発展に目がくらんでしまったのか、中国共産党の暴虐的特質に気づかないか目をつぶろうとする日本人や台湾人があまりにも多い。

ともおっしゃってるのですが、これって逆に、台湾人のアイデンティティや志しが弱いってことじゃあないでしょうか。「台湾人アイデンティティーとはもともと日本統治時代に形成が始まった」云々とか言ってたくせに、こんなもんでもろくも崩れる、と。(注2)
 ちなみに著者は、実際のところ、台湾の人々の多くは、現状維持を望んでおり、統一も独立もどちらともいえないのが現実だと述べています(283頁)。評者に言わせると、そんな台湾の人々も「台湾人アイデンティティーが押さえつけられている」んでしょうか。

中国共産党と【道徳】問題■
 ついでに、評者の中国共産党への敵愾心について。評者曰く、「とにかく中国共産党はあらゆる悪に悪を塗り固めたような極悪殺人集団」であり、中国人の自由は「中国共産党に対して奴隷のように付き従うことを絶対条件とした上での「自由」」である、云々と辛口です。はあ、そうなんですか、とやり過ごすのもなんなので、何か言ってみましょう。なお、文章を読む限り、評者の怒りは中国人の人民ではなく、「中国共産党」に対してあるようです。たぶん、大陸側の人々一般は嫌いじゃないのでしょう。
 評者の、「凶悪殺人集団が統治する国家との友好関係を標榜することは間違いなく正義に反し、悪に加担する行為」だという言葉に、賛成しようと思います。理由は、中国の悪行は、アメリカやロシア等に匹敵するからです。特に、台湾を反共の砦とし、海峡を挟んだにらみ合いを固定化させたのはともかくも、アメリカは、中国の福建省における台湾へのミサイル状況を公表して危機を煽り、兵器売込みを進め、台湾は言い値で買う(269頁)というこすい構図を作った国です。
 これを許しておけるでしょうか。米国との「友好関係を標榜することは間違いなく正義に反し、悪に加担する行為」じゃないでせうか。これまでの他国への米国の覇権的暴力も含めて。しかしどうやら著者はその点には、触れようとしないつもりのようです。(ところで、評者は、ロシアという国があるのをご存知でしょうか。)
 ついには、「道徳的な疑問を抱かないようであれば、さらには中国共産党の暴虐的特質に疑問を抱かないようであれば、中国や中台関係、さらには日中関係に対する正確な理解などはじめから不可能である。」などと、「道徳」という俗流中華思想歴史観を吐き出す始末。
 「かつての共産主義独裁国家と違い、民主国家となった台湾では非常に多様な意見が存在し、善と悪、統一か独立、中国か台湾などという二元論でものを見ることは不可能である。」とおっしゃる評者ですが、中国大陸側にも「非常に多様な意見」があるんじゃないかという素朴な疑問を抱く余裕はなさそうです。

■結論■
・第五章で著者は、日本における台湾に対する言説の偏り(台湾=「親日」国家とばかりいわれる現状)と、それが生まれた背景を指摘しました。
・これに対する評者の反論は、うまく文章を読めていなかったり、中国共産党を毛嫌いしたりしていて感情的になって、うまく「客観的」になっていません。
・ロシアという国のカフカース地域にも、注目しましょう。
・がんばってください。

(続く)


 (注1) 本件について、なぜ台湾の少なからぬ人々が「親日」敵なのかという理由について、「台湾人は親日的である。これは、反日より反共の教育を進めてきたからである。」という直截な回答をされた星野博昭「蒋介石と蒋経国(JiangJieshi and JiangJingguo)『「独裁と民主」の狭間を彷徨う親子』」(『愛知大学経済学部 李春利専門ゼミ』様)は、必見です。
(注2) 日本人、もしくは外省人の地位的な優位が、対抗的に被抑圧者側に「台湾」意識を形成させたのではないかという指摘については、優れたる書評「黄俊傑『台湾意識と台湾文化──台湾におけるアイデンティティーの歴史的変遷』」(『ものろぎや・そりてえる』様)をご参照ください。なるほど、日本が【抑圧者側】となり、「台湾」アイデンティティが生成したというのは本当のようです。

-2009/09/14 一部改訂済。